ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

ビデオ「フラガール」を観て

2007年04月27日 09時47分06秒 | シネマとビデオ
レンタルビデオで話題の「フラガール」を観た。
うーん、映画としての評価が高いというけれど、劇場で1700円を払って観ないで
よかったかな、と。
ただ、映画に地方の過疎や不況を取り上げられたこと、そして、そのことによって大きな
経済効果を産んだということには違いはない。すばらしいことだったと思う。
出来るなら、このようなハナシが二本松の地方でもあればいいなと思う。

炭鉱が廃坑になり、多くの失業者を生むことになる。
企業は生き残りをかけて、まったくの別分野に挑戦した。
庶民の生活志向が向上する時代の中で、小さなハワイは時流にのって受け入れられた。
前例にないことをやる場合には大きな抵抗がつきものだ。
人々は常に安定した生活を望んでいる。
それを、全く違う方向へ転換することに、戸惑いや、大きな不安を感じたことと思う。
あらゆることは変化してゆくものだ。その変化ゆえに生き残れるということもある。
順風満帆の時には、危機を予見したり、備えたりすることは考えにくい。
まして、大荒れの状況に陥ったならば、容易に方向転換をすることはさらに難しい。
言うは易しだ。

地元の観光によって経済の底上げを考える私たちだ。
例えば、毎年現象化傾向に歯止めがかからない日本一の「二本松菊人形]」だけれど、
常磐ハワイアンセンターと同様に、庶民の楽しみとして戦後に開始されて50年を超
えている。当初の社会事情からして、現在は大きく変わってきている。特に問題なのは
交通手段である。開始当時は当然、列車で観光にやってきた。大勢の人は通りに並ぶ
商店を眺めながら会場まで歩いた。だから、店頭に菊の鉢植えも置かれて会場とともに
一体感のある祭典であったと思う。だが、今は会場へ個人の車で直行し、商店街を
通らずに直行して宿泊地へ行ってしまう。
最近は高速道路の下り口から渋滞することも、入場者の減少で無くなったけれど、
アクセスについてしっかり人の導線を考えないと死活問題になるのだ。

さて、映画・フラガールによって久々の入場者増と聞くハワイアンセンターだけれど
何か仕掛けをして行かないと元も子もなくなる状態まで行ってしまうと思う。

旧態依然の開催方法を改めべきだ。
私なら、 
 1、宣伝効果を上げる、何かの奇策を打つこと。(フラガールのような何か・・・)
 2、菊人形の開催の仕方を総合的に考える辣腕の総合プロデューサーを高給で
   優遇して汗をかいてもらう。
 3、会場作り、菊作り体制を根本から考え直す。
 4、通過地点の菊人形を何とかして滞在型に変化させる。(観光ポイントの追加)
と、思うのだが、皆様はどう考えます?

投票へ行ってきた

2007年04月22日 07時57分45秒 | 祭人
町おこしと選挙
ある郷土史研究家の言っていた言葉に、この地方の人たちの意識というものは、やはり
戊辰戦争で負けたということが心の奥深くに残っていて、あらゆる面でに引っ込み思案
であるかも知れないという。

たとえば、私の思い過ごしであるかも知れないが、一度政権を握ってしまった人や、当選
した議員たちに改めて異議をとなえることが少ない。その人たちに少々の不満があっても
「ま、いいか」と無投票になることが多い。
無投票になるということは、本来「あなたの政治姿勢でいいですよ」と意思表示をしたと
いうことになるのだ。
今回のこの地方の選挙でも無投票で決着した選挙があった。
その割には、後から不平不満が聞こえてくるのだ。
やはり、無関心ではならない。
本当に町を変えたいと思うなら、行動を起こさなくてはならないのだ。

この地方の経済というものは、以前は問屋も存在した。
今では立場が逆転してしまっているが、福島市や郡山市に商品を卸していた企業も多く
存在したのだ。だが、長い年月は今日の町の発展度合いを見ても格差は歴然としている。
そして、この地方に未来があるのかというなら、悲観的にならざるを得ない。

さて、この地方も含めて国中が深い不況から脱しきれていない。
この地方にも、昔なら経済を牛耳っている傑物がいて、その人たちが政治に大きな影響
を与えていた。あるいは、その人たちそのものが政治家になったこともあった。
だが、今は家業の仕事に忙しく他人の世話どころではないのが現状なのである。
その人たちが右というと町の将来がガラッと変わるようなことがあったのだった。
今や、そういう人たちに余裕がないので、言葉は悪いが、どうでもいいのが政治家に
なっているのかも知れない。

