ちょこちょこ帳

ちょこちょこした物やおもしろい物を中心に、気が向いた時に更新していきます。

眠れない話

2019-12-04 18:11:15 | 日記

11月に入ったあたりから、
全然眠れなくて。
身体は疲れてるし眠気もあるのに、
ずーーーっと意識があって。
旅行の前日や当日、
あとは日曜日の夜などは
睡眠剤を飲んでますが、
普通の平日とか出来るだけ飲みたくなくて、
飲まずに頑張ってみるんだけど、
気づけば2時で、その時間に飲むと日中眠くて
死にそうなので、結局そのまま朝を迎えて・・・
だいたい一週間に3,4回くらいは薬の世話になってて、
そのうち飲んでも眠れない、という恐怖の状況に。
そうなると、仕事に支障が出ないわけなくて。
ずっと眠いわけじゃないけど、何度か襲ってくる睡魔に
負けそうになり、ほとんど白目状態(笑)
頭もフラフラするし、日中、こんなに眠いんだから、
さすがに今晩は眠れるっしょ?
と、早めにお布団に入っても、寝れない・・
こうゆうとき、誰かに相談すると、
「眠れないっていう状況にまずなったことがないわー
私、どこでも寝れるからー
若いのに睡眠薬なんて・・・」
と言われてハイ、終了ってことがほとんどで。
私の周り、快眠さんが多いみたいで。
そんな人からしたら、
私が眠れないことなんて、
「あ、そう。だから何?」
くらいのことなんだと思う。
私も私で、理解してもらえない人に話したところで
同意もしてもらえないし、
ただの不健康ですぐ薬に手を出す弱い人、
なんか悩みが深そうで神経質で気持ち悪いわー
なんて思われてるのかも。
だから、できるだけ誰にも言いたくないとは思ってるんですけど
そして、眠れなかったから居眠りするかもしれませんよ、
寝不足なので仕事をミスしても許してくださいね、
なんてことは思ってないけど、
そういう風にとらえる方もいてるかもしれないし。
眠気があるのに眠れないって、やっぱり精神的なものが大きいのかな
まずはミーシャの体調が不安定なこと、
布団に入って体が温まるとあちこちかゆくなって、
掻いて痒みが治まったと思ったら、
今度は違う箇所が痒くなって…
で、結果、ずーっと掻いてたら眠気もどこへやら…
あとは、仕事への不安とかモヤモヤかな

仕事に対してそこまで悩んでる訳ではないけど、このまま眠れなかったら仕事に支障が出る、そんでミスしたら怒られる、だから寝なきゃ、
と無意識に自分を追い込んでるんだと思います

本気で、睡眠外来とか行った方がいいのかしら?
なんかマジで脳の病気とかだったりして?

