ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

住民投票 (表郷村の合併反対)

2005年02月26日 08時37分27秒 | マイ・ブーム
表郷村で住民投票が行われ、懸案の「市町村合併問題」について、住民は「No」の決断をした。
これを受けて村長は「前回村が行ったアンケート調査では賛成が多かったので実施したい」と表明
一昨日行われた村議会では「7:6」の大差?により町村合併でことを進めるという。
これはどういうことなのだろう

何のための住民投票だったのだろう!

そして、住民投票の民意を無視する村議会、村長、役場の考え方を疑う!

こんなことが、もし自分の町で行われたとしたら断固戦うと思う。
誰もおかしいと思わないのだろうか?

今朝の新聞あたりも、その辺をきちんと判断できている新聞が無い。
いいかげんで曖昧な新聞社の考え方を露呈しているではないか。
新聞に書かれていることが常に正しくないということの証明書みたいな内容だった。

日本の国というものは、反対の考えを持つ人が多くても少数の考え方を優先する国なのだ。
それは、日本国中の津々浦々まで浸透していて、どうしようもない (`_´メ)

丸山浩路のボディランゲージ

2005年02月22日 08時51分22秒 | マイ・ブーム
この方、講演の際のステージへの出方が「くさい」(本人談) (*^o^*)
芸人?はここまでやるか、と思うくらい派手な身振り手振りでステージを盛り上げる。

 ・・・この人の話を何度聞いただろうか・・・
 ・・・そして、何度泣いただろうかか・・・

「五井先生と太郎」の話を何度聞いて泣いただろうか・・・。
毎回同じ話なんだけれど、その場面でまた泣けてしまうのだ。
 「ドン・ドン!」と胸を叩きながら話をする。
 「・・・・」
こんなに感動を与える講演を知らない。
体で話をする。ステージから溢れる無言のボディランゲージ。
今ではNHKの手話ニュースで、このうさんくさいおっさん(本人談)の顔を見慣れているけれど
最初にこの人のステージを見たのは、もう25年くらい前になるだろうか・・・。

最近、この人のHPがあることが分かってアクセスしてみた。
つい最近のニュースや講演会の様子などを見ることが出来る。 >丸山浩路公式HP

地震のあった新潟へも応援に行っているようだ。 
同じ人間なのに何が違うのかと思ってしまう。

講演会の中で話された言葉で思い出したフレーズがある。
お年寄りの話をした時のことだ。
「年寄り年寄りと動きの悪くなった人を面倒のように言わない方がいい」
「それは、あなたのゆく道・・・なんだからね・・・」

核家族化が進む中、はたして自分の行く道はどうなるのだろうか。
体が動くうちはいいが、人に必ずお世話にならなくてはならなくなる。
「人に世話にはならない」と言っても、必ずお世話になることになる。
下の世話をしてもらうことになる・・・。

私のゆく道・・・なんだなぁ・・・

モダニズム

2005年02月17日 09時16分04秒 | 祭人
新しいとはどんなことか。モダンとはどんなことか。
それは、前例がない状態を言う。だから、斬新だと思うのである。

自分は自分の着るものは自分で選んでいる。しかし、例えばネクタイのようなモノは売り場の
売り子さんに任せてえらんでもらうことがある。理由は自分が選ぶと同じようなモノばかりに
なってしまうからで、気分を変えたいような時には違うネクタイでもしてみたいと思うものだ。
そういう意味でレジメンタルなネクタイが圧倒的に多い中、冒険のおしゃれは、いつも他の人
が選んでくれたモノで行くことにしている。このネクタイは締められないと思うほど、勇気の
いるモノがあるが・・・気分が落ち込んだ時などは最高のポイントになっている。

さて、画家は独創的なアートを生み出そうと必死になっている。
平面、立体など斬新な表現方法、考え方を生み出すのに頭をしぼっているのだ。
現在の自分の仕事に満足しない挑戦の連続・・・それはすさまじいものがある・・・。
芸術の才能が特に飛びぬけている分、日常の一般常識というものから程遠い感覚の持ち主だって
相当いるのだ。言葉はいけないが、狂気だってとなり合わせに近い。
しかし、その画家の生み出すものは独創的で新しい。