今の時代、本当に豊かなのだろうか。
私は明治末期から大正あたりが、この地方も含めて、本当の日本の豊かな時代であった
のではないかと考えている。
何故なら、文化というもは豊かな時代にのみ育つものである。
振り返ってみるなら、この地方の祭りもその時代に大きく成長したと考えられるし、又
太鼓台の新調にも見られるように、人々にそういうことに掛けられる金があったのだ。

今、生活に四苦八苦して、太鼓台を新調するなどと言ったら、キチガイ扱いされること
だろう。文明は進歩したけれど、文化を培養する時代にない。

できないか「二本松ワッショイ」(仮称)

2007年04月20日 10時00分11秒 | 祭人
面白いサイトめっけ!
二本松でもあらゆる情報のつまったポータルサイトを運営できないものだろうか。
リンクを紹介しているのはネットサーフィン(この言葉も死語か?)で見つけた
東京の各地を現地リポーターが地域に密着した話題を提供している。
名前は「トーキョーワッショイ」。

東京は巨大な地方の集合体だ。
世界中の、日本中の田舎が再現されていると言えるかも。
無論、生粋の江戸の文化も脈々と流れている。

さて、テーマはというと、これが何にも囚われていない。
飲み食い、アミューズメント、伝統文化などなと幅が広い。
さしずめ、これを二本松でやるとするなら、どういうことを考えられるだろうか。
この度合併によってできた元二本松藩旧領内である東和、岩代、安達でも、旧二本松
市内よりも長い歴史がある。このような文化を将来にむけていかにスポットをあてて
行けるかがポイントになると思う。

題材に選んだ、地域文化エンタメブログ「トーキョーワッショイ」は大都市のやり方。
二本松の場合は、二本松らしさ、二本松のやり方があるハズと思う。

二本松提灯祭り「お祭り会館」を標榜する私だけれど、だいぶ前に記述したように
単なる観光客だけを相手とした施設、あり方では将来を見据えたものにはならない
と考える。それらは、選考のそういうお祭り会館のおおよそが、観光客も少なく運営
に四苦八苦してる現状をみれば理解できる。
では、どういう形があるのか・・・それを考えている。

先の弘前大学の北原啓司先生の講演で聴くことのできた街おこしのポイントは、後
から大勢の人たちが参加できる仕組みに成功のポイントがあるという。
あらゆるジャンルの人たちに応援してもらえるあり方が鍵になりそうだ。

出版活動を通しながら感じる手ごたえは、このあたりに共感を覚え、さらには、今回
のポータルサイトに見られるような大勢の人に「迷惑」をかける形しかないのではと
思うのだが。

今朝、遅ればせながらお城山の桜の写真を撮りに行ってきた。
福島の新聞各紙の桜の開花情報、テレビが放映している各地の開花情報に「二本松の
霞ヶ城公園」は出ていないことが多い。名所と自負する二本松の人たちだけれども
宣伝が下手なのだと思う。これは、二本松提灯祭りについても言える。
意外と、市外に住んでいる人たちって、桜もお祭りも知らないんだよ・・・。

ドキドキ・ワクワク

2007年04月06日 08時55分56秒 | マイ・ブーム
年寄りの姿が見えてきた。
鏡を見ると、見慣れた顔にもシワが増えたようだ。
「年をとったら自分の顔に責任をもたねばならなない」と誰かが言っていた。
今の顔、誰にも胸をはって自慢できるようなシロモノではない。
思えば、何をやっても中途はんぱな私であります。

中学校の社会科先生によく言われておりました。
「お前なんか大したことないんだからナ」と。
その言い方を今でも覚えておりますが、私を鼓舞する言葉ではなかった響きで
あったし「小さい虫はその虫の丈で生きろ」と言っていたようです。
優柔不断、脳天気な性格はその言葉に反発する気概さえもたずに歳ばかりを
重ねてきたみたいです。
最近「ああ、やっぱり俺は先生のいうとおりの人間だったのか」と。

ただ、自分の場合、まだまだやりたい事がある。
世間さまの評価はともかく、自分で満足できる何も成してない。
だから、あと少し頑張ってみようと思っている。
周りの人から「ああ、じじくせぇ」と言われたら、すっかり表を歩くのを止め
どこかへ引っ込むことにしようと思っている。

私のやりたいことは「誰かをドキドキ・ワクワクさせること」だ。