ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

モンゴルの大相撲はもう観ない

2007年05月28日 08時44分04秒 | マイ・ブーム
国技?大相撲

八百長報道が出ている中での夏場所の大相撲が終わった。
あれだけ無敵を誇っていた朝青龍が簡単に負け続けるということが信じられない。
周知のように白鵬が全勝優勝で本割の相撲を終え、連続優勝ということで横綱が確定
的となったわけだ。同時に、今場所は、本県ゆかりの力士として大関栃東が引退を表
明した場所となった。もはや、大相撲は国技と呼べないのではないだろうか。
モンゴル相撲になってしまったし、外人が非常に多い。
ある人に言わせるなら、角界で上位になるまで我慢できるような人間が日本人に少な
くなったからだという。痛い思いをしながら厳しい練習に耐えるような精神力は、生
温い精神では続けられないからだという。

私はこの目で相撲の取り組みを見たことがない。
二本松に巡業の力士が来たことがり、子供だったので辺りにいるおすもうさんを見に
出かけただけだった。いつの日にか両国の国技館へ行って、できるならば桝席で観覧
したいと思っていた。
そして、さらに栃東が横綱になったら何としても出かけるつもりでもいた。
それも叶わぬ夢と消えてしまった。

夏場所の前に、モンゴル力士・今回の優勝を争っていた二人の力士による、暴力とも
言えるようなシゴキ練習に批判があった。新小結に上がった豊ノ島に対してだったし
横綱昇進を控えた力士と思えないような暴言・行動もあったようだ。
寂しい限りだし、魅力を失いかけている大相撲をさらに縁遠いものにすることになる
だろう。

怪我をする力士が多いという。
亡くなった、そっぷ型の力士の代表、元大関貴ノ花が言った言葉だが、曙や武蔵丸の
ような巨漢力士が増えて、体型の小さい日本人力士は、その強力なパワーに耐えられ
ないからなのだという。格闘技であるから仕方がないといえばそれまでだが、青い目
の力士や日本古来の精神を全く知らない外人力士に取って替わられた大相撲は、その
冠である「国技」を返上した方がいいと思う。
さらに、不明瞭な取り組みのあり方に疑惑が向けられていることも合わせて反省する
必要があると思う。

庶民のささやかな楽しみ、日本人横綱が誕生するまでお茶の間桟敷もしばらく閉鎖す
ることによう。

美術館の維持は大変だよ!

2007年05月25日 09時01分57秒 | マイ・ブーム
美術館は止めた方がいい

このほど、地元出身の日本画家大山忠作先生が大量の作品を二本松市に寄贈した。
先生にはお二人の子供さんがおられるが、ご高齢でもあるし、相続のことも考え
られて今回の寄贈となったのではないかと思われる。
美術品の評価額というのは市場価格によって変動するが、新聞報道では50億円
の絵画等と書いていた。200点で50億円とすると、1点2500万円という
ことになる。この金額が妥当とは思わないけれど二本松市が大きな贈り物の処遇
をどうするか注目したいところだ。
今朝の民友新聞に「美術館建設に10万円寄付」と出ていたが、確かに寄付行為
はなかなかできるものではないけれど、そんなラベルの問題じゃないんだ・・・。

タイトルのように美術館という施設は大変お金がかかる施設である。
現在の二本松市には美術館はない。平成16年度に完成の予定があった美術館建
設計画は、前市長の汚職、社会情勢の変化で頓挫してしまった。
しかし、美術館は観覧者の入場料で採算が取れているものは皆無に近いと思う。
また、芸術品を見せるという行為は並大抵の労力では運営できない。
多くは企画展を開催して、違う出し物で観に来られる人を募るわけだけれど、こ
れには、やはりお金が必要なのだ。
世界中には、こういう企画を美術館に持ち込んで企画料を取ることを生業にして
いる人がいる。名品が日本にやって来たなどというのは、こういう人達の手にな
る場合が大体である。しかし、個展などの単独の芸術家の作品展で来場者が多く
なるケースは稀である。ましてや、日本人画家で人を集めれられるケースも同様
に難しい。

