ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

渡り

2005年03月22日 09時03分28秒 | デジャブー
お彼岸の昨日は、本当に抜けるような青空だった。
仕事は高台にあるので空気が澄み切っており、外へでると気持ちがいい。
静かだ。風の音だけが耳に聞こえている・・・。

どこかで「カーン」という鳴き声がした。
その声の主は白銀の大きな鳥であった。
青空に羽ばたく鳥が太陽の光をあびて輝いている。
「相当高く飛んでるな」と思った。

最初は3羽・・・北へ向っている

次は大群だ おお、20羽くらいはいるだろうか・・・。

大きくきれいなV字型の編隊を組んでいる。「カーン、カーン」と一羽だけが鳴いて
一団を先導しているようだ。
その声が澄み切った空に響く・・・。

なんと、荘厳で気高い光景だろうか・・・。
折りよく、今年もその時に遭遇できたことにしばし時間を忘れた。
カメラ・・・と思ったけれど、手元に無かった。
望遠のデジカメなら撮影できたろうに、残念。

自分は鳥のことは門外漢だから全くの知識がない。
あの鳥は何だったのか、鶴なのだろうか。
体は純白で頭だけが黒かったように思えたのだが。
どっちにしても、相当な高さを飛んでいるわけだから、餌場からねぐらへ行く
ような飛び方でないことは確かだ。皆、同じ方向へ相当な速度で飛び去った。
あれは渡り鳥で北へ帰るのだろう。

今年のスキーシーズンは思うように滑ることができなかった。
安達太良、吾妻の山々の雪が解け始め、黒い部分が大きくなり始めている。
雪の多かった冬も終わりだ・・・。

福島にももうすぐ本当の春が来る。

ホンモノのコメディアン

2005年03月20日 16時31分44秒 | デジャブー
この人を知ったのは、某銭湯でのことだった。湯上りに番台の頭上にあるテレビにおかしな
人間が写っていた。この男、女装をして金髪のウィッグをかぶってシャンソンなんぞを歌っている。
しかし、なんと面白い芸をする奴だろうと思った。湯冷めするのも忘れて見入ってしまった。
「おもしろい」時間の経つのも忘れさせるような魅力があった。

丁度、この頃は仕事がきつくて、睡眠時間があまりなく、精神的にもまいっていた時だった。
「ああ、コメディアンって、こんな時に必要と思われるんだ・・・」と、軽薄で芸が無いドタバタの
おおい中で厚みのある芸人に出会ったものだと思った。
この男の名前は=「梅垣義明」(通称・梅ちゃん)と呼ばれている。
すぐにファンになってしまった。
しかし、気づいてみつと、けっこうテレビに出演していたのだ。西部警察の刑事役とかで・・・。

2年ほど前に、梅ちゃんが郡山にやって来た。
アングラ出身の芸人には、おあつらえの会場「富や蔵」でのステージだった。
この会場の特徴は元の酒蔵を改造してできた多目的ホールで何の会場にでもなる。
ここで、絵のオークションも私自身開催したことがある。

ステージは楽しかった。得意技の「豆とばし」も、シャンソンを歌いながら無数に行った。
当然のように、この飛ばされた豆を拾う聴衆は居ない。
また、選ばれた人だけが体験できる「間接キッス」もおお受けだった。
このキッス、透明なプラスチックを使って梅ちゃんと濃密な抱擁の上キッスするのだ!
若い女性のファンが多かったせいか、会場は爆笑状態、
しかし、自らキッスをお願いした女性は一人も居なかった・・・・(^-^;

彼のHPがある、どうぞ覗いて見て欲しい。
ファンクラブの募集(ただ、会員登録をするだけのファンクラブだが)があったので、名前を書き
まさせてもらった。県別にファンが居るところは青く塗りつぶされている。
なぜか茨城県ではファンが一人も居ないことになっている。 (*^o^*)
福島県では、私が一番早く登録されいて、会員番号51番である。

