ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

太鼓台の構造がわかる

2007年07月31日 09時05分42秒 | 祭人
二本松提灯祭り・公式ガイドブック・ほらどっこいの掲載用に太鼓台の精密
トレースを行っているが太鼓台の構造に従って描いてゆくと、製作者の意図
や気持ちの入れようが分かってくるところがある。
まず、現在、二本松提灯祭りに使用されている7台の太鼓台は郭内を除いて
明治末期から大正時代に造られたものである。すでに100年を超えるもの
を使い続けられることに、もっと誇りをもっていいのだと思う。郭内は昭和
に入ってからの造営になり、今年が丁度半世紀の記念の年となる。6台のう
ち明治に造営された若宮だけは、各町太鼓台の造営ラッシュ等の事情により
製作グループが違っており、基本構造は一緒なのだが、構造体、彫刻の部材
も太く大振りで別物という感じさえする。

描いていて美しい。
ただ美しいだけではなく、構造計算などの学問がない時代において、ここ
までできるものかというくらい機能美というものがあるように思える。
軽くて操作がしやすい。体力にものを言わせるような動かし方ではなく、二
本松のような坂の多い場所での曳き回しでも容易に操作ができるように考え
られたのだとおもう。無論、足元は砂利道だった。

今の時代、文明は進んだけれど、昔の人たちに敵わないことが多いのでは
ないかと思う。例えば、松岡太鼓台の庇の裏側を見てほしい。放射状に細工
された垂木がある。二段構造になっているが、実は木口を二つ見せているけ
れども1本の部材である。かって違いで反対側の部材を作ることになるけれ
ども、同じものは太鼓台に2本しか無い。ひとつひとつ庇の縦・横方向につ
いて全部違う形になっているのだ。この辺りに時間と労力をかけることがで
きたのだ。

詳しくは5号で。

二本松提灯祭りは残ったのか?

2007年07月08日 16時30分00秒 | マイ・ブーム
川越へ、街づくりの視察で行ったことがある。
商工会議所の人の説明では「素晴らしいものを残せた・・・」と説明してくれた。

二本松の提灯祭りは、先人たちによって残してもらったものなのだ。
ひとりで残ったわけではない。残そうという意識がそこにはあったのだと思う。

昨晩の懇親会でそんなハナシがでた。
祭りは作られたものだけれど、二本松の場合、最初から本物志向だったと思う、と
説明した。