ちょこちょこ帳

ちょこちょこした物やおもしろい物を中心に、気が向いた時に更新していきます。

眠れない話

2019-12-04 18:11:15 | 日記

11月に入ったあたりから、
全然眠れなくて。
身体は疲れてるし眠気もあるのに、
ずーーーっと意識があって。
旅行の前日や当日、
あとは日曜日の夜などは
睡眠剤を飲んでますが、
普通の平日とか出来るだけ飲みたくなくて、
飲まずに頑張ってみるんだけど、
気づけば2時で、その時間に飲むと日中眠くて
死にそうなので、結局そのまま朝を迎えて・・・
だいたい一週間に3,4回くらいは薬の世話になってて、
そのうち飲んでも眠れない、という恐怖の状況に。
そうなると、仕事に支障が出ないわけなくて。
ずっと眠いわけじゃないけど、何度か襲ってくる睡魔に
負けそうになり、ほとんど白目状態(笑)
頭もフラフラするし、日中、こんなに眠いんだから、
さすがに今晩は眠れるっしょ?
と、早めにお布団に入っても、寝れない・・
こうゆうとき、誰かに相談すると、
「眠れないっていう状況にまずなったことがないわー
私、どこでも寝れるからー
若いのに睡眠薬なんて・・・」
と言われてハイ、終了ってことがほとんどで。
私の周り、快眠さんが多いみたいで。
そんな人からしたら、
私が眠れないことなんて、
「あ、そう。だから何?」
くらいのことなんだと思う。
私も私で、理解してもらえない人に話したところで
同意もしてもらえないし、
ただの不健康ですぐ薬に手を出す弱い人、
なんか悩みが深そうで神経質で気持ち悪いわー
なんて思われてるのかも。
だから、できるだけ誰にも言いたくないとは思ってるんですけど
そして、眠れなかったから居眠りするかもしれませんよ、
寝不足なので仕事をミスしても許してくださいね、
なんてことは思ってないけど、
そういう風にとらえる方もいてるかもしれないし。
眠気があるのに眠れないって、やっぱり精神的なものが大きいのかな
まずはミーシャの体調が不安定なこと、
布団に入って体が温まるとあちこちかゆくなって、
掻いて痒みが治まったと思ったら、
今度は違う箇所が痒くなって…
で、結果、ずーっと掻いてたら眠気もどこへやら…
あとは、仕事への不安とかモヤモヤかな

仕事に対してそこまで悩んでる訳ではないけど、このまま眠れなかったら仕事に支障が出る、そんでミスしたら怒られる、だから寝なきゃ、
と無意識に自分を追い込んでるんだと思います

本気で、睡眠外来とか行った方がいいのかしら?
なんかマジで脳の病気とかだったりして?

とか考えてしまいます

精神をうまくコントロール出来ない自分が情けなくて、大嫌いです

なので、週1か2のペースで、薬のお世話にならずにぐっすり朝まで眠れた日は
飛び上がりたいほど嬉しい



えらいこっちゃ…

2019-11-07 17:42:22 | びょうき

10月1日より、久しぶりに働くことになりました。
病気で休職し、
辞めざるを得なかった元職場に復帰できる
チャンスが到来し、
6年ぶりに復職できることに。
これで、後ろめたさを感じることもなく、
思いっきり
遊べるでーーーーーーっ!!!
って、いやいや。結構思いっきり遊んではったやん??
てことは置いときまして。
仕事のことはまた今度お話するとして・・・
それより、アトピーがぶり返し、
酷いことになっています。
ある先生との出会いがあり、
これまでのステロイド治療を否定され、
いわゆる脱ステというやつにチャレンジしていました。
で、一向に良くならず・・・
悪くなる一方で。
それでも、「この辛い時期を乗り越えたら楽になれるんじゃないか」と、
ボロボロの肌に悪あがきの保湿を繰り返し、
(自分でも気持ち悪くて)鏡もまともに見れない
状態にも関わらず、試合前に脱水症状を起こしながらも減量するボクサーのように、
ストイックにひたすら、耐えていました。
それほど、ステロイドやプロトピックに頼らずに自分の力だけで治したいという、
以前と同じ呪縛に支配されていました。
顔は赤く腫れあがり、
目もまともに開けられず、
皮はどこもかしこもむけまくって汚らしいし、
こんな顔でよく会社に行けてるなぁと自分でも感心したくなるほどでした。
それでも、薬をやめている間は、
変な達成感があって。
あの、得体の知れない強い力で、自分の皮膚がコントロールされることなく、
自然の元の状態に戻っていってくれてるという、変な達成感と、なんとなく
浄化されるような気持ちで。
でも、願いとはうらはらに、
日に日に悪くなっていく。
恐怖です。でもこんなことで仕事を休むわけにもいかず。