ホンモノの芸を見せてくれる芸人はありがたい! ↓

梅ちゃんの青い部屋 
ワハハ本舗 

アラスカの日本人

2005年03月13日 14時42分07秒 | マイ・ブーム
昨日、アラスカで「オーロラを見る宿」を営む若い日本人夫婦の生活をテレビで放映して
いた。この極寒の地の生活は一人ではできない。地域の住民が助け合って生きている。
田舎の生活で「隣のひとがうるさい」などと流暢なことを言っていられるようなレベルで
はなく、自分の命を守るために互いに隣人と助け合わなくてはならないのだ。
暖かい地方なら凍え死にすることはないだろうが、ライフラインの故障は命取りになる。
従って、とにかく近くの人と仲良くしている。もっとも、隣と言っても騒音が気になるよ
うな距離ではないだろうが・・・。

話題の中に、地域の人とのかかわり方、助け合い方などを上手に教えているように思えた。
ホームパーティをお互いにやり合ってコミュニケーションをとっている。よそから来た人
にも上手に窓を開けており、また、そういう雰囲気に慣れ親しむことが、厳しい自然環境
の中で生かされることになることを教えている。

二本松という場所は、他から来た人に理解できないような変な「地域意識」がある。
私は松岡に40年近く住んでいる。父の仕事の関係で松岡に住居を移したのだが、町会内
もめ事があったときに言われたことがある。「あんたは、亀谷だからね」と。
二本松提灯祭りの太鼓台を所有している町内は7つだ。この町内の場合、お祭りの対抗
意識=地区意識であり、「あっちには負けるな」という形で良い意味で祭りを盛んにする
エネルギーに使われてきた。
しかし、ややもすると何かの時にこの意識はデメリットとなって現れることもある。

「住みよい場所ですか」と問われたら、「住みにくいかもしれない」と言うだろうか。
この地方特有の非開放感は、ある郷土史家の話にあるような「戊辰戦争による後遺症」か
も知れない。「三春きつねにだまされて・・・」というように、「他から来る人を信用す
るな」というような教えもあるのかも知れない。
(よそ道になるが、戊辰戦争で仲間だった奥州列藩同盟の三春藩が敵方に寝返り、案内役
をして二本松領内へやって来たことによる)

さて、青年海外協力隊の訓練所が二本松市に出来てから外国人を多く見かけるようになって
きた。元々遊牧民である人種は定住地を選ぶことに抵抗は無いようだ。その点、日本人の
場合は「故郷」というものに執着がある。余所者というような言い方は城下町でなくとも
田舎に行けば行くほど強くなるようだ。
外国人が多く住むようになり、今までのつながりとは別の糸が結ばれつつあるのかも・・。

二本松の偉人・朝河貫一博士は、太平洋戦争中の日米の架け橋としてのパイオニアであった
こと、そういうDNAがこの地方にあるということも忘れてはならない。
この地方の人ネットワーク基準も変わって行かなくてはならないと思う。
いや、すでに変わりつつあると思う。

終の棲家

2005年03月10日 09時06分48秒 | マイ・ブーム
ちょっと前、大年の有名女優が言っていた言葉を思い出しました。
「人は年と共に身の回りの物を少なくしてゆくべきだ。また、住まいについても、自分が現役の
時は、人寄せのために大きな家やリビングも必要だったけれど、歳をとってからはそういうモノ
は必要なくなり、自分が居る場所があれば満足だ」と。

地方都市でも駅前周辺のマンションが高齢者を中心に人気があるという。
東北の場合、冬は雪が降るので雪かきをしなくてはならない。今年のように降雪量が多い年の雪
かきは高齢者でなくても重労働だ。マンションの場合、そういう心配は無用だし、鍵をひとつだ
け施錠すればセキュリティにも問題がない。

