ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

二本松って難しい

2006年12月01日 09時16分13秒 | 祭人
師走になった。あっと言う間の一年だったかも知れない。
お祭りの取材をはじめて5年目になるが、いろいろなメディアにも形で取り上げら
れるようになった年だったと思う。一昨年と昨年にFMふくしまの生番組に出たり
今年はテレビにも出ることになった。また、みんぽうの読者に無料で配られる「
ハイみんぽう」にも祭りの紹介者として取り上げられた。

今年、二本松にダイドーコーヒーのCMクルーがやって来て、二本松提灯祭りの
本番の様子とそれにまつわる人達の「日本の祭り・一言パフォーマンス」が行われた。
この番組は「お祭りが日本人を元気にする」というコンセプトで全国にあるお祭りに
スポットライトを当てて、CMに利用するという企画なのだ。メインキャラクター
はあのエジプト考古学者の吉村先生だ。また、この企画の中心になっているのがダ
イドーコーヒーのお祭りブログ「日本の祭り18選」なのである。(ダイドーの社長
と博報堂のシニアディレクターは早稲田の同窓生とか)

私とこのブログの出会いは昨年にさかのぼる。
聞くところによればこのブログは三年目なのだそうだが、昨年は福島県代表として
「相馬野馬追い」が選ればれていた。これに選ればれている祭りには、それぞれに
現地リポーターなるブログ担当者がいるわけだ。
二本松の提灯祭りがこ選ばれ、お祭りを紹介してもらえることになった。このことを
二本松市観光課から初めて知らされたのは今年の2月頃だったと思う。観光課では
内容をよく知らなかったハズだが「現地リポーターという役目」があるはずだから
お願いして、とこちらから頼み込んだのだった。
後は周知のとおりの二本松のお祭りを年間を通して記事をアップすることを続けた。
最低週1回は投稿するようにこころがけて半年を無事終えることができた。

このお祭りブログにはおまけがあった。CMを流す為の母体となる地元テレビ局に
よるテレビ番組があるのだ。やがてTUFの担当者が二本松にやってくると聞かさ
れ、お祭りの見所、取材をして欲しい場所などのアドバイスをした。これで終わり
と考えていた。しかし、まさか、自分が中心になって番組に出ることになろうとは
思いもよらなかった。本当に正直な話、あまりテレビに映りたくなかったのだ。

二本松と言うところは、目立つ動きをすると、その者の足をひっぱる地域性がある。
なんとか出版の仕事を続けてきた。私は自分の名前をどこにも出したことがない。
公然の秘密になってしまっているけれど、二本松では目立たないようにしていた方
がいい町なのだ。しかし、自分の志惑とはうらはらに、テレビ局のディレクターが
どんどんと二本松提灯祭りの伝え方を決めて行った。そしてそれが今回放映になっ
てあの手の形という訳である。

ディレクターの言葉そのものを借りていうと「ゆきさん、例えば、二本松の人以外
に祭りを伝える時、若宮の太鼓台だけが回転を違う方法でやっているのです。など
と言っても短い放送時間では分かってもらえないでしょう」と。その通りだと思っ
た。私のねらいは、二本松提灯祭りをメジャーにすることである。だから方法は何
でも良いと考え、大阪や東京にも出かけテレビ局の望むままの取材に応じた。
番組放映終了後メールがあって、視聴率9.9%だったそうである。私には分からない
けれど相当いい数字らしくて「社長賞モノ」だそうである。テレビ局の番組モニタ
ーの評価文書も見せてもらった。なかなかの評判だったようだ。

いずれにしても、自称「公式ウェブサイト・二本松提灯祭り」「公式・二本松提灯
祭りガイドブック・ほらどっこい」などが評価され、CMの元締めとなっている博
報堂のディレクターに目がとまり、CM対象の祭りに選出されたのだと思っている。
そして、数々の取材が半年間をかけて行われ、切り口の一味違う二本松提灯祭り紹
介番組が放映されたということになる。

只今、平成18年度祭礼のライブ版お囃子CDを制作中である。本来なら、スタヂ
オ版との二枚組みで出版する予定だったのが足並みを揃えられなかった。文化セン
ターでの公開収録、教育委員会など関係機関の同意、会場確保、収録スタッフ確保
、編集者のめどなどすべての準備がOKだった。所詮、個人が仕掛けたことに違い
はない。力不足を痛感している今日だ。

ほらどっこい>カレンダー>DVD>CD・・・新しいことにチャレンジして来た
けれど、この町・二本松では全てが難しい。