誰にも見られたくない、人と目を合わせたくないような状況で、
なんとかマスクで顔を隠し、
誰かと会話するときもなるべく目を合わさないようにして。

誰にも会わないように1階下のトイレに1時間おきに行き、保湿剤を塗りまくる毎日。
まゆげなんて書けないしお化粧すらできなくて、ワセリンでテカテカでまっ赤っかの顔で・・・
精神的にかなり辛かったです。
ていうか、今も現在進行形なんですが。
さすがに限界を感じ、プロトピックを塗ることにしました。
この一か月、何やったんやろう・・・
これからうまいことお薬と付き合って、
うまいことサヨナラ
できたらいいなぁと思っています。

難しいのよサマーカット

2019-09-06 19:37:00 | ニャンコ
たまには楽しい記事もあげなければ(笑)

はにちゃん、去年の8月3日に保護したので、
我が家に来て1年経ちました。

長毛さんなので、この夏の猛暑を少しでも快適に…と思い、犬猫用のバリカンを買いまして。

調べた所、全身カットしてしまうと、
体温調節が出来なくなって、身体によくないみたいで。
お腹周りとお尻周りと肉球の間の足毛?(我が家ではボボ毛と呼んでいる)だけで
いいらしい。

志村どうぶつ園で相葉くんが上手にワンちゃんを
トリミングしてる映像を参考に、
なんとかやってみたけど、難しくって。

乳首さんを削ってしまいそうになるんですよね。

一応こんな感じです。

施術前


施術後


全然あかんやん(笑)

ちょっと整えて、


まぁまぁこんなもんでしょう。

バリカンの音が怖いみたいで、
逃げたがるのでこれ以上は出来ず。



まだ残暑が続くけど、
2匹とも今年の猛暑をなんとか乗り切ってくれて
一安心の我が家です

遅くなりましたが

2019-09-06 18:30:58 | 日記
相変わらずご無沙汰しております。
残暑厳しい9月ですが、皆さまお元気でしょうか。

もう3ヶ月ほど経ちましたが、
叔母が亡くなったごたごたの、余談の愚痴話です。

亡くなる2ヶ月前の3月中旬、母の兄である叔父は、
奥さんの実家である宮崎に帰省していました

奥さんの両親がかなり高齢で、最近認知症が
進行してきたこともあり、
半年に一度は約1ヶ月ほど帰省するのが
通例でした

でも今回はいつもより長く、
元々5月末に戻ってくる予定で。

でも、4月末に叔父からしたら妹の叔母が
余命1ヶ月と分かり、なんとか早く戻ってこれないかと連絡したんですが…

返事は、帰れない、と。

なんかよっぽどの理由があるのかと
思いきや、

安い飛行機で帰りの予約も抑えてあるし、
今更キャンセル出来ない、と。

いやいや、出来るやん。

妹が生きるか死ぬかの時に、
キャンセル料ケチるんかい。と。

で、母や叔母の夫が説得しても、
そんな簡単に死ぬわけない、と。
まだ大丈夫や、と、全く根拠のない言い訳をして、戻ってこなくて。

で、いよいよもうあと2日持つか持たないかと
いう状況まで迫った時、
当然戻ってくるだろうと思い連絡したら、

驚いたことに、

「点滴止めたらあかん
点滴止めんかったらまだ生きれるハズや」

と、意味の分からない事を言ってきて、
帰阪を断ってきたんです。

要は、自分が帰る5月末まで何とか叔母の
命を持たせて、自分の面子を保ちたいという、
自分本位でくだらないプライドで、
意見を通そうとしてきました

近所に住んでおきながら、一度も見舞いに来なかった叔父は
叔母がどういう経緯でここまで病状が悪化して、
どんな治療を施されているかも、全く分かってないくせに、
点滴を止めるなとトンチンカンな発言に
私達は呆れかえって言葉を失いました

そして、叔父は帰ってこないまま、
叔母は亡くなり、訃報を聞いて慌てて
戻ってきたのです。

帰れるやん。帰ってこれたやん。

で、弔問には来たそうなのですが、
お通夜の日、会館に着くと、
居ないんです。叔父が。

恐る恐る叔母の旦那さんに聞くと、

「今日のお昼電話が有って、お通夜に来れないって…」

は??