昔、芸術評論の何かで読んだことのある言葉を思い出した。
「モダン」とは、ちょっとだけ進んでいるスタイルなのだ、と。そして、あまり進みすぎている
場合には、人々には理解できないで終わってしまうことがある。
天才の仕事が世の中に理解されにくい訳はそこにあるのだ。
ピカソやブラックの仕事、発表当時は理解されなかった。印象派のゴーギャンだって、最初は
色盲の絵画のように言われたこともあったのだ。

池田満寿夫が言っていた「ネクタイ、これみんな抽象画ですよ」

彼の危ない絵画がチラリとよぎった

工具

2005年02月13日 08時55分14秒 | 祭人
工具を見るのが好きだ。ホームセンターなどに行くと時間がなんぼあっても足りない。
財布に余裕があるときには、用のないものまで買ってしまうことがしばしばある。
工具を見ていると、あれこれ想像してしまい、気が付かないうちに出来上がる作品の中で
しばし遊んでいることがある。自分の道具箱にはいろいろなモノが入っていて、たいがいの
ことはできてしまう。

ところで、最近、古本屋で西岡常一の「蘇る薬師寺西塔」という本を半値でみつけて求めた。
以前、同じ人のことを書いた「木に学べ」に続いて手に入れた。この人、昭和の名宮大工と
いわれた薬師寺西塔を復元した大工の棟梁である。
名人になると、話すこと、なすことのすべてにオーラがある。
特にこの人のことが大好きな理由に、工具に対する考え方、材料と人間の関係についての考え
方がある。
今日は、この人の工具のはなしなどを書いてみる。

今の大工さんがほとんど使わなくなった「槍かんな」というものがある。これは文字通り槍の
形をしたカンナなのだ。横からみると、槍の形は舟形に少し反っている。
例えば、寺の大きな柱の表面を削るときに、船の櫓をこぐような形で使われる。この道具でけ
ずった表面は木目に生命を与えるのだという。木目が違ってくるのだという。若い女性の肌の
ように(これは私の表現)整ってくるのだ。
これらのように、古代から使用されている工具を使って、薬師寺の西塔は450年ぶり復元さ
れたのだ。

また、和釘の話をしている。現在、ホームセンターなどで売られている釘はすべて洋釘である。
釘というと、頭が平らになっていて銅が同じ太さで、先端だけがとがっている。これを金槌で
たたいて木材同士を接合させるわけだ。ところが、和釘というものは、銅の部分がテーバー、
つまり、頭のほうが太くなっていて、先端のとがった部分までを横から見ると三角形、くさび
型になっているのだ。そして、この効用というものが興味深い。

日本は湿度の高いお国である。梅雨には大量の雨が降る。つまり、そういう雨の多い地方で使
用するのが和釘なのである。洋釘の場合、頭が錆びてポロッと落ちると、銅の太さが均一な為
に、その接合力が無くなってしまうのだ。ところが、和釘の場合は、再度頭を叩いてやると、
また効き目を増すことができるのだ、という。こういうモノが日本には数多く開発されてきた
のだ、ともいう。

お寺のような、大建築物に使用される和釘は大きい。長さ30センチから60センチくらいの
ものまであるという。以前、法隆寺から出た飛鳥時代の和釘をもって、時の人間国宝の刀匠で
ある宮入正平がこの和釘をもとに刀を作ったところ、ものすごく切れる刀ができたという。
西岡常一棟梁に言わせると、日本人のあらゆる技術が一番高度だった時代だ、とか。
西岡常一

どんなに科学技術が進んでも、それゆえに先人を乗り越えられないものがあるようだ。
電動工具がどんなに進んでも、昔の人たちが素晴らしい匠の技術で、手に付いた道具で作業し
た「仕事」には遠く及ばないのだ。
来年13回忌を迎える私の父の言葉に「職人は不器用なものが大成する」がある。鉄工の職人
だった父は不器用だったが、残した仕事は数多い。

父の残した砥石で、父手製の切り出しを砥いでみた・・・。

官と民のちがい

2005年02月08日 10時13分51秒 | 祭人
1市3町が一緒になることになった。
最初に、私の考えを先にかいておくけれど、合併は反対である。
理由は、きめ細かな行政のサービスができにくくなること、そして、二本松という地区の特性が
行政体が大きくなるころによって薄れてゆくと思うからだ。