昨年、二本松市郊外で通りの外国人による押し込み強盗があった。押し込んだ先は警察官OBの
家だったので無難に終わったけれど、そういうような問題も、のどかだった地方都市でも無縁で
はなくなってきている。

歳をとったら、駅前のマンションがいいかも・・・と言われることにもうなずける。
私自身、今年は雪かきで肩がおかしくなってしまった。
運動で傷めた部分が鳴りを潜めていたけれど、連日の雪かきは応えた。
肩の関節が痛くて腕が上がらなくなってしまった。 これって、五十肩???
歳をとったら田舎の田園生活がいいか、などと思っていたがチト考え方が変わり始めている。
雪かきは嫌だし、本当に木を切ったり、土をいじっったりすることが自分にできるのだろうか。

どんどん物欲は薄れて行く。住む家だって、自分がヨコになる場所があれば文句はない。
IT機器に振り回されて、次々と登場する電子機器のマニュアルに向うのも疲れてきたような
感じがしている。

さてさて、終の棲家を なんとしてくれようかい・・・・

名前・ネーミング

2005年03月05日 09時15分49秒 | マイ・ブーム
昔より、名は体を表わすという。
名前を聞いただけで、そのもの、その実態を知ることができるというものだ。
名前というものは、社会的な意味を含んだ言葉なのだ。
時に人の名前であり、家名であり、商品名であることもある。

昨日は中村屋の勘三郎十八代目襲名披露公演がスタートして初日の口上を特集番組を
組んで放映されていた。名前を受け継ぐということの重たさ、日本の伝統をどのようにし
て家が守ってきたのかを伝えていた。
中村屋というファミリー組織で守り続けた、その「総帥」の名前である。

時代の流れ変化にのりながら、その時その時に合わせることの大切さを教えている。
「伝統とは変えないことではない」という言葉をまた思い出した。
中村屋当主の言葉「受け継がさせていただきました」は、私が受け継いだという言い方で
はなく、受け継がせてくれたのは、お客さんであるという言い方だった。
非常に、これほどまでに世間を意識した言い方、慎重な言葉遣いを久しぶりに聞いた。

子供が親の顔に泥を塗った・・・例の事件、そして、その子の扱いについても慎重な言い
方だった。襲名披露宴の夜に起こした、息子が警察官を殴るという大事件。
家がゆれた。いろいろなこともあった・・・? 
本人も宮沢りえとのスキャンダルがあったハズ・・?
あれも芸人ゆえの、ツヤみたいなものなのかもしれない。
だが、時がそれを癒したのか、ファミリーがそれにも増して一丸となって芸道に精進した
ことで乗り越えたのかは知らない。

人間おごりがあってはならない。 と、思った。
「俺は別人なのだ」と思った瞬間。言動が傲慢になる。
酒を飲んでハメをはずしたバカ息子。同様に、オリンピックの女モーグルのメダリストな
どなど・・・みんな「私は特別なんだ」と思っていたのかも・・。
なんてことはない、皆にんげんなんだ。
人間なんて、所詮は弱いものなのに、自分は特別と思った瞬間ダメになる。

今や「たけし王国」の帝王・・・ビートたけし。東京芸大教授?
この人も、出版社なぐり込み事件、ミニバイク横転事件・・・世間をさわがせる名人なの
だが・・・いまや大先生。
どんなに世界が認めていようが、この人の裏側にある何かがいつも危なっかしい。
ハラハラがキャラクターで売り物でもあって、そこが今風でいい?受けているのかも。

有名人をしゃれて「セレブ」というのだそうだが、大スターたちのアヤマチが多いこと。
ショーケン、まさし、そのまんま東、やすしの息子、名前を忘れたが吉本の芸人で司会な
んかやってる男・・・? 
もっとも、元々何も無い只の芸人以前のにんげんだったたのかも知れないが・・・。

名前が大きくなればなるほど、その社会的な責任は重い。