は???

意味が分かりませんが??

理由を聞いたら、ごにょごにょと聞き取れないくらい小さい声で何か言い訳をしてたとか…

もう、ここまできたら怒り通り越して恐怖で、
私と母はお通夜の間中、モヤモヤしっぱなしでした

で、後から聞いたら、最後の最後、
夜遅くに叔父といとこのお姉ちゃん2人で
お通夜に現れたそうで。

現実を受け入れきれなかったのか、
最初は断ったけど、お姉ちゃんに諭されたのか、
遅くにやっと来たらしく。

まぁ、なんだかんだ言って来たんなら
許してやろう、という気持ちで、翌日。

葬儀です。
遠方の私達がギリギリに到着したら、
また居ないんです。叔父が。

嫌な予感がしてたら、叔母の旦那さんが
寄ってきて、
「お兄さん、今日は来てくれるけど、
お骨あげは行けないって…」

へ??
何で???

お骨あげって、身内からしたら辛く悲しいもんですよね。
でも、それはみんな同じですよね?

70超えたおっさんが、現実逃避で
みんなを振り回しまくりで。

いやいや、そんな悲しいなら、妹のこと大事に思ってたなら、なんではよ帰ってこんかったん?

私が母の立場やったら、叔父に詰め寄ってたと思います。

で、またもやモヤモヤしたまま葬儀が進み、
叔父も少し改心したのか、帰らずに火葬場まで
行くことにしたようで。

当人しか分からない、悲しみ、苦しみ、
当然あるとは思いますが、
それでもなんとか周りを巻き込まないように出来ひんのか、って思ってしまいました。

私はいとこのおばちゃんも大好きだし、
いとこのお兄ちゃん、お姉ちゃんも大好きだから、
昔はよくおっちゃん家の子供に生まれたかった、って思ってたんだけどなー…

今ではいとこのお姉ちゃんも自由奔放な叔父に辟易し、なかなか大変そうです…

今年の春かな?一人で山に行き、
遭難しかけて警察のお世話にもなったそうです。

で、四十九日にお参りに行った時、
叔母が亡くなる2日前の写真が、
引き伸ばされて飾ってあったんです

そしたら叔父が、叔母を指差して、
これ、誰?と私に聞いてきました。

車椅子に乗った叔母が、病院の中庭で
旦那さんと最後に撮った2ショットです

頰は痩せこけ、顔色は土気色になった叔母の
顔が、分からなかったようで。

そのしんどかった状態を見てないから、
別人だと思ったらしく。

思わず私は
「何をゆうてんの!○○おばちゃんやんか!最後こんなんやってんで」
と、声を荒げてしまいました

そしたら叔父は取り繕うように、

「この写真、写り方おかしいわ。逆光やし」

と言い放ち、おばちゃんの変わり様を認めなかったんです


この何ヶ月かで、叔父に対する見方が180度変わってしまったのはいうまでもない…

年は取りたくないな、と思う今日この頃、です

長々と、失礼しました。








色々有って思うこと

2019-07-19 18:28:11 | 日記
かねてから、がん闘病中だった叔母が、
5月の中旬に亡くなりました。

私と同じ子宮けい癌からの肺転移、再発、
肉腫という希少がんが原因とされる
腹膜播種、リンパ浮腫と、去年辺りから、
入退院をずっと繰り返していて。

私の方が一年先に病気したこともあり、
最初はえらそうにアドバイスしたり、
一応経験者として相談に乗ったりしていましたが、
おばちゃんの方がかなり深刻な状況で、
私の経験談と知識だけでは太刀打ち出来ないと
分かってからは、
あまり余計な話も出来ないし、お見舞いに行っても顔色を伺ったり必要な物を調達するくらいで
精一杯で。

