ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

口はひとつ、目と耳は二つずつ・・・

2005年01月30日 08時50分51秒 | 祭人
会議というものは、議論を戦わせる場所だ。
二本松出身の高名な歴史学者・朝河貫一博士が日本人の会議の仕方について論評している
内容を思い出した。
日本人というのは、会議の中で自分の考え方をどんどん言うことが不得意で、まず、参加した
会議に於いてすることといえば、この会議に集った人たちの集約される考え方というものが何か
ということを真っ先に考えるという。つまり、この会議で決着するべき妥協点はどこかを考える
という。そして、自分の考えをその妥協点へ近づけてゆくというふうに会議を持って行こうとす
る、という。

この考え方が、日本人の本性を表しているという。
従って、どこまでも自分の考え方を貫こうとするような人は、会議の中で異端児となり、いわゆ
る白い目で見られるようになってしまう。
だから、会議において独創的な考え方が生れることが少ないわけだ・・・・。
その点、欧米の人たちの会議に対する姿勢というもは、全く正反対だとも述べている。

さて、自分が何を言いたくてこんなことを書いたかといことだ。

昔、自分は青年会議所という団体に所属していた。
会議所というくらいだから、会議が多い?のだけれど、それも、相当最後のころになって気づい
たことがあった。
一人の人間が(例えば、自分が)一方的に話を続けて行くと、他の人はだんだん黙り込んで行く
ようになる。自分はいい調子で話をしているが、実のところ、他の人は「納得して、あるいは
感心して静聴している」わけでなく、「ああ、また独演会がはじまった・・・」と思っていたわ
けなのだ。

昔からよく言われるように「人は目と耳は二つずつ、口を一つ持っている」なのだ。
だから、いい調子で自分が話をしている時は、相手の表情にも気を配って行かなければならない。
また、自分が言う口数よりも、多くを聞かなければならないのだ。
相手が黙り込んだとき、それは納得したとは限らない、ということだ。
良い話し手という者は、聞き上手なのだった。

人とのコミュニケーションをとりながら、素晴らしい会議や議論を戦わせ、実りある未知の領域へ
行動を導かなくてはならない。所詮、人間ひとりの力などというものは、たかが知れているのだ。
組織でしか多くのことを変えるようなことはできない。

さてさて、今日は誰の話を聞きに行こうか・・・。

話し方の名人 >>>> 参考(鈴木健二)

カメラは何にするか・・・

2005年01月29日 14時46分15秒 | 祭人
とにかく、今のデジタルカメラの進歩の速さと言ったらキリがない。
家庭用の画素数合戦は終息段階に来ているのではないだろうか。
300万、500万画素・・・などなど。
今では、携帯電話に付いているカメラだって、デジカメが出たころより10倍も解像度が多い。
そのような中、デジタル一眼レフにブームが移って来ているのではないか、と思うのは
私だけだろうか。

祭りの撮影用にホームユースでは最高機種のものを買った。500万画素。
しかし、画像を追求してゆくと、これでは物足りない感じになってきた。
つまり、レンズが交換できないのだ。
太鼓台(屋台)を撮っているのだけれど、人物も入れ、提灯の灯りも撮りたいと思うとき、そこ
はもう際限のない機会バカの世界へと引き込まれそうな感じなのだ・・・。

夜景で、迫力ある画面をモノにしたい。
そう思うと、広角でレンズが明るいものが必要になる。
また、昨年はカレンダーを制作したのだが、B3判くらいまで写真を引き伸ばすとすると、やは
り家庭用ではダメなようだ。
引き伸ばしたときにノイズが出ることが分かった。

ところで、最新型のカメラはどのくらいするのか・・・そこが問題なのだ。
1200万画素などというカメラも出ている。
それに合うレンズ・・・
お値段も100万円コースになってしう。
ここまでくると、もう、私の手にはおえないようだ。