日本全国に個人名を冠した美術館は多い。
そして、はたして我が郷土の偉人「大山美術館」なるものが二本松市に出来た場
合、どう維持してゆくかが問題になると思う。
二本松市長は展示施設を作ると名言したけれど、この社会情勢の中で美術館の建
設は無理が多いと思う。まして、個人の作品を展示するだけで運営は厳しいと思
われる。私なら、新たな施設を作るのは止め、例えば、歴史資料館などを改装し
て順に展示品を架け替える方式で見せるに留めた方がいいと思う。

数々の美術館を観てきた。
池田満寿夫、棟方志功、東山魁夷など、日本を代表する画家だけれど、さほどの
入場者があると聞いていない。
つまり、観る作品が限られている場合、一度見ればあとは見る必要がないのだ。
また観に行きたいと思うのは展示品が違う場合だと思う。

二本松にどうしても美術館を作るというのなら、次の二点についてを提案したい。
1点目は、運営費は大山先生が存命中に作品からリトグラフ等の制作の許可を得
ることだ。収蔵品を元にして複製絵画を作り、それを販売することの許可をもら
う。そして、その作品の売却益金を美術館の運営費に使用するのだ。
長野にある東山魁夷美術館の作品はそうしていると聞いている。
2点目は、常に新しい情報を発信できる美術館にするために、毎年、新人作家発
掘の為のコンペを開催するのだ。優秀な新人に「大山賞」を冠して、奨学金を褒
美として差し上げ、頑張ってもらうことにする。新人の作品を展示する企画展が
毎年二本松で開催されることになる。そういう機軸になるものが、大山先生の作
品の他に無いと、運営は難しいと思うからだ。
こういう事が行われれば、偉大な画家の出身地が二本松であることをアピールで
きるし、新しい企画展で観覧者を集めることに頭を悩ませることが無いと思うの
だが、皆さんはどう思われます?

正しいものが報われる社会

2007年05月19日 09時57分45秒 | マイ・ブーム
殺伐とした事件が多いけれど・・・

例えば、列に並んで順番を待つという行為において、順番を無視して後から来たのに
まんまと先に目的が達成されるようなことがあった場合、あなたはどう思います?
 
 1.そういうことを行った奴をぎゅっと言わせるし、順番を管理する側へ文句を言う。
 2.次には、自分も順番を守らずに平気でスキあらば割り込むことにする。
 3.いちいち腹を立てていても仕方がないから我慢して、やられてもやり返さない。

どのタイプに賛同しますか?
最近の世の中は2番目が横行しているのではないかと思う。
(1番目をやって来た私だが、少々最近は疲れ気味・・・今は3番目かな)

真面目に順番を待っていても、権力を持っている者が平気でルールを無視するからだ。
公的な資金の流れを監督するべき人間が、平気で賄賂を要求したりする。
最近の新聞に歯科医の保険料不正請求を助長していた監督官が逮捕された。
こういう事をやられると、医療費を真面目に負担する気にもならない。
全部の公務員をそうだとは言わないけれど、やらないと損をするという考え方が根底
に存在するのではないだろうか。

今朝の民友新聞に福島県議会議員の福島テレビへの役員派遣の記事が出ていた。
役人だけではなく、県民の代表である議員様にも役得が存在するようだ。
福島テレビへ年に何度かの会議出席をするだけで高額の謝礼が出たり、不明瞭な海外
出張研修などが用意されているという。
おいしい物を出されたら、黙って食べた方がいいという考え方だ。
そして、そういうこと対して議会は目をつむってきたとか・・・。

この時代、黙っていると損をする?
社会がそのような雰囲気を帯びてしまったことに問題がある。
だから、若者が「どうせ真面目にやっても報われない・・」と思い込んで凶行に及び
始めているのではなかと思う。社会が悲鳴を上げているのではないだろうか。