こういうのがん患者あるあるかもしれないけど、
入院中でも同じ病気の方と出会う機会があっても、
自分より相当状態が悪い人や、
逆にとても軽くてすぐ退院出来るような人だと、
お互い何となく気まずさ、居心地の悪さが有ったりして、連絡先を交換したとしても、
続かなかったりして。

私も叔母に対してそういう思いもあり、
叔母も私に対して、心のどこかで
「今は健康に暮らしてるあなたには分からない」て思いが少なからず有ったと思います。

叔母は昔から本当に大人しい人で、
子供の頃、ちゃんと会話したのって1、2回しか無かったように思います。

リンパ浮腫が酷くなってからは、
下半身がパンパンに腫れ上がり、
身動きも取れず、ひっきりなしに電話がかかってくるようになって。

ティッシュがあと1枚しかない

歯磨き粉が切れそう

ゼリー買ってきて

パジャマ買ってきて

下着買ってきて

パジャマのズボンのゴムを入れ替えて

などなど、
要望が止まらなくて。

息子2人は関東で働いていて来れない、と。

旦那も仕事があるのと、下着関係は分からないから、と。

そして、うちの母に要求してくるということは
必然的に私か姉がモノを調達し、病院に持っていくにも母をどちらかが連れていかないといけないのです。

近所の病院だとしても大変だったと思うのですが、
病院の場所は西宮でした。

特にパジャマのゴムに関しては
何度もダメ出しをされ、
LLでもだめ、2Lでもダメ、メンズサイズの4L、5L…、と、腹水が溜まるたびに
だんだんキツくなるらしく、専門店を
探し回りました。

そして、そういう経費は全て母が払っていて。

いくらやった?

また今度まとめて払うわ、

といったやり取りもなく、

やっとの思いで調達して持って行っても、

「こんなんゆうてたんと違う!
私こんなん買ってきて、てゆうた??」

と、感謝どころか半ギレされたこともあり…

今思えば、身体がしんどくて気を遣う余裕が
無かったのかもしれませんが、

3日に1度は西宮の病院に通って、
なんとか役に立てればと頑張っていた私達も、
持っていきようのない複雑な感情に支配されていました。

4月の後半、私は長野に東京に、遊び呆けていましたが、そんな時も姉はパジャマのゴムを入れ替えたりビッグサイズのお店を駆け回ったりして、
令和に変わろうとしてるときに
自分は何をやってるんやと、
何でこんなパジャマばっかり探し回らなあかんの、と泣きそうになってたみたいで。

そんな時に、あと1ヶ月持つかどうかという告知がなされたようで、
母は泣き崩れるし、
そんな大事な時に母の兄夫婦は宮崎に帰省中で
5月末まで帰らないというし、
そしてやっぱり母は
なんとか死に目に逢いたいと思っているようで、
いつ電話が鳴っても駆けつけられるように、
待機状態の日々が始まりました。

でもそんな中、私の入院もあり。
こんな状況やから入退院も1人でやるし、
お見舞いも手術の時も来なくていいで、
といってたら、
手術終わって病室に戻ったら母と姉が待っていて。
どうやら、叔母があと2、3日と言われたらしく、
私の手術終わり見届けてから叔母の顔を見に行こうとしてて。

で、翌々日無事退院して家に戻ったら、
その日の明け方に叔母が亡くなった、と。

通夜、葬儀の前に弔問したいと母が言うので、
病み上がりだけど私の運転で叔母の家まで
行ってきました

緩和ケアの病院に移ってから10日、
令和になってから18日目の日。
本人はもちろん、周りも覚悟はしていたけど、
こんなにも急激に悪くなるものか、
そしてこんなに悪かったのか、と、
起こった事に理解が追いつかない感じでした。

亡骸を前に、母が泣き崩れ、私も母の背中をさするのがやっとでした。

病気をしてから四年間、ずっと再発、転移、と、抗がん剤の副作用に苦しみ続けた叔母が、
やっと全てから解放され、ゆっくり休める時がきたんだと思います。

お疲れ様、よく頑張ったね、と手を合わせて
唱えました。

私の入院中、叔母の亡くなる2日前に
お見舞いに行った様子を姉に聞いたら、
叔母はかなり弱々しく、起き上がるのも
会話するのもままならない状態だったらしく。

母も心の中で、生きてる姿を見るのはこれが最後かもしれないと思っていたようで。

旦那さんが叔母に、
「何かお姉さんに言っとくことない?」
と聞くと、

「あげて」

と一言。

え?何か母に手紙的なものを?頑張って準備してくれてた?