とか考えてしまいます

精神をうまくコントロール出来ない自分が情けなくて、大嫌いです

なので、週1か2のペースで、薬のお世話にならずにぐっすり朝まで眠れた日は
飛び上がりたいほど嬉しい



遅くなりましたが

2019-09-06 18:30:58 | 日記
相変わらずご無沙汰しております。
残暑厳しい9月ですが、皆さまお元気でしょうか。

もう3ヶ月ほど経ちましたが、
叔母が亡くなったごたごたの、余談の愚痴話です。

亡くなる2ヶ月前の3月中旬、母の兄である叔父は、
奥さんの実家である宮崎に帰省していました

奥さんの両親がかなり高齢で、最近認知症が
進行してきたこともあり、
半年に一度は約1ヶ月ほど帰省するのが
通例でした

でも今回はいつもより長く、
元々5月末に戻ってくる予定で。

でも、4月末に叔父からしたら妹の叔母が
余命1ヶ月と分かり、なんとか早く戻ってこれないかと連絡したんですが…

返事は、帰れない、と。

なんかよっぽどの理由があるのかと
思いきや、

安い飛行機で帰りの予約も抑えてあるし、
今更キャンセル出来ない、と。

いやいや、出来るやん。

妹が生きるか死ぬかの時に、
キャンセル料ケチるんかい。と。

で、母や叔母の夫が説得しても、
そんな簡単に死ぬわけない、と。
まだ大丈夫や、と、全く根拠のない言い訳をして、戻ってこなくて。

で、いよいよもうあと2日持つか持たないかと
いう状況まで迫った時、
当然戻ってくるだろうと思い連絡したら、

驚いたことに、

「点滴止めたらあかん
点滴止めんかったらまだ生きれるハズや」

と、意味の分からない事を言ってきて、
帰阪を断ってきたんです。

要は、自分が帰る5月末まで何とか叔母の
命を持たせて、自分の面子を保ちたいという、
自分本位でくだらないプライドで、
意見を通そうとしてきました

近所に住んでおきながら、一度も見舞いに来なかった叔父は
叔母がどういう経緯でここまで病状が悪化して、
どんな治療を施されているかも、全く分かってないくせに、
点滴を止めるなとトンチンカンな発言に
私達は呆れかえって言葉を失いました

そして、叔父は帰ってこないまま、
叔母は亡くなり、訃報を聞いて慌てて
戻ってきたのです。

帰れるやん。帰ってこれたやん。

で、弔問には来たそうなのですが、
お通夜の日、会館に着くと、
居ないんです。叔父が。

恐る恐る叔母の旦那さんに聞くと、

「今日のお昼電話が有って、お通夜に来れないって…」

は??

は???

意味が分かりませんが??

理由を聞いたら、ごにょごにょと聞き取れないくらい小さい声で何か言い訳をしてたとか…

もう、ここまできたら怒り通り越して恐怖で、
私と母はお通夜の間中、モヤモヤしっぱなしでした

で、後から聞いたら、最後の最後、
夜遅くに叔父といとこのお姉ちゃん2人で
お通夜に現れたそうで。

現実を受け入れきれなかったのか、
最初は断ったけど、お姉ちゃんに諭されたのか、
遅くにやっと来たらしく。

まぁ、なんだかんだ言って来たんなら
許してやろう、という気持ちで、翌日。

葬儀です。
遠方の私達がギリギリに到着したら、
また居ないんです。叔父が。

嫌な予感がしてたら、叔母の旦那さんが
寄ってきて、
「お兄さん、今日は来てくれるけど、
お骨あげは行けないって…」

へ??
何で???

お骨あげって、身内からしたら辛く悲しいもんですよね。
でも、それはみんな同じですよね?

70超えたおっさんが、現実逃避で
みんなを振り回しまくりで。

いやいや、そんな悲しいなら、妹のこと大事に思ってたなら、なんではよ帰ってこんかったん?

