ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

100年の大計(その1)

2005年08月18日 09時03分17秒 | デジャブー
信州へ旅をしてきた。
上田、長野、小布施。35年前、10年前、5年前に旅をしたことがあるが、この
地の豹変振りには驚くものがあった。まずは、長野、上田の駅前の変わったこと。
長野新幹線、長野オリンピックがあったせいなのだろうか?
とにかく、きれいになって、数年前とは大違いだ。あかぬけた店が多くなって、観
光客も多い。それに、何よりも若い人が多いように思えた。
長野の善光寺参道の両側にはしゃれた店ができはじめ、お土産やさんも繁盛してい
るようだし、不景気の風はこの地には無縁のように思えた。昔はさびれた感じのお
寺だけだったが、勢いを感じた。
そして、小布施。町興しのモデルケースのメッカのように言われている町だが、初
めての訪問で参考になることが多かった。
私は、観光で町興しができないものかと考えている人間だが、これらの町々から見
習うことは多い。そして、貧乏旅行で土産も買わず、食い物も節約しての道中だっ
たが、数々のヒントをもらって帰ることができた。

司馬遼太郎が言ったことばを思い出した。「普遍的なものを目指さなければならな
い」である。人間の生活に必要なもの、経済が発展すること、町が生き残ってゆく
こと・・・等などの全てにこのことばがあてはまる。
そして、今回の旅で三つの町が観光客でにぎわっていたものの中には、司馬遼太郎
の言ったこのことばが流れていたと思えた。このキーワードにあてはまる100年
の大計を企てなければならない、と思う。

お土産や、名産品と言われるものに、格別なものは何も無い。「栗強めし」「おや
き」など、確かに美味しい。手ごろに楽しめる旅の味である。しかし、ヒットすれ
ば町を変えてしまう力がそこにはある。庶民が口にする菓子や食べ物は有効で、観
光地には無くてはならない。大きなお金は落とさないけれど、千円未満のお金なら
抵抗はない。それらも、ちりも積もればである。さらに、ものの見せ方にプロの手が
入っていることを痛感した。洗練されたデザイン、店舗レイアウト、人の導線な
ど、きめ細かな計画があると感じた。

「信州」ということばがブランドになっている、かな。「奥州」ではイメージが違
う。昔、サントリーの会長がくまそと違え、白河以北一山百文、とさげすんで顰蹙
をかった。しかし、同じ山奥の地方であるのに信州と奥州では違って思えるのは何
故だろうか。蕎麦も何度も食べた。会津の蕎麦の方が美味しいと思ったし、果物だ
って東北は負けてはいない。だが、そこに良いイメージがわかないのは何ゆえだろ
うか。このあたりを考え、知恵を出しあって何かを創り上げて行かなければならな
い、と思う。

小布施の中島千波美術館などは大したことはない。昭和20年生れの画家だし、桜
が有名だけれど、この美術館に収蔵されている作品は大作は4点しかなく、およそ
美術館と言えるものではない。北斎館なる展示館には多くの観光客が群がっていた。
北斎は周知のとおり幕末の浮世絵絵師だが、この小布施に縁があって山車の天井画
を二点残したようである。版画は後に買い集めたようだが、それらの素材を生かし
た上手な町興しを行っているようだった。仕掛けはうまい。そして、先にも書いた
ように、小さなお金を沢山落とさせる食べ物やさんが多いし、そういう菓子店など
の大棚が中心になって演出をしているのだった。

さてさて、素材はこと欠かない奥州二本松の行方やいかに?
超一流の日本一が沢山あるではないか。豊かな自然、美味しい果物、美しい二本松
提灯祭り、若い女性の憧れ・純愛物語「智恵子抄」、謡曲・安達ヶ原「黒塚」、日
本一の菊人形、そして、二本松少年隊。どれをとっても他の地方の人々がよだれを
流して欲しがる素材は山ほどある。

残念なことに、どれもこれも生かされていない。

行政と市民を繋ぐもの(新二本松市の場合)

2005年08月09日 09時38分43秒 | 祭人
今年年末には合併による二本松市が誕生する。
先に「ケースワーカーが大事」という文を書いたけれど、これが不足しているから行政と市民生活が
かみ合わないのだ、と思う。

例:ふるさと村が出来たときの話し。
安達が原には、黒塚とその菩提寺である観世寺が前から存在していた。
ところが、ふるさと村を作るにあたって、行政が勝手に作ってしまった・・・と観世寺の住職から
ハナシを聞いたことがある。
現在は、ふるさと村を訪問する人はいても、本家の「観世寺と黒塚」を見て帰るひとは少ないと
いう。また、黒塚さえ知らない人もいる。
住職の話し「4号国道に以前あった、黒塚・安達が原の文字が消え、ふるさと村になってしま」と。
個人的には、ふるさと村と観世寺は共通入場券にすればいいと思うのだが、話しは簡単ではない。
ふるさと村建設の際には、行政がよく本家と話しをしなかったようだ。
だから、今は隣にあってもお互いに協力体制ができていないのだ。

この原因は何か。それは、市民生活と行政の間に入って根強く交渉を取り持つケースワーカーが
不可欠なのである。街づくりにしても、公と私を取り持つその存在が重要になってくる。
個々人は、それぞれに千差万別の事情があるからで、公の希望とおりには行かないことの方が多い
のが現実なのだ。

道路を一本貫通させるのに何十年もかかったハナシが二本松には存在する。
只今、六角川で移転などの保証が行われているけれど・・・結局、ハナシがまとまったところから
工事が行われて行く。
話しを簡単に決めた人から保証が行われ、工事も進む。
しかし、保証の額や条件は、担当者は同じだと言っているけれど、同じではない。
最後までゴネた人が得をしているのだ。
事実、最後までどけなかった人に御殿が建っているではないか。

私と公を繋ぐもの・・・ケースワーカーが大事なのだ。
良く人の話しを聞かないで行政を行う者も多い。
時間がかかるからと言って、あるいは、公の利益と言って押せないケースもあると思う。
よく相談もしないで開始すると、松岡トンネルのようなことになる。
つい最近廃案になったとか、ならないとか?

亀谷ロータリーもここに来てゴネている人がいるらしい。
T字路に戻すという計画らしいが・・・なんで昔にもどす必要がある?といい始めたとか。

こんな話しはゴマンとあるらしい。
公聴会と名をうって持たれる話し合いの場は無関心、老人の集会、イエスマンの集会。
発展が無い。

さてさて、今後どうなることやら。
理想論ばかりかかげても、問題の市民生活の一人一人に耳を貸す者が居なかったら、誰がやっても
同じ結末になる。
長期的に市民を何処へ案内すかというビジョンが無い。

今年は市町選挙がある。
昔、汚職で捕まった市長が居たけれど、この人の選挙事務所に出入りする古参の老婆が言っていた。
「○○さんは仕事するわよ」と。1期は無難に前任者の仕事を処理したが、2期目で本性が出た。
今年出馬すると言っている人たち。
何ができるんだろう。どんな実績があるのだろう? 注目したい。

ラジカルに行政を変えることが出来るのは首長しか居ない。
市議会議員では何もできない。
新市民はどんな人を選ぶの かな?