と淡い期待をしたら、
どうやら、ベッドのリクライニングを
あげて、ってことやったらしく。

そこでもしかして?
母に対して、

「ありがとう」

とかある??とまた期待したのに、

何も言葉は発され無かったようで…


これまで母と叔母の関係は、母の一方通行ばかりで、結婚してからも叔母から連絡をしてきて
くれたことがない、と。

そして小さい時からおねえちゃん、ねえちゃん、と呼ばれたことがなかったらしく。

でも最後の数々のSOSが叔母にとっての
最初で最後の、おねえちゃんに対しての
甘えであり、最大の関わり、結びつきだったのかな、と。

でもせめて最後、
ありがとうの一言、言ってあげて欲しかったなーと思う私は、ドラマの見過ぎでしょうか。

まぁ現実はこんなものなのかもしれないですね。

お通夜、葬儀でも色々有ったので、次の日記で書きます…

大愚痴警報発令なので、読んでくれる方は、要注意、です…








はにちゃんはじめての異変

2019-07-02 00:46:55 | ニャンコ
私が旅行中、色んなことがあったようで…
まず、はにちゃんの体調不良。
姉によると、あの超健康優良猫で、
小さい頃からフードを吐いたの過去に一度くらい、ご飯も残したことない、ウンチも人間並みの
ザ・お手本のようなしっかりウンチ、
水分補給もミーシャの3倍くらい余裕で飲むし、
絵に描いたようなスーパーキャットのはにちゃんが突然、
フードを何度食べても吐き、水も吐き、
大好きなチュールすら吐いてしまう状態が一日続いていると。
さらに、オシッコにも少し血が混じり、
ウンチもやらかいうえに一部血便ぽくなってて、
おまけにアゴの辺りからも謎の出血…

一体どこから手をつけたらいいのやら状態で。

とにかく私が帰ってきた翌朝、いつもの
動物病院へ向かいました。

事情を話し、エコーで診てもらったら、
どうも腸が腫れていると。
なんらかの異物が詰まっていることは確からしく。
誤飲か…
何でも口に入れるクセあるしなー…
そしたら先生が、
今から開腹手術で異物を取り除くか、
少しお預かりしてバリウム飲ませて
バリウムが腸の中を流れるか検査して
様子見るか、腸の働きを良くするお薬を
点滴して一旦お帰りになり、
その後便から異物が出てきたら
それでオッケーだし、出なければまた
連れてきてもらってどうするか考える…
と、3つの案を提案されました。

まずいきなり開腹手術はありえない、
バリウム検査も半日かかるらしいし大層なので
却下。
とりあえず点滴してもらって一旦連れ帰ることに。

このまま腸閉塞のような状態が続いて
ご飯も水分も摂れなければ命に関わるし、
結構深刻な状態ではあったんですが。

でも、去年のミーシャの危機のときとは
比べようもないくらい平常心な私達…
なんとなくはにちゃんは不死身な気がして。

頻繁に吐く以外はいつもの元気なはにちゃんと
変わりなかったので。

で、我が家に連れ帰り数時間様子を見たら、
やっと下痢ではないウンチをしてくれて、
目視した結果、ようやく飲み込んだ異物の正体が判明。

それは、はにちゃんの抜け毛を丸めてオモチャにした、抜け毛玉でした

はにちゃんはその自分の毛で出来た毛玉が
大好物で、与えると人格変わるくらい執着して離さないんです。
好きすぎて、とうとう食べてしまった…
結果、それが原因で、糞詰まり…

でも、開腹手術されなくて本当に良かった


けど、その3日後くらいにまたまた病院のお世話になったはにちゃん。
こないだアゴから出血してたの、
猫ニキビというものの前兆だったようで。

ニキビと言っても、人間のニキビとは全く違い、
謎の黒い、ふりかけ海苔のような細かい黒いカスが、拭いても拭いても出てくるんです。

塗り薬が効いたのか、早めに収まってくれましたが。不思議ー。

ニャンコにも色んな病気があるんだなぁ、と。
勉強になりました。

今はおかげさまでピンピンして、
スーパーキャットらしい健康的な生活を送っております





長野旅行からの、東京

2019-06-05 10:38:50 | 旅行
長野旅行から帰宅した翌日、
4月30日、そうです。平成最後の日に
東京へ。

香取慎吾くんが東京で個展を開催してますが、
そこで塗り絵の募集をしていて、
なんと私の作品が選ばれまして。
72枚しか選ばれない中で、
インスタだけで1万5千枚近く応募があった中で、
私の塗り絵が!選ばれたんです。