一時は、町興しなどにも興味があって、その渦の中に入って頑張ろうと思ったこともあったけれど
人を動かすことの難しさを考え、もう少し小さなテーマで活動してみようと思ったのだ。
(二本松には何か一つになれるものが欲しいのだ。それは何か)

無論、その小さな?テーマは、私の場合「お祭り」である。
この地方の特筆すべき特異性は、他に類をみないほどの独自性がある「お祭り」だと思う。
これを核として、経済活動にまで増幅することがこの町のためになることと位置づけたいのだ。
地域の経済がダメになれば、その地方の祭りはダメになる。二本松が二本松らしさを失うことに
なると思う。人々は、この地方の祭りを守ることに力をそそいで来たと思っている。
競い合う精神が祭り文化を豊かなものにしてきた。それは間違いない。
ただ、有名?だと思っている「二本松提灯祭り」だって、本当のところは7町のエゴでしかないと
思っている。
これ以上、町を大きくしてどうなって行くのか、と心配してしまう。

さて、私はむつかしいことは知らないけれど、官と民の違いを感じている。
解釈が違ってるかも知れないけれど、「役所の考えていることは、なかなか変わらない」という
ことだ。つまり、民が何を言おうが官は動きにくい、ということだ。

行政体は大きなプラン、長期プランづくりをする。
多くは、高額なコンサル料を支払って「○○プラン」を作ってもらう。
お金を掛けることが、満足の度合いになっている・・・というふしもあるのだ。
遠くの神様はありがたいのかも知れない。地元にだって有能な人物が存在するのに、そういう人に
は話を聞こうとはしない。
また、プラン作りには体裁だけの公聴会を開催して、「住民の意見を反映した」と○○プランの
あとに付け加えるのだ。その、公聴会に参加する人たちというのは、行政体から常時声がかかる
イエスマンの集団で、出てくる人たちの名前はいつも同じなのだ。

街づくりのマスタープラン、駅前再開発、地元商店街活性化プラン、観光都市プラン、お城山を
核とする観光プラン・・などなど。プランのオンパレードだ。(名称は忘れたので、だいたい)
筆者もその中の複数に名を連ねたことがあったが、多くは消えて無くなった。

私は、行動しかないと思う。プランをいくら作っても、アクションが伴わなければ何もならないの
だ。考えるだけでは意味がない。とにかく、一歩踏み出すことが重要なのだ。
小さな二本松市だけでも満足な形に整えられないのに、行政を巨大化させて何の徳があるのだろう
かと思う。

知人のブログで市制を真剣に考えているコメントを見つけたので、是非行って読んで欲しい。
高額の給料をとっている議員さまがたが、どの位勉強しているのだろうか。疑問。
みーんな、役人が作ったものではないかな。
首長が変わっても、そんなに行政をラジカルに変えられるものではないのだ・・・。
議案を考えているのは、みーんな 役人なんです。残念ながら。

> ここ

絵コンテ

2005年02月07日 13時22分47秒 | マイ・ブーム
映画を作る時はシナリオを絵にする「絵コンテ」というものが作られる。どんな名監督
でも必ず作る。
昨年、提灯祭りのビデオを制作するにあたって、カメラマンの人により正確に撮影の仕
方を知ってもらうために初めて絵コンテを描いてみた。絵コンテとは、自分の頭の中に
あるシーンを立体化させることや、自分の意図・考え方を整理するのに面白いものがあ
る。

昔、提灯祭りを全く知らない人がビデオを制作した。そして、カメラマンの人たちも二
本松の人でない人たちばかりだったせいか、出来上がったビデオはお祭りの感動を感じ
られない内容だった。当然に祭りの大切なシーンとしてあって欲しい場所、例えば、亀
谷坂下などにおいて、豊囃子からシャンギリに変化して、若連の諸君が一番盛上る場所
が写ってなかったりしたのだった。これでは、ちと寂しい・・(*^o^*)

絵コンテの話にもどろう。まず、はっきりしてくることは、カメラがどういうふうに撮るか
ということだ。どこから写し始めるか。寄って撮るのか、引いて撮るのか。また、どの
ようにしたら迫力ある画面となるかなどを組み立てなくてはならない。ただ、撮り方を
決めておいても現場で思ったようになってくれるとは限らないから、一応のスタイルと
なる。その辺りが演技をもらって撮影するのとドキュメンタリーの違いとなる。

