ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

年金でチケット買ってネ!

2009年05月28日 08時39分12秒 | マイ・ブーム
一昨日、福島に綾小路きみまろ氏がライブでやって来たという。
観にでかけた人の話によると、県外からの観光バスが何十台もあって、空
着飾ったばあさん達でいっぱいだったそうだ。
数年前にCDとDVDが矢継ぎ早に出たあたりで消えてしまうのかな、と
思っていたが、なかなか頑張っていて、スターの地位を確立したのかも知
れない。あの話しで次々と飽きさせないのは、何かポイントがあるのだと
思う。下ネタ、老人の日常をたくみに笑いに変える名人なのだろう。

最近、還暦を迎えるにあたって年金の給付額が分かった方の話し、「年額
と月額を聞き違えたのかと思った」と。真面目に支払いをしてきても、結
局もらえる額は予想をはるかに下回ったらしい。
今、老人を謳歌している年代の方々は「もらいすぎ」なのではないか。
昨今発表になった2010年以降の給付額は、現在支払われている割合を
大きく下回るようだ。

国の年金を支えているものに、投資などによる利回りが大きく影響してい
おり、それも、机上で不景気を計算に入れない不安定なものなのだ。
それも、最近のこの世界的金融危機の前に計算されたもの、GMの破綻が
確定的に伝えられた今朝、大きく計算が狂う可能性もあるだろう。

さてさて、我々が年金をもらい始める時に5500円の綾小路きみまろの
チケットは買えるだろうか・・・?

あたりまえのこと

2009年05月24日 07時40分15秒 | マイ・ブーム
当たり前のことなのだけれど、老若男女を問わず時間の流れ方は一緒な
はずである。ただ、私も含めて、若いときには時間がありあまっている
と勘違いしている向きがあるようだ。
しかし、歳を重ねるごとに残された時間が少なく感じてきて、つまり、
時間の使い方にも意識するようになってくる。

最近、部屋の片付け方を少しずつやっている。
ものを探す時間を無くしたいとの思いからで、資料やファイルなどが
どこにあるのか探すことに多くの時間を使っていることに気づいたた
めだ。パソコンのファイル整理にも似ている。データの更新などをかま
わずにいると、どんどん同じ名前のデータが出現して、どれがどれだ
か分からなくなってくるのだ。

あるものがそこに在る、当たり前だけど、意外とできないんだよなぁ。

AUのモバイル端末WO5K要りませんか?

2009年05月21日 09時49分00秒 | マイ・ブーム
ノートパソコンが新しくなった。
新しくしたのはいいのだけれど、このPCにはカードスロット・タイプⅡスロットが無い。
分かって買ったのだけれど、今までAUのW05Kは使えなくなってしまった。
やむなくW06Kを買ったので、どなたかWO5Kが欲しい人はいないでしょうか?
丁度1年間使用、W05KもW06Kもスピードが同じというのは面白くない!

(ソフト、マニュアル付き、箱なし)欲しい方はメールください。

ゆきさんメール yukisan@etude.ocn.ne.jp 

山本五十六記念館

2009年05月12日 18時10分30秒 | マイ・ブーム
山本五十六記念館に行ってきた。
日本海軍の連合艦隊司令長官だった山本長官の功績を後世に残そうと
山本五十六の出生地である新潟県長岡市の生家近くにこの偉人の記念
館は建てられた。
山本五十六という名前を今の若い人たちで知る人は少ないだろう。

太平洋戦争の回線の火蓋を切ったハワイ真珠湾攻撃の奇襲作戦の成功
を知らせる電文「トラトラトラ」はあまりにも有名だ。
当時の軍の中でも、最後まで米国と交戦に入ることを避けようとした
少ない人物で、とりわけ在外武官としての経験が長い山本元帥は欧米
の底力を知っていたのだ。

記念館を訪ねて感じることは、偉大な功績を残す人は生まれてからず
っと大きな目的意識とその意思を貫いている人が多いということだ。
記念館の入り口に展示されている十五歳当時の書簡は達筆で今の高校
生に値する年齢とは思えない内容である。

さて、記念館中央には命を落とすことになった最後の搭乗機である一
式陸攻の左翼が墜落したブーゲンビル島から顕彰会によって郷土に持
ち帰られ展示されている。長官の座っていたという座席とともに当時
の戦争を今でもなまなましく語っている。

司馬遼太郎の教え

2009年05月07日 14時37分22秒 | マイ・ブーム
1994年に司馬遼太郎の書いた文庫本を読み返してみた。
バブル崩壊の後にかかれた文章。
英語でバブルは「綿アメ」というそうだが、実態は小さいのに大きくなった
状態を意味するようだ。

加熱する投機的行為を国が規制した例は世界中にあるようだ。
例えば、オランダのチューリップの球根(数万円もするものもあったとか)。
これに全財産を注ぎ込んだ人も、しかし、あえなく国の規制で灰燼に帰する。
中国では牡丹の花が投機の対象となったとか。

当時の日本の投機が土地について行われたことを司馬遼太郎は批判している。
住む家などが奪われることになった人達に対して「愛国心」をもてなどという
ことは出来ないだろう、と。

当時、米国はサブプライムなどという金融商品はまだ出ていなかった。
しかし、正にその後に米国は土地バブルの中になだれこんで行く。
土地が永久に上がり続けるとう神話のようなハナシが大手を振ってまかり通った。

1930年代の世界恐慌も米国発、しかし、日本のバブル崩壊を手本として同じ
徹を踏まないとしていた米国だが、何の教訓にもならなかったことになる。