堤幸彦の2018日記

空趣味、日記など
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夜明け

2009-01-10 06:27:12 | 日記


 



ここ数日



毎朝5時には目が覚める



そして猛烈に空腹になる



夕方はめちゃくちゃ眠い



時差ぼけ?



そんなに何日も(外国)行ってないのに・・・



老人化?



ありえる



今日も澄んだ冬の夜明けが目前に



ピンクに縁取られ発光する雲が美しい



音楽家なら曲でもかけそうな・・・・



 



 



6日



とんでもない一日が始まった



朝、大量の宝くじの『あたり』を近くの銀行の横のくじ売り場にてチェック



あまりの量の多さに窓口のおばさんも



「・・・けっこうかかりますよ・・・・」



「・・・お、お願いします(だって見に来たんだからさ)」



そして自動読取り機の“高額当選”の表示を睨む



(外に見えるようになっている)



ややあって目の前にタクシーが止まり



やはりジャンボくじの束を持った運転手のおじさん来る



おじさん「(おばさんに)当たり見てよ~」



おばさん「あ、前のお客さんがたくさん持ち込まれたんで、けっこうかかりますよ」



いいじゃねえか、そんなことはっきり言わなくても、悪いのか・・と思ったが一応申し訳なさそうに微笑む私



おじさんも「(もう来ちゃったからしょうがねえ)・・」とばかり私を一瞥し無言でたたずむ



そしてじっと私の“高額当選”の表示を睨む



「もし俺の前に“高額”当たったらただじゃおかねぇ」



猛烈な寒さもあいまってそんな気迫が感じられる  



いやな緊張感



と数分して



「当たり見てや~」



「見てくれる~?」



と主にご年配の方々、なぜかわらわらと大集合で列を成していく



なんじゃこりゃ



どうやらその日その時間自動読取り機の解禁だったようだ



(当選発表後数日後にオープンするキマリ)



そんなことも知らず一番に並んでしまった時差ぼけの私



自分だけが独占すべき“高額”の表示を衆人環視され・・



約15分後、結果、“幸い”にも大はずれ



人々の恨みを買うことも無くつつがなく終えたのでありました



っておいっ!



いい加減に当たってくれよ!2億円!(バラだからね)



 



 



で、そのまま徒歩で用事をいくつかこなし



近所のスーパーで納豆やらねぎやら野菜ジュースやら買っていると



なにやら見覚えのある御夫人を見かける



あれっ?



つい最近会った方・・・誰だっけ?



なんだかすぐ近くにいたような・・・・誰だっけ?



と、急に記憶が甦った



なんとNYからの帰りの飛行機でに私の隣に座ってらっしゃった御夫人ではないか!



まさかの偶然



先方もなんとなく気付き、お互い



「あれ?あれ?」



「・・・お隣の・・」



と指差し確認



離陸時に頭上の荷物入れが突然開いたことに私が気付き



その真下にいらっしゃっただんな様(たぶん)に御夫人越しに危険をお伝えしたことでなんとなく顔見知りに



その後、14時間わずか10センチの距離にいたわけで・・・



そんな偶然あるのか・・・とお互い驚き



御夫人「お近くですか?」



私「はあ・・・奇遇ですねえ・・」



丁重にご挨拶させていただき



不思議なこともあるもんだ・・・と歩き出す



ぶら下げた袋のねぎも所在無く・・・



 



その後



いろいろ“問題”発生



夕方まで電話の連続



 



夜、煌く赤坂サカス、人々が大勢行きかう地下の喫茶店で打ち合わせ



 



その後



同じ赤坂、とある居酒屋で専門学校東放学園時代の恩師を囲んでの同窓会(つーか当時私が作っていたサークル関係の)



50絡みの男ばかり10数人



1977年から二年間お世話になった学校だ



まだ“学校法人化”されておらず各種学校だったが



その恩師のおかげで1970年代のネガティブな喧騒から抜け出すことが出来た



本当の「社会の入り口」だった



そこにへんてこな、でも健全な精神を持った連中が集まっていた



皆、一様に前向きで、貧乏で、何の『後ろ盾』もなかった



自分の頭と体だけでサヴァイバルしてやるんだという気迫が渦巻いていた



私は無軌道で緊張感溢れる大学からドロップアウトし、かなり疲れていたが



その恩師と仲間に出会って本当に癒され救われたのだった



よし、やるか・・という気になった



それから30年



なぜか恩師と皆に無性に会いたくなって



一番の仲間A氏(大手制作会社重役)に連絡



この日の宴会になった



中核メンバーだった数人



最初に就職した制作会社時代の後輩



NYに共に住んだこともある後輩



顔を見れば“あの頃”を瞬時に思い出せる男達



そして



ホンモノの粋な江戸っ子で



ビートニクスで



今にも「ふざけんじゃねえ、甘いんだよ、お前ら」と怒りそうな恩師



楽しかった



飲んだ



気がつくと2時を回って・・・



 



それぞれ30年間で風貌は老けたが



『本質』は微塵も変化がなかった



もちろん社会から勝ち得たものある



失ったものもそれ以上に大きいだろう



なにしろゼロから始めたのだ



しかし一様に「体一つで生き抜いてきた」タフさが溢れている



そして「楽しんで」いる



何よりだ



力をもらった



また前に進もうと思った



皆さん!ありがとう!



がんばろうね!



そして



先生!いつまでもお元気で!



また宴会しましょう!



 



長いとんでもない一日が終わった



 



 



7日



8日



9日



毎日白金のスタッフルームに午前中に行き



「最終章」の編集指示を出し



『編集家族』で昼食を食べ



(七草粥やら温そうめんやら焼きうどんやら豚汁やら、APクスの努力が光る)



午後はのんびりしたり



次の企画のために超メジャーロックバンドに光栄にも会わせていただいたり



演出家の“生き神”テリーさんと雑誌で対談させていただいたり(映画のキャンペーンが始まったのだ)



充実した一年の始まり



宝くじははずれおみくじもイマイチだったが



気分は清涼



前向きだ



 



 



2009年



始まった 



 



 



 





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