昨年は残念な結果となった。出来上がったビデオはそんなにまずいものではなかったの
だが、昼の映像が全くダメだった。とにかく、ビニールシートをかぶった太鼓台では絵
にならないからだ。晴れた日なら、輝く金箔の彫り物や美しい昼用飾り幕なども写せな
かった。また、ドシャ降りの雨の中で若連の人たちの表情は暗い。元気な人たちも居た
けれど、とにかくかわいそうだった。

さて、ことしの祭りはどんなだろうか。花見あたりから若連は始動しはじめる。私自身
も、今年の祭りにどんなことするかを組立はじめている。そういう意味で、絵コンテを
描く事は自分の取り組み方をまとめて行くことと同じで、あれこれ考えると提灯の灯り
や露店の間を処狭しと行き交う人の表情も色濃くなってゆく。

祭り囃子を聴きながら、今年の絵コンテを描こうかなぁ・・・

絵コンテの描き方

ウォルター少年と夏の休日

2005年02月05日 14時17分04秒 | マイ・ブーム
映画って、単なる映像やエンターテイメントじゃぁない。
自分の場合、相当に生き方の中に映画が影響されているのではないかと思う。
無論、映画を作るような才覚もないが、叶えられるなら映画を撮ってみたいとマジで思っている。
映画は、人生の中でいろいろと重要なシーンに登場してきて影響を与えてきたことだけは確かだ
とおもう。キザな言葉も映画のセリフから語ってしまった・・・ (/o\)  こともあった???

そういう意味では、思い出深い映画は沢山あるのだ・・・・。
ウェストサイド物語、南太平洋、サウンド・オブ・ミュージック、アラビアのロレンス、卒業、真
夜中のカウボーイ、パピヨン、チップス先生さようなら、時計仕掛けのオレンジ、卒業白書、アメ
リカン・グラフィティ、あの胸にもう一度、個人教授、スタンド・バイミー、未知との遭遇、など
など・・・。

そして、つい最近では、今を生きる、小説家を見つけたら、ウォルター少年と夏の休日。
映画はいろいろなことを教えてくれる。行けないところへも行けたような感じにしてくれるし、又
手軽な人生道場であるかもしれない。
最近、年配の方の話すことに非常に興味がある。
何ゆえか・・・それは知れたこと、自分の老いへの準備とでも書いておこう。
老人の話すことは、いつか自分が語ることになる ことば なのだから。
 
ウォルター少年と夏の休日

小説家を見つけたら

すぷりんぐ・はず・かむ・・・

2005年02月04日 13時23分43秒 | マイ・ブーム
いやー、春だねぇーっ・・・
まだまだ寒いけれど、ファッションの世界は春一色。(*^o^*)

ところで、Hおじさんに見られちゃうかもしれないけれど、昨日届いた通販のカタログを
見ていたら、女性の下着のページがあって、見入ってしまった。
空、きれいのなんのってない。
昔から、ずっとこんなに女性の下着って綺麗だったのか・・・ってね。
そういうのを纏う女性にお目にかかれなかったのか?
あるいは、最近になって、そういう見事なものが売り出されたのか。
多分、私が知らなかっただけ・・・・なのだろう。

女性の下着メーカーにトリンプとう会社がある。こちらの会社が提供している、スクリー
ンセーバーが素晴らしい。毎年、同社のキャンペーンガールが選ればれて、ページを飾っ
ている。それは見事・・・フラッシュも使われていて、一度ご覧あれ! 
> トリンプ 

本日の話は下着の話ではない。
川柳の話をしたかったのだ。この、トリンプとう会社がイベントとして行っていたものに
下着に関する川柳が秀逸だった。著作の関係で掲載することはできないが、女の心を上手
に表現した素敵な川柳が多かった。そして、楽しいし夢があった。
でも、この企画はオシマイになってしまったようだ。

川柳の元祖といえば、第一生命で今も続いているのは、サラリーマン川柳である。
こっちは、世相を反映して・・・うーん、なるほどと思ってしまうようなものが多い。
楽しいので、こちらも是非のぞいてもらいたい。
12月に一句応募したのだが、はたして、どうなることやら・・・。
> サラリーマン川柳