ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

OYAZI の 背中

2008年11月22日 07時49分53秒 | デジャブー
親なんていうものは背中が見えているくらいで丁度いいのかもしれない。
四六時中子供が転ばないようにすることなんて不可能だ。
先に死ぬだろう親は、いつまでも手を差し伸べることはできない。

今の世界は、初めから形の無いモノに余計な価値を与えすぎているようだ。
もともと泡は体積が少なかったはず、元にもどってしぼんだだけのこと。
マネーゲームの巧者に灸がすえられたのかな。
こんな時こそ、不変の価値とは何かを見つめる時なのだ、と思う。
目先の利益に囚われるな・・・(偉そうに)

おい、 的の彼方を射よ!

山車曳き回し

2008年11月13日 08時16分19秒 | 祭人
人形などの飾り物を載せて最後の二本松で山車が曳き回されたのは
昭和42年のことらしい。筆者は記憶がない。

記憶にあるのは、亀谷の鯛。松岡の福助もある。
同じ年に曳き回された。
飾り物の下に演奏する場、下座があった。
中に乗るとバチが飾り物の床下にあたる天井につかえそうな位に
低かった記憶がある。

二本松の山車の歴史は、けっこう古い。
映画に記録されたものに大正時代のなまずなどがある。
もう一度、復活できないものだろうか・・・。

唐津くんちに思う

2008年11月05日 08時41分36秒 | 祭人
5年前、OBによる山車曳き回しを考えたことがあった。
祭りの関係者から相手にされなかったが、またまた、実現してみたい気持ちに
なっている。

お手本は、唐津くんちの「鯛」かな・・・。
11月3日に唐津くんちが行われたばかりだ。
二本松の各町には山車の下部部分が残っている。
車輪は複数セットある町内から借用して、どうだろうか!

>>>唐津くんち

唐津と二本松はご縁のある土地なのだ。
何ゆえか?
二本松藩主の最初の任地は「棚倉・たなぐら」
なんと、唐津藩主の前任地は、同じ棚倉だったのだ。
みちのくの棚倉を通して、唐津藩主と二本松藩主は同郷の関係。
この話は、電話で唐津曳山会館で問い合わせた際、詳しい人に聞いたらと
言われたので、唐津神社へ電話、説明してくださったのは宮司さんだった。