私が母の立場やったら、叔父に詰め寄ってたと思います。

で、またもやモヤモヤしたまま葬儀が進み、
叔父も少し改心したのか、帰らずに火葬場まで
行くことにしたようで。

当人しか分からない、悲しみ、苦しみ、
当然あるとは思いますが、
それでもなんとか周りを巻き込まないように出来ひんのか、って思ってしまいました。

私はいとこのおばちゃんも大好きだし、
いとこのお兄ちゃん、お姉ちゃんも大好きだから、
昔はよくおっちゃん家の子供に生まれたかった、って思ってたんだけどなー…

今ではいとこのお姉ちゃんも自由奔放な叔父に辟易し、なかなか大変そうです…

今年の春かな?一人で山に行き、
遭難しかけて警察のお世話にもなったそうです。

で、四十九日にお参りに行った時、
叔母が亡くなる2日前の写真が、
引き伸ばされて飾ってあったんです

そしたら叔父が、叔母を指差して、
これ、誰?と私に聞いてきました。

車椅子に乗った叔母が、病院の中庭で
旦那さんと最後に撮った2ショットです

頰は痩せこけ、顔色は土気色になった叔母の
顔が、分からなかったようで。

そのしんどかった状態を見てないから、
別人だと思ったらしく。

思わず私は
「何をゆうてんの!○○おばちゃんやんか!最後こんなんやってんで」
と、声を荒げてしまいました

そしたら叔父は取り繕うように、

「この写真、写り方おかしいわ。逆光やし」

と言い放ち、おばちゃんの変わり様を認めなかったんです


この何ヶ月かで、叔父に対する見方が180度変わってしまったのはいうまでもない…

年は取りたくないな、と思う今日この頃、です

長々と、失礼しました。








色々有って思うこと

2019-07-19 18:28:11 | 日記
かねてから、がん闘病中だった叔母が、
5月の中旬に亡くなりました。

私と同じ子宮けい癌からの肺転移、再発、
肉腫という希少がんが原因とされる
腹膜播種、リンパ浮腫と、去年辺りから、
入退院をずっと繰り返していて。

私の方が一年先に病気したこともあり、
最初はえらそうにアドバイスしたり、
一応経験者として相談に乗ったりしていましたが、
おばちゃんの方がかなり深刻な状況で、
私の経験談と知識だけでは太刀打ち出来ないと
分かってからは、
あまり余計な話も出来ないし、お見舞いに行っても顔色を伺ったり必要な物を調達するくらいで
精一杯で。

こういうのがん患者あるあるかもしれないけど、
入院中でも同じ病気の方と出会う機会があっても、
自分より相当状態が悪い人や、
逆にとても軽くてすぐ退院出来るような人だと、
お互い何となく気まずさ、居心地の悪さが有ったりして、連絡先を交換したとしても、
続かなかったりして。

私も叔母に対してそういう思いもあり、
叔母も私に対して、心のどこかで
「今は健康に暮らしてるあなたには分からない」て思いが少なからず有ったと思います。

叔母は昔から本当に大人しい人で、
子供の頃、ちゃんと会話したのって1、2回しか無かったように思います。

リンパ浮腫が酷くなってからは、
下半身がパンパンに腫れ上がり、
身動きも取れず、ひっきりなしに電話がかかってくるようになって。

ティッシュがあと1枚しかない

歯磨き粉が切れそう

ゼリー買ってきて

パジャマ買ってきて

下着買ってきて

パジャマのズボンのゴムを入れ替えて

などなど、
要望が止まらなくて。

息子2人は関東で働いていて来れない、と。

旦那も仕事があるのと、下着関係は分からないから、と。

そして、うちの母に要求してくるということは
必然的に私か姉がモノを調達し、病院に持っていくにも母をどちらかが連れていかないといけないのです。

近所の病院だとしても大変だったと思うのですが、
病院の場所は西宮でした。

特にパジャマのゴムに関しては
何度もダメ出しをされ、
LLでもだめ、2Lでもダメ、メンズサイズの4L、5L…、と、腹水が溜まるたびに
だんだんキツくなるらしく、専門店を
探し回りました。

そして、そういう経費は全て母が払っていて。

いくらやった?

また今度まとめて払うわ、

といったやり取りもなく、

やっとの思いで調達して持って行っても、

「こんなんゆうてたんと違う!
私こんなん買ってきて、てゆうた??」

と、感謝どころか半ギレされたこともあり…

今思えば、身体がしんどくて気を遣う余裕が
無かったのかもしれませんが、

3日に1度は西宮の病院に通って、
なんとか役に立てればと頑張っていた私達も、
持っていきようのない複雑な感情に支配されていました。

4月の後半、私は長野に東京に、遊び呆けていましたが、そんな時も姉はパジャマのゴムを入れ替えたりビッグサイズのお店を駆け回ったりして、
令和に変わろうとしてるときに
自分は何をやってるんやと、
何でこんなパジャマばっかり探し回らなあかんの、と泣きそうになってたみたいで。

そんな時に、あと1ヶ月持つかどうかという告知がなされたようで、
母は泣き崩れるし、
そんな大事な時に母の兄夫婦は宮崎に帰省中で
5月末まで帰らないというし、
そしてやっぱり母は
なんとか死に目に逢いたいと思っているようで、
いつ電話が鳴っても駆けつけられるように、
待機状態の日々が始まりました。

でもそんな中、私の入院もあり。
こんな状況やから入退院も1人でやるし、
お見舞いも手術の時も来なくていいで、
といってたら、
手術終わって病室に戻ったら母と姉が待っていて。
どうやら、叔母があと2、3日と言われたらしく、
私の手術終わり見届けてから叔母の顔を見に行こうとしてて。