選ばれた塗り絵は、慎吾の個展に展示されるんです。
私の拙い塗り絵が、あの大好きな空間に、
慎吾の作品達と肩を並べて、 展示してもらえるなんて。
個性を出すことだけに拘り、
特に何も考えずに塗ったので、
全く自信無かったのに…
万歳して飛び上がりたいほど嬉しくて。


個展は1期〜3期に分けて開催されていて、
私は1期に観賞済でしたが、
私の塗り絵が展示されているのは
2期…
これは、神様が観に行きなさいということでしょう笑笑

ちょうど、お友達3人も別々で同じ日に
東京へ行くことが決まっていて。

しかも、私はある番組の観覧まで当たって…

長野旅行は、それもあって気持ちがふわふわしていました

選ばれたのは、これです


こういう状態で
展示されました



もう、嬉しくて嬉しくて。
普通の抽選で、コンピューターでランダムに
選ばれるのも嬉しいけど、
慎吾くん本人が、何万という作品の中から、
私の作品を選び出してくれたなんて。

実際、自分の目で展示された状態を見て、
あぁ、嘘じゃなかったんだ、
と、改めて感動…

思い切って観に行くことにして
本当に良かったな、と。

観覧も、ラッキーなことに
最前列で…

最高の気分で、令和元年を迎えることが
出来ました。

令和になっても、相変わらずアホで
ミーハーでお気楽な私のままです…


当ててくれたさとみちゃんに、
大感謝です

怒涛の5月

2019-05-31 18:49:47 | 旅行
こんにちは。
もう5月も終わり‥

毎年、月日が経つのが早い早いと申しておりますが、
この5月はほんと、駆け抜けるように終わってしまいました。

まず、前半は東京旅行からの叔母の見舞い、そしてはにちゃんの腸閉塞疑い&猫ニキビ発生で病院通い、15日から自身の小腸ポリープの手術で
入院、退院の日に叔母が亡くなり、そこから
バタバタバタと‥