これも資本主義という競争社会のなせる産物なのだろうか。
先にやった方が勝ち。勝ち組、負け組み。企業の敵対的買収。取った方が勝ち。
若い人たちに、どう説明したらいいか分からない。

ボクらの時代

2007年05月14日 08時26分54秒 | 祭人
日曜の朝のテレビ番組「ボクらの時代」が面白い。
対談の番組なのだが、ここには司会者が居ない。
三人の話し手が出てきて、番組の意図とは関係なしに?勝手に話をして
盛り上がる構図だとか。
大分昔にあった時事放談(じじい放談?)のスタイルを政治談議ではなく
登場人物の世界がテーマで語られる。
例えば、NHKのプロフェッショナル仕事の流儀では、司会者の男女の視野
からその人物なりを表現する格好がとられている。テレビ番組制作者の意図
が司会によって導かれるわけである。
その点、この番組は雑談の中に登場人物の人格が能動的に出されるわけで
視聴者もその言葉の中から自分の知りたい情報などを見極める面白さがある
のでは、と思う。

今回は瀬戸内寂聴と美輪明宏と若手新人作家(知らないので書かない)の三人。
80代、70代と30代の組み合わせは、やはり長老たちの話が中心に
ならざるを得ない。年老いてもなおも元気で説得力のある話しだ。
特に作家としての先輩のは「作家というもの、短命だから気をつけないと
すぐに忘れられてしまう。後に残る作家は稀だ」と後輩を気遣う。
舞台の先輩は「最近の若者では寺山修二を知らない人がいる」と時代の
流れの速さを話している。老人二人は自分たちの時代を突っ走って来た
わけだが、今の若者たちにとっての道標としてその輝きを失っていない。
美輪明宏の話に「30代で何でも分かったように思えていた自分だったが
50歳、60歳を超えるごとに知らないことが多いことに気づき、そして
今70歳を超えて初めて分かることも多いと話す」

前回は椎名誠、篠山紀信と坂東玉三郎だった。
この番組の別の面白さは、各界で中心的な人物である人が、別の世界の人た
ちとある意味での共通点を話しの中から語ることにあると思う。そして、
一般人には知りえない個々の交友の有り様についても興味深いところがある。

バブルの後遺症

2007年05月05日 09時30分21秒 | 祭人
昔、作曲家・山本直純のCMに「大きいことはいいことだ」というお菓子の
宣伝文句があって一世を風靡した。
時代は高度成長期で世の中がイケイケドンドンで沸いていた時だった。
いわゆるスケールメリットで、大都市など、大の付くことが大体は当た
った時代だったのだ。

ところが、今に来て、それは間違いだったということになっている。
大きいことばかりがいいことではない、と学者先生も言っている。
さらには、大きいばかりに失敗する、とも・・・。

この町のことを考えるに、町のスケールが小さいから何をやってもダメと
いう考え方がずっと信じられてきた。
「二本松は何をやってもダメな町」「魚の数が少ないから、その仕事は
成功しない」などと、多くの経営者たちは合言葉のように言い続けてきた。
このあたりのことを、もう一度考えなおしてみようと思っている。
本当にこの町は何をやってもダメな町なのだろうか。

昔、学校の勉強で、地方というものは何でも遅れて波がやってくると教え
られた。つまり、景気の悪くなるもの良くなるのも全てに時間差があると
いうことだ。今、大都市は景気が回復しつつあるという。ところが、この
あたりでは未だにそういう感じを受けない。先のバブル崩壊でも、少し
中央と遅れて景気が悪くなったように記憶している。さすれば、私たちが
景気が良くなったと感じるのはもう少し先になるのかも知れない。

私の頭の中にもバブルの後遺症が残っているようだ。
前述の「この辺りは小さい地方の町だから、何をやってもダメなのだ」と。
大の付くことはバブルの象徴のようなものだった。
大仕掛けが功を奏した時代だった。
そして、私たちの頭の中身も、そういうジンクスに染まりきっているのか
も知れない。