で、翌々日無事退院して家に戻ったら、
その日の明け方に叔母が亡くなった、と。

通夜、葬儀の前に弔問したいと母が言うので、
病み上がりだけど私の運転で叔母の家まで
行ってきました

緩和ケアの病院に移ってから10日、
令和になってから18日目の日。
本人はもちろん、周りも覚悟はしていたけど、
こんなにも急激に悪くなるものか、
そしてこんなに悪かったのか、と、
起こった事に理解が追いつかない感じでした。

亡骸を前に、母が泣き崩れ、私も母の背中をさするのがやっとでした。

病気をしてから四年間、ずっと再発、転移、と、抗がん剤の副作用に苦しみ続けた叔母が、
やっと全てから解放され、ゆっくり休める時がきたんだと思います。

お疲れ様、よく頑張ったね、と手を合わせて
唱えました。

私の入院中、叔母の亡くなる2日前に
お見舞いに行った様子を姉に聞いたら、
叔母はかなり弱々しく、起き上がるのも
会話するのもままならない状態だったらしく。

母も心の中で、生きてる姿を見るのはこれが最後かもしれないと思っていたようで。

旦那さんが叔母に、
「何かお姉さんに言っとくことない?」
と聞くと、

「あげて」

と一言。

え?何か母に手紙的なものを?頑張って準備してくれてた?

と淡い期待をしたら、
どうやら、ベッドのリクライニングを
あげて、ってことやったらしく。

そこでもしかして?
母に対して、

「ありがとう」

とかある??とまた期待したのに、

何も言葉は発され無かったようで…


これまで母と叔母の関係は、母の一方通行ばかりで、結婚してからも叔母から連絡をしてきて
くれたことがない、と。

そして小さい時からおねえちゃん、ねえちゃん、と呼ばれたことがなかったらしく。

でも最後の数々のSOSが叔母にとっての
最初で最後の、おねえちゃんに対しての
甘えであり、最大の関わり、結びつきだったのかな、と。

でもせめて最後、
ありがとうの一言、言ってあげて欲しかったなーと思う私は、ドラマの見過ぎでしょうか。

まぁ現実はこんなものなのかもしれないですね。

お通夜、葬儀でも色々有ったので、次の日記で書きます…

大愚痴警報発令なので、読んでくれる方は、要注意、です…








情けなくて腹が立つ話。

2018-08-03 12:04:16 | 日記
ポリープの手術、同じような状態の方で混み合ってるらしく、まだ日が決まってなくて。

こないだSMAPファンのお友達と3人でランチ
してて。
仲の良い姉さんがトイレに立った時に、
もう1人の姉さんが…

「そういえば、こないだ、○○ちゃんと話してて、ゆかちゃんって働いてるの?て話になって…」

また来たかと思いました。
その人、私が無職なことを何度も何度も
突っ込んできて、
いつ働くの?が口ぐせなんです。

聞いてると、

「ずっと働いてない!私が知り合ってからずっとだから…もう四年くらい?って、言ったら
○○ちゃんびっくりしてたよー!!」

って…
○○ちゃんて、少し遠方に住んでるから
2年に1回くらいしか会わなくて、
私は直接の友達じゃないから会っても挨拶する程度なんです。

そんなレベルの知り合いに、わざわざ私の就職状況、報告する必要ある??

で、特にその人に言うつもりなかったけど、
実はこれこれで入院することになったから、それまではそんな場合じゃないんです、

と、その事実には驚いてたけど、
私が重くなり過ぎないように笑顔交えて
明るく話してたら、

「なんか嬉しそうやな」




って……


はーーーーーーーー?

嬉しい訳あるかい!!!


空元気で喋っとんねん!!!


なんか…この人って、頭は良いけど
人の気持ちとか痛みとか分からない人なのかしら。

だからって友達やめるとか
避けるとかはしないけど、

この人のこと、私は一生どこかで許せないし
親友にはなれないなーって思いました。

そこでトイレから姉さんが帰ってきたので、
私は何も言い返せず…

何が悔しいって、そのことが一番悔しい。

場の状況が悪くなろうが、
トイレ行ってた姉さんに聞かれようが、
一言、
ちょっとそれはないんじゃないですか?

