ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

残るもの、変えるもの(二本松提灯祭り) その1

2005年12月16日 09時11分31秒 | 祭人
今日の祭りが私たちの目の前にあるのは、先人たちの熱い思いによって残されて
きたからあるのだ。形はそれぞれ違うとも、伝統を大切に守るという意味をその
時代の人たちが真摯に受け止めて実行してきたからに他ならない。
そういう先輩に敬意を表さずにはいられない。
決して学者が居たり、特別の人たちが居たというのでもない。
生活と共にありながら「祭りは大切なもの」として格別な扱いを続けたからであ
ると思う。

七つある町内はそれぞれ競い合って来た。
「他町に負けたくない」という祭りに対する意識の結果が洗練された祭りを作り
上げてきた。祭りのアウトラインとディテール、祭りのしきたり、粋さ、などな
ど、祭りに係わる全てのものに対して「変えない、変えよう」の問答が繰り返さ
れて、有形無形に係わらず時代とともに進化してきたのだ。
そして、そこにあるのは一貫して存在したのは「本物志向」だったと思う。

当たり前と言えばそれまでのことだけれど「提灯には電球を使わない」「お囃子
の練習を欠かさない」「屋台(太鼓台)の維持管理を徹底する」など、脈々と受
け継がれて来たのだ。決して豊かではない東北の一地方にありながら・・・。
他の祭りの存在意味がそうであるように「一年の思いをぶつける祭り」であって、
ありとあらゆる社会情勢の中でも続けられて来た祭りなのだ。

それは、時には意気消沈する人々の心を支えて来た。また、意気軒昂なときには
さらに地域の力となって社会を盛り立ててきたのだ。
何かある度に「太鼓台を出せ」となる二本松の人々なのだった。

私たち、今の時代に生きる者たちにとって、何をなすべきなのだろうか。
激しく変動するこの状況の中で、私たちの役目は何なのだろうか。
それこそ、先輩たちが「ただ浮かれて酒を飲んで祭りをしていた訳ではなかった」
ように、次の世代に受け継ぐということは何かを真剣に考えたい。


二本松提灯祭りDVDの編集

2005年12月01日 14時12分32秒 | 祭人
昨年、平成16年の二本松提灯祭りは雨にやられた祭りだった。
初日、宵祭り(10月4日)はけっこう雨が降ったが、ビデオ画面で見る限り
さして激しい雨には見えなかった。
実際のところは、出発式・5時半頃は小降りで雨が上がりそうな気配だった。
しかし、午後7時・根崎見付あたりで最も雨が強かったように思う。
提灯というものは霧雨のような雨の降り方はさして問題にならない。
ロウソクの熱によって提灯の表面は乾いてしまうのだ。
しかし、強い雨になれば、コーティングしてる和紙にも雨水が浸透してきて、
だんだん提灯が伸びてしまう。
二本松提灯祭りで使用している提灯は1個3500円くらいだ。
だから、300個やられてしまうと100万円くらいの出費となるから、主催者
としては、町内の財産でもあるわけだから、濡らさないように願い、気が気でな
いわけである。

そういう意味では何とかなった昨年の宵祭りだったが、次の日の本祭り(10月
5日)はどうしようもなかった。太鼓台を曳き回している若連達は我慢している
ようだが、肝心の映像となると問題があった。
太鼓台が濡れないようにビニールのシートで全体を覆ってしまったし、さらには
祭りに出ている人たちは傘をさしての登場となる。
つまり、絵にならなかった訳だ。

撮影をした人から、もったいないから何とかビデオにしましょう、との話をもら
ったけれど、発行責任者としては、断行する勇気が無かった。
昼の映像がまともでない訳だから、出して「こんな絵じゃいやだ」と言われたく
無かったわけである。
つまり、そういう訳で昨年はDVDの出版を涙を飲んで我慢したわけだった。

二年分の内容を凝縮した内容に完成した。
DVDのメディアの都合上120分の映像にしなければならなかった。
撮影時間は総延長時間で17時間になった。
編集者につきっきりで枝葉を払った。
枝葉と言えども、貴重な映像ばかりである。
すばらしいシーンも捨てた。
ギリギリの画面で内容の濃いものになったと思う。

まる二日間の編集の立会いは、慣れていない私にとって、本当に辛いものだった。
小さなモニタで、名場面の生き死にを決定すること、そして、何よりも経験の無い
私は時間が経つに連れて疲れが蓄積して行った。
最後のテロップを確認するところが疲労のピークで、ご協力頂いた方々のご芳名を
間違えてしまったり、抜けてしまった方があった。
本当にごめんなさい。

改めて言うのもなんだけれど、
二本松提灯祭りは、やっぱりスゴイ祭りです。
提灯の美しさ、お囃子のすばらしさ、数々の名場面が豊富にある祭りです。
そういうものを、確実に伝えたい、あれもこれも伝えたい。
自分は、何度見ても熱くなるのでした。

誰かが言っていたすばらしい言葉・・・

「自分が熱くならなくて、その熱を伝えられるハズがない!」と。