体力的にも精神的にも、何かと負担の大きかった
1ヶ月でした。

まずは‥順番に、楽しいことから綴っていきます。

4月末、久々に直美ちゃんとバス旅行に。

長野県の蓼科高原で、星空ガイドによる案内付きの、星空ナイトツアー&地ビール飲み放題バイキングの旅に行ってきました。

10連休ということもあり、バスの渋滞や人ごみで
予想以上に疲れましたが、お天気にも恵まれ、
霧が峰ビーナスラインから、綺麗に富士山も拝めました


そして、待ちに待ったご夕食

ここで、なんと、
私の一番のお楽しみであった、地ビール飲み放題というBIGイベントを上回るモノが‥

バイキングの中に、蟹が!カニが!!
私の大好きなカニ足様が降臨されていたのであります笑笑

毎年、カニの美味しい季節になると、
カニをもう嫌ってほど食べたいなー
食べ放題行きたいなー

という、淡い夢を抱く私。

そんな淡い夢が叶う日が、突然やってきて、
小学生のようにはしゃいでしまいました笑笑

バイキングを欲張らず、綺麗に取り分けたいとは
常々思ってるんですが‥

カニ足様降臨を前にしたら、
まぁ無理やわなー笑笑



10本以上食べました

甲殻アレルギー気味のなおみちゃんからしたら、
鬱陶しいだけのこの食事風景‥
若干、白い目で見られました笑笑

地ビールも美味しかったし、
いやぁ、最高

そして、星空ナイトツアー。

ゴンドラで山頂まで行き、雪で足元の悪い中を
懐中電灯で照らしながら、ビューポイントへ。

この日は少し雲が多く、残念ながら期待したような満天の星空は見えませんでした。

でも、ツアーガイドさんが説明して下さってる
途中、だんだんと雲が移動し、嘘のように
サーっと星が見えだして‥

さらに、珍しく、人工衛星も見ることが出来ました。しかも2度も。

記憶に残るツアーになって良かったです。

翌日、帰りは渋滞に巻き込まれたりして
バスツアーあるあるで疲れたりもしましたが
楽しかったなー

やっぱり旅行、いいですね

救われた言葉

2019-04-08 03:22:05 | びょうき
また肌荒れのお話ですが。

プロトピックが炎症を抑えてくれることは
わかったし、怖い薬とはいえ、塗らなかったら
治らないしまたあの最悪な状態に戻るかもと
思ったら‥

それまであんなにお薬を拒否していたのが
嘘のように、惜しみなく塗り続けていました。

3月8日、関西でのコンサートで、
北海道在住のお友達のしーちゃんと
千葉のさとちゃんが遠征してくる予定で。

この、しーちゃんてお友達、
私より1つ上ですごく綺麗な子なんですが、
10年くらい前に知り合って以来、
私のことをやたら褒めてくれる子で。

直接ではなく、会った後の御礼メールで、
必ず「ゆかちゃん可愛いね」って
言ってくれて。

最初は、気を遣ってくれてるだけかな?
とか、なんか私が元気ないように見えて、
励まそうとしてくれてるのかな?
と思ってたんですが、

会うたびに必ず褒めてくれて、
お世辞などを言うタイプでも無さそうなので、
いつからか間に受けるようになって笑笑

もちろん、自分が誰からも褒められるような顔じゃないことは重々承知なので、
お許しを(^◇^;)

かなり遠距離だし年に一度会えるか会えないかくらいなんだけど、
込み入ったプライベートなことも相談して
くれたりして、
気が付けばSMAPの話題よりも
お互いの人間関係や家族の話をすることが
多くなって。

で、同性同士だけど、この子にはええ格好したい、とか、良いように見られたい、って
思ってて。

それはたぶん、いつも褒めてくれるから、
こんな汚い顔見せたらもう一生褒めてくれへんやろな、とか、
滅多に会わないのにこんな醜い状態で
会いたくないな、とか。

なので、なんとか8日までには少しでもマシな状態で、8日を過ぎたらもし悪くなってもいい、
と思い、必死で調整したんですが、
薬を塗り始めるのが遅かったのか、
それとも塗り方が甘かったのか、
神様を恨みたくなるくらい酷い状態で
8日を迎えることになってしまいました。

しーちゃんにもさとちゃんにも、
心配を掛けると思い、肌の調子が悪いことは
事前に伝えていたのですが‥

会うなり、さとちゃんは泣きそうな顔で
あー、かなり赤くなっちゃいましたねー!
と、憐れむ感じで。
自分でも酷いと思ってるけど、
他人から見ても相当ヤバイ状態なんや‥

でも意外としーちゃんはノーリアクションで。

で、そこからコンサートに、2人の接待に、慌ただしい2日間で。

なんとか楽しんで貰えて2人を見送り、
ホッとしていたら、
いつものようにしーちゃんから御礼LINEがきて、

「今日も可愛かったー

て書いてあって‥

こんな、モンスターのように人相が変わってる私のことを?可愛い?

もちろん、本心じゃないかもしれません。

でも、なんかその一言でものすごく
救われたような気がして‥

泣きました。

もし本心で言ってくれてるとしたら、
肌が荒れて可哀想な私じゃなくて、
その向こう側の本来の私を見てくれたような
気がして。

嘘か本当かなんてどうでもよくて、
こんな単純な言葉で、人って救われるんや、って、
その事が本当に嬉しくて。

ずーっと、何ヶ月も、約一年かな、
自己嫌悪と魔のループと闘っていた自分が、
少しずつ前向きに考えられるように
なったのはその言葉がきっかけなのかもしれません。

卑屈になって心も醜くなりつつあったけど、
そして年を取る度に、ついつい面倒やったり
照れてしまうけど、
誰かを褒めること、
素直な気持ちを伝えること、
侮れへんなーって思います。

私もいつかそうやって誰かを救えたらいいなぁ。


ついに手を出したプロトピック

2019-04-04 14:07:32 | びょうき
肌荒れも、全然良くならなくて、
なんとかステロイドなしで治せないかと、
どくだみ茶を飲んだり、亜鉛のサプリを
飲んだり、小林製薬の皮膚炎改善薬に
すがってみたりしましたが、
悪くなる一方で。