くらい言われへんのか、自分。

はー。

なんだかなぁ。

そんなこと言われてヘラヘラ笑ってるしかない自分が一番イケてない気がする。

何度も言うけど働いてないことであんたに
1ミリも迷惑かけてないし、仮に心配してるとしてもよく知らない友達と話題にしたり、
しつこ過ぎる。

働いてないことを一番恥ずかしく思ってて
このままじゃいけないと思ってるのは私だし、
他人にとやかく言われる必要ないし。

でも反論すればするほど、働いてない自分を正当化しようとしてると思われたら嫌だし、
ごちゃごちゃ言わんと働け、と思われそうだし。
何言ってもただの逆ギレと思われそうで、
話するだけ無駄なのかも。


そうそう!
昨日、また嫌な女を1人発見してしまって。

最近、母と姉ちゃんと、夕食後、近所を
ウォーキングしてて。

で、暗いし目が悪い母にはいつも足元を
注意してるんですけど、
昨日、細い道に大きめのワゴン車が止まったので、
そのまま通るのかと思って私達3人は
よけて道を開けたんです。
そしたら、運転してた女が窓を開けて、

「人の敷地に入らないでもらえますか!!」


って、強めに言ってきたんです。

たしかにその家のガレージになってる部分に
一歩入ってはいたけど、車が通ると思ってよけただけなのに、その言い方!!

で、姉ちゃんが咄嗟に
「車が止まったのでよけたんです」
と言ったんですが、
ムカムカはなかなか治らなくて。

やっぱり全ては言い方、ですよね。

その道はこれから避けようと思います。

あんな言葉を吐く女が同じ町内ってだけで
嫌気がさすわー。

私も言動、気をつけなきゃ。



恐怖の皮膚科、ついに突入。

2018-08-03 11:40:43 | 日記
肌荒れの方は一進一退、と思っていたのですが、
前に行ったおじいちゃん先生のステロイドも
残り少なくなってきて、このまま同じ薬を
貰い続けても、塗ったら良くなる、
しばらくしたらまた悪くなるの繰り返しで
ずっとこの状況から抜け出せない気がしたので、
思い切って怖いけど名医と評判の先生に
診てもらうことにしました。

かおりちゃんは何度も泣かされたそうで、
前々から怖い話を何度も聞いてきたので、
なかなか足が向かなくて。

ただでさえ泣きたい状況なのに、
なんで酷い言葉を浴びせられて
泣かされなきゃいけないのか

と、行く前から怖かったんですけど、
このままじゃ一生治らない、と思って
勇気出して行ってみました。

女医さんなんですけど、
まず個室に通され、下着になるように言われて。

で、噂の先生が登場したのですが、
とにかく早口で。
私のこれまでの考え方、治療法、使用してきた薬をバッサリ、全否定されました。

今一番酷いのは首元と腕だったので、
そこにしかステロイドは塗ってなかったんですが、
「あなた!目も真っ赤よ!腫れてるやん!」

と言われたので、

「痒みはないので特に何もしてなくて…」

と答えると、

「あなた全然自分の状況分かってない!
鏡見てる??
ちょっと鏡持ってきて!!」

と助手の方に(^◇^;)

いや、鏡見てるけど笑笑

でも持って来られた鏡見たら本当に赤くなってて。
痒くないからそこまで気にしてなかったんだけど。
あまり薬塗りたくないし。

で、薬についても塗ったことある?て聞かれた
薬について、
「昔はあります」
みたいな答え方すると、


「昔のこと聞いてない!
今悪いんだから、今ちゃんと意識もって薬塗らないと、治らないよ!!」

と、まくしたてられて。

でも事前にかおりちゃんに聞いていたおかげで、
怖いというよりキタキタ、みたいな笑笑

面白いと思える自分がいて。

だって、その一連の流れ、私ブラいちパンいちの下着姿で行われてるんですもん。

なんか惨め過ぎて笑えてきて。

で、処方されたお薬はやっぱりステロイドなのですぐ効いて。

ステロイドは今でもやっぱり嫌だけど
あの地獄のような痒みから解放されるのは
本当に天国で。

もっと早い段階でちゃんと塗っておけばこんなことにはならなかったのに。

でも、名医かもしれないけど、
瞼用と耳用に出されたステロイドがかなり強いやつで。
そこまで悪いと思ってないので
その2つは塗るのやめました。
瞼用のは塗るだけでヒリヒリして熱くて、
塗るのやめた後も2日間くらい熱を持ってて。


けどこの薬をいつまで続けたらいいのか…
今日は2回目の診察に来てます。

さて、今日は何を言われるやら笑笑

久しぶりの旅

2018-08-03 11:20:23 | 日記
なおみちゃんと何年ぶりかに旅行しました。
湯快リゾートで鳥羽まで。

京都駅からバスです。

バスはすきすきで、5組くらいしか居なかったのかな?