その下のランクで検討中・・・
昨年は、レンタルでカメラを借りて写してみたのだけれど、そこは、やっぱり他人のモノ。
なれる前、機能が分かる前に本番終了となっていた。
今年こそ、いいカメラが欲しい。
迷っているのは・・・ニコンかキャノン・・・予算では、キャノン20Dかな

アチュい

2005年01月24日 08時28分58秒 | マイ・ブーム
口先をとんがらかして、彼女は湯煙の向こうで 「あちゅい」と言った・・・
こっちも、それに応えて 「アチュイ の?」って聞くと うなずいて、また
「あちゅい」と繰り返した。
彼女は、大きな湯船の淵に腰掛けて なかなか湯の中に入れない様である
全裸・・・ 一番大切な部分も、こっちに向けた まま ・・・

彼女の向こうで じいちゃんが 
「○○ちゃん、洗ってあげるから、こっち おいで!」
「・・・」

あはは、残念でした。
ご本人、2・3歳くらいのベティちゃんみたいな髪の毛をした女の子でした。

最近、温泉がマイブーム。
300円くらいから500円くらいで入れる温泉を見つけて入りに行っている。
スキーの帰りなど、けっこう良いところもある。
時には、混浴?にも恵まれる・・・(*^o^*)v

私の先生

2005年01月22日 14時28分52秒 | 祭人
昔、学生時代、人生の中で尊敬する人を持たないことは寂しいことだ、と教えられた。
50を過ぎても、分からないことばかりだ・・・。
中国の故事なら、とっくに「迷ってはならない世代」に入っていなければならないのに
まだまだ迷ってばかりいる。

尊敬する人のひとりに、作家の藤本義一さんがいる。
私がこの人が好きで尊稀するのは、モノの言い方にその理由がある。
人は偉くなればなるほど、完成されたモノ言い方をするようにないものだ・・・。
人と接して、あるいは文字を書くとき、その言い方で人柄が分かるというものだ。

どこが好きかとうと、何か自分の考え方を伝えるとき藤本義一さんは「○○○でないかな」
というふうに、自分の考え方を断定しないで話すし、記述する。
人がうなるような素晴らしいことを言いながらも「○○でないかな」と言う。
なかなか出来るものではない。

自分なぞ、まだまだだ。修行が足りない。(*^o^*) 読んでみて →→ ここ


北の零(ゼロ)年

2005年01月20日 10時17分15秒 | シネマとビデオ
昨日、話題の?「北の零年」を見てきた。

あーあ、やっぱり・・・という感じのつまらない3時間だった。
前半はなんとか面白かったが、なんというシナリオ。内容が無い。
もっと、ワクワクどきどきするようなストーリーを書けないものだろうか。

渡辺謙が「ラストサムライ」で得たハリウッド行きの切符で、今、悪役で撮影中
とのことだ。
しかし、この「北の零年」で見る限りは、吉永小百合演技に食べられて
しまっているような気がした。特に、後半部分は全く迫力が無かった。

あーあ、やっぱり また宣伝にだまされた。

成長しない自分

2005年01月17日 14時02分44秒 | 祭人
昔、教えられたことがある「尊敬する人を持たないことは不幸だ」と。
すばらしいモノの言い方をする人で尊敬する人がいる。作家の藤本義一さんだ。
雑誌のエッセイで読んだことだけれど、藤本氏は断定する言い方を決してしない。
本を書くくらいだから、例えば、あることを相当調べてから執筆しているのだと
おもうけれど、それが「・・・でないかと思う」と必ず付け加える。

自分が正しいと思っていても「○○○ではないかと思う」と言う。
これ、けっこう大事なことではないだろうか。
相当に自信があって話していても、そう言うことにより、相手に一歩逃げ道を
作ってあげる。徹底的にやっつけてしまったら、その後は続かない。
しかし、言っても分からない奴もいるけれど・・・ね。

そう言っていながら、相手の言ったことにカンシャクをおこしている自分。
成長しないな・・・いつまでたっても (*^o^*)