で、また悪いクセで、

今悪くなってるのはきっと治る前兆

という、全く根拠のないセオリーを
自分自身に言い聞かせ、ただ耐えてました。

でも精神的にはかなり参っていて、
こんな発言するのはあまり好きじゃないし
本当にその病気の人に失礼かもしれないけど、
これって鬱なんかなぁと考えてしまうほど、
全てに対して無気力になったり、
眠れなかったり、
気分が落ち込むことが多々あって。

1番酷かったのは、2月の末で、
名古屋に日帰りでコンサートに行った時です。

新幹線で帰ってるときから
ほっぺたから汁が出てて、
帰って鏡を見たら顔全体が真っ赤で、
ヤケドしたように熱くて、痛くて、
かゆくて、肌もかさぶたのように硬くなり、
最悪の状況で。

お風呂に入って布団に入っても、
顔全体から汁が止まらなくて、
悪寒がして、眠れなくて。
リンパ液が身体から出ることで体温が
下がるみたいで。

このまま死ぬのかな?なんて思ってしまう
くらい、辛くて。

泣きながら朝を迎えて。

普通なら皮膚科にすぐ行くべきだと
思いますが、
あの怖い女医の皮膚科なんて行ったら、
どれだけキツイ言葉で罵られるか‥

ただでさえ精神的にもボロボロなのに、
傷口に塩を塗られて滅多打ちにされることは
目に見えていたし、その病院でも
ステロイドやプロトピックを出す方針なのは
分かってるから、行きたくなくて。

他の皮膚科もかなり調べたけど、
もし新しい薬を出されて悪化したら‥とか考えると、怖くて。

で、何度か通ってる、優しい女医が診てくれる
皮膚科で出された、プロトピックを
使ってみようと思いました。

プロトピックは、アトピー 治療薬として
5年前くらいに開発されたお薬で、
ステロイドとは異なるのですが
劇薬で、ステロイドの強めのお薬と同じくらい
気軽には使えないお薬で。

で、それを何故私が拒んでいたかというと、
副作用で悪性リンパ腫や皮膚ガンになる
リスクが高まるという、
恐ろしい事が書かれたパンフレットと共に
処方されたこと、
まだ比較的新しいお薬だけに、
何年間使い続けてこうなった、とか、
症例がまだまだ少ないこと、

そしてやっぱり過去にガンを患ってる
私にとって、
ガンになるリスクがあるかもしれない
という薬を使うことにはものすごく
抵抗があるんです。

で、前に怖い女医に出された時、
一度塗ってみたことがあるのですが、
副作用の1つである火照りが激しくて、
すぐに拭き取って顔も洗ったのに
そこから2日間、ずっと火照りが治らなくて。

そういうところもまた怖くて、
手を出さずに治せないものかと、堂々巡りをしていました。

でも、あまりに酷い状況で、
藁にもすがる思いで、
その名古屋の翌日、顔全体に塗ってみたんです。

そしたら、翌日、
顔の皮膚がボロボロっとめくれて‥

これまで皮がめくれることは毎日のようにあったけど、今までのように白くて小さい皮脂で、
こすらないと落ちないような皮ではなく、
黒っぽい一センチ大くらいの皮が
自然にポロポロっと落ちて‥

子供の頃、海に行って背中を日焼けし過ぎて
皮がめくれた時のような感じです。

それはそれで恐ろしくて、
もう、私は女どころか人間じゃなくなったような、
ヘビにでもなったような気持ちで、
それはそれで落ち込みました。

でも、その後少しマシになったんです。

とはいえ、そんなすぐにスッキリ良くなる
ほど甘くはない訳で‥

一ヶ月くらい、プロトピックを塗り続け、
良くなったり、悪くなったりの繰り返しで
今に至ります。

でもあの、汁が出て悪寒がする、地獄のような日々を思えばかなり楽かな。

早く肌荒れからも痒みからもお薬からも
解放されたいなー。

でも、今回のことで、
悪くなったら、あれこれ躊躇してんと、
すぐ薬を塗る!
自然に、とか、民間療法で、とか、
化粧品で治るなんて思い込んだらあかん!
て、痛いほど身にしみました。

もっと良くなるように、がんばります。