ゆきさんのブログ

元お祭りオヤジの周辺・・・

紙一重

2007年02月10日 10時09分57秒 | デジャブー
友人に絵描きが何人かいる。

絵描きとは、独創性を追い求めることに命を懸けている。
経済とは無縁の世界だ。いや、対極と言ってもいいかもしれない。
他人がやってきた路線を行くことは亜流である。
どこまで行っても、結局、前人の亜流で留まることになる。

線や色、形、構成など、人の踏んだことのないものを
追求し続けている。だから、常人では考えられない事をする
こともある。狂気とギリギリの境まで行くこともある。

新宿の画廊でのこと、友人の個展に別の絵描きがやって来た。
最初は和気藹々の感じだったが、事が本人の芸術の核心にふれると、
やおら喧嘩になった。殴りかからんばかりの虎と竜といったところ
か。酒席に移っても論争が続き、話は夜明けまで続いた。

絵描きになりたいなどと思ったことがあったが、本物達に出会って
鉾を収めることにした。
彼等のように常識を覆すような信念を持ち続けることができないと
思ったからだ。例えば、鉛筆1本でたたみ10枚もあるような
大画面に延々と真っ黒にするまで線を描き続けられるだろうか。
来る日も来る日も・・・。同じような絵だが、倉庫いっぱいに
なるくらい書き続けている。

ある抽象作家が「これは何を描いたのですか」という問いに「何を
描いたかわからないように描いた」と。半分冗談ともとれるが、
本人は真面目にそう答えた。
「うちの孫でもコノくらいは描く」と言われるような幼稚に見える
絵もある。だが、それを一生かけて描き続けることができるかと
いうことである。

独創とはおそろしい。
孤独だし、家族に見放されることもある。
経済観念をもった瞬間に絵がダメになることもある。
厳しい。

絵描きを育ててこそ、本物の画商なのだが、その数は少ない。
画商などとは簡単に言える職業でもない。
絵を少し抱えても単なるその絵描きのファンに過ぎない。

その絵描きに何をしてあげたかが問題だ。
そういう意味で、私は画商ではなかった。


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