ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

町づくりは町育て

2006年12月15日 09時16分06秒 | マイ・ブーム
町づくりのセミナーに参加してみた。
二本松商工工会議所で12日開催された、弘前大学教授・北原啓司講演会である。

はっきり言って、カルチャーショックを受けて帰ってきた。
私の行っているプロジェクトの今後の行く末を大きく変えることになるかも知れないと思うくらい、
内容のある講演であったと思う。 >弘前大学・北原啓司研究室
他の人の受け止め方はどうかは分からないが、今、自分の行っている事の方向性は間違っていないと
いう裏づけをもらったようにも思えた。
私の最終着地地点は、以前から言っているように、お祭り会館の建設にある。そして、それは只の
入れ物を作ということではない。つまり、中身であるソフトが重要なことであり、だから、二本松
提灯祭りをとりまく歴史や形態などについての研究から入り、多くの人に本当の祭りの姿を知って
もらうことから始めようとスタートした訳であった。

さて、今回の講演の内容については友人・仁さんのブログ(まち・もり・ひと)で詳しく述べられているので参照して欲しい。
私が説明するより正確で取りこぼしがないからである。

かねがね町づくりの話が出るたびに話すことなのだが、町づくりに対して国がお金を出す仕組みに
は二種類あったと思う。(古いデータで古い呼び方を勘弁願いたいが)ひとつは、通産省型で、もう
ひとつは建設省(国土交通省)型だと思う。先は、町興しには商売が重要、従って、商売のあり方な
どについて地域頑張っている人や団体に予算を付けて使わせた。後は、道路や公園などの社会資本を
充実整備することによって人々の生活の利便性や安全性を高めて地域を復興させようという形である。
先のよい例が長浜で、後のよい例が彦根である。どちらの事例も距離が近いので一緒に町づくりの実態を
調査、比較するのに使われているようである。

さて、どちらが賑わっているか・・・というと、成功例の代表格「黒壁で有名な長浜」である。
半径500メートルの地区に多いときは100万人以上がやって来たという。
私は、先に上げた通産型である長浜スタイルを二本松でもやりたいと思ったことがあった。二本松で
いうなら丁度裏町くらいの通りの太さである。ここに大勢の人がバスを仕立ててやって来る。目的は
黒で統一された商店郡と核となっている銀行後を改装した黒壁スクエアのガラス美術館なのだ。

後の彦根はどうかというと、建設省型なので道路を広くした。彦根城の大手門からまっすぐに伸びる
道路が整備されて広々とした空間と綺麗に整備された町並みが続く。ガソリンスタンドから新聞店、
郵便局、衣装屋まで和風の銀黒瓦の整然とした町並みである。だが、人の賑わいはない。

この情報を10年以上も前、福大の先生から聞いて見に出かけた。
そして、この先生の持論は「道路を広くして賑わいを回復した事例は日本にひとつもない」であった。
だから、町興し、町づくりをするには通産型だと思っていた。

さて、今回のセミナーの要点は、私のつたない解釈だが、建設省の考えか方に変化があり、予算の付き
方も変化したのだということである。つまり、道路や公園整備に金を出すことから、町づくりの考え方
などの研究や仕掛けづくりのソフト開発などにも金が、あの建設省から出るようになったということと
思った。しかも、その出し方は国が考えるのではなく、予算を要求する側が考えねばならない。先生の
言葉を借りるなら「物語にお金がでる」という。

だが、町づくりを地道に続けている人達の苦労は多いと思う。どんなに近代的な手法をもってしても、所詮は
人々の生活について入り込むわけだから一様に行くわけがない。それぞれの対象者について、それぞれ
の事情があり、それの一つ一つにそれぞれの対策が必要なのである。だから、最前線でそのすり合わせ
を押し進めるには大きなエネルギーと情熱が必要になってくる。人々はその情熱にほだされて重い腰を
上げてくれるだろうし、対策に応対している人の熱で熱くさせられて動いてくれるのだと思う。だから
その二つの要因を持たない人がいくら関わっても失敗に終わることが多いのである。そういう意味で
また先生の言葉を借りるなら「町づくりは町育てである」と。

今回は、そういう情熱があり、多くのエネルギーを持った人達の話を聴くことができたセミナーであった
と思う。はたして、この二本松で何をするべきなのかである。多くの示唆をもらって、また少しだけ前に
進めそうな気持ちになった。機会があったら北原啓司教授の話をもう一度聴いてみたい。