郊外型ショッピングセンターの進出ラッシュで、大型店同士の客引き合戦
が地元の商店街の上を飛び越えて空中戦の真っ最中である。

この小さな町だからできることを考えたい、と思う。

斎藤清の木版画

2007年05月03日 09時23分03秒 | マイ・ブーム
斎藤清/木版「目」1975年
今朝の福島民友新聞に木版画家・故斎藤清氏について室井東志生氏が
コメントをしていた。(以下、敬意をもって敬称略)
絵画をジャンル別に分けるべきかどうかは分からないが、筋の違う人が
評論をするということについて、いささか疑問を持ったので書いてみた。
どういうことかというと、同じ芸術でも例えて言うなら、演歌歌手が民謡
歌手についてどうこう評論できるかどうかに似ているかもしれない。
オペラ歌手とミュージカル俳優、似ているようだが、本当は違うハズだ。

室井東志生は日本画家だ。しかも、日展という画壇に属している。
この画壇という組織はけっこう複雑でやっかいである。
表向きは公募という形で広く一般から作品を募っているけれど、本当は
中心の聖域にはちっとやそっとでは入り込めない。何故なら、厳格な師弟
制度の上に成り立っており、いわゆる目上の先生からの推薦がなければ
ランキングは決して上がることはない。(このランク付けは日本固有の
もので、世界にそういう芸術のものさしや、評価を載せている年鑑など
は存在しない)聞くところによると、自らの先生のために相当な寄進を
しないとダメだという。自分の絵を売って先生に貢ぐのだ。そうすること
で次の展覧会には、○○君の作品が××賞にどうか・・・となる。
審査員になっても力関係が存在し、派閥に属さないと組織の上部に上がる
ことはできない。日本画界というものは特殊な構造になっていて、実力
(画力?)があったとしてもなかなか頭角を現すのに不適格な組織になっ
ているのだ。実力は当然のことだが、政治力も必要な世界なのだそうだ。

さて、そういう中心にいる日本画家が、斎藤清の芸術性についてそれら
しいコメントをしていることに疑問をもつ。ただ、斎藤清の木版画の晩年
の作品については、この日本画家がコメントすることは可能かも知れない。
斎藤清の会津の冬シリーズのように、ごく一般的な美しさを表現した画面
は、この日本画家が描いている舞妓や動物などの雅な感覚にも通ずるとこ
ろがあるとは思う。
しかし、斎藤清が画人として評価されている部分については、そういう
美しさという部分ではないのだ。斎藤清の初期作品に見られるような、
写実を単純化すること、画面構成を意図的に強調したりするなどの表現が
独自性があって苦労の末に自らの内側から搾り出されたものなのである。
そういう仕事に対して、美しさだけを追い求める仕事をする人が言える
ことがあるのかということだ。

昨日、県立美術館の常設展示室で初期の斎藤清の木版画を見てきた。
大画面の女性の頭部を大胆に描いた作品(1950年頃)は、創作版画
の道筋をつけたといわれている。つまり、それまでの見た目のありの
ままの姿を画面に写し取る写生ではなく、表現の仕方を変えて画面から
見る人が受ける感じ方についても、作家が意図的に仕組みを加えている
作風なのである。技術的にもいろいろと伝統の技法を織り交ぜながら
遊びがあって楽しい、そういう作品なのである。

そもそも、そういうことを考えながら作られた絵について、同じ絵描き
だから、同じ地方の出身だからということで話をされたのかもしれない。
芸術といわれるものはものさしがひとつでないので評論は難しい。
共感を得るということが評論ではないと思う。少なくとも、命がけで
絵を描いている人がいることは確かで、必死になって独自性を追求して
いる。画壇の内側に居て、上を見ながら絵を描いている人と、自分の
仕事に満足できなくて、気が狂わんばかりの状態でもがいているそういう
絵描きに会ったことがある。人間的に斎藤清は好きになれないが、初期
の仕事は筆舌に尽くしがたいものがあったと思うし、大好きな作品が
多い。

福島民友新聞の記事を載せた方が、このあたりまで考えていたかどうか
聞いてみたいようにも思う。