なので荷物とか置き放題で静かで、快適でした。

到着したらすぐ鳥羽水族館へ。



私の大好きなカピバラさんが…
ウンコの浮いてるウンコ汁に浸かってしまっている…
今すぐ掃除してーm(_ _)m


ラッコちゃんも、可愛いのにウンチを食べてしまっていた…カオス(^◇^;)


ジュゴンさん


そんな混んでなくて展示もアットホームで楽しかったなー。

でも出てから、なんか想像してたのと違う…と違和感があって。

気付きました。
私がもう一度行きたいと思っていたのは、
城崎マリンワールドでした笑笑

全然違うやん笑笑

ま、いっか。

2日目、バスの時間までに数時間あるので、
竜宮城を模した観光船に乗って、
イルカ島へ


あはは。


展望台からの眺め


展望台の所にカワウソ君居た!!


可愛いー!!!



この後、握手もさせてもらえて嬉しかったです

イルカ島もなかなかのカオスで笑笑

汚い海でイルカショーが行われてて、
トレーナーも若いスリムなお姉さんとはほど遠い、ふくよかなおばさまが片手間でやってる感じで笑笑

しかもイルカの調教があまり出来てなくて、
グダグタ笑笑
この子はまだ見習いなので…
と苦しい言い訳してたけど、たぶん違うと思う笑笑

温泉は天然温泉ではなさそうだったし
旅館も結構古かったけど、
バイキングも充実してるし
カラオケは時間帯によって無料だし、
ベタだけど浴衣で卓球やったりして、
楽しかったです。

ピエリ守山へ。

2018-08-03 10:58:34 | 日記
これもかなり前だけど、旬ちゃんと娘ちゃんズと
一緒に、滋賀のピエリ守山に。

小さな動物園目当てに行ったんですが、
滋賀在住のすみちゃんと数十年ぶりに会える
ことがすごく楽しみでした。

すみちゃんが近くの駅まで車で迎えに来てくれて。
全然変わってなくて、でもちゃんと奥さんしてるんだなーと…親戚のおばちゃんみたいな感想ですが笑笑









所狭しと、猛禽類から小鳥まで、色んな動物がひしめきあっています。

中でも私が心奪われたのは、


ヒヨコ祭り(^◇^)
こうやって手を置いたら群がってくれて、
なんと幸せなことでしょう笑笑






他にもイグアナやカワウソ、ピューマ、ナマケモノも居て。

南米のカラフルなオウム?かインコが、
常に「ギャーーーーー!!!」と絶叫してて、
会話の声も聞こえないくらい笑笑

なんか異空間で楽しかったなー。

そしてゆうちゃんもきくちゃんも本当に動物好きなんだなーということが改めてわかって、
嬉しかったり(勝手に親目線でゴメン笑笑)

すみちゃんへのご無沙汰と連絡不精を反省しつつ、帰路に着きました(^-^)


色々有りましたーー

2018-08-03 10:14:39 | 日記
またサボってしまいました。
あれから、地震もあり、豪雨もあり、台風もあり…天変地異は、いつもすぐ側に居るって事を
改めて感じる今日この頃。

皆さま、大丈夫でしたでしょうか?

それにしても地震で水道止まったりガスが止まったり、そしてお風呂に入れないという状況を
たった3日間経験しただけなのに、
こーんなにも気が滅入って、不安で落ち着かないものかと。
何ヶ月も、何年も避難所生活してる方々に
申し訳なさすら感じます。

そうそう、地震の当日、トオルは中国に出張の予定で。
飛行機は何とか動いてたものの、当然関空に行くまでの電車、バスはアウトで。
タクシーも電話繋がらず、乗車拒否。

で、出張を諦めたトオルは、一旦出たものの、
すぐ帰ってきて、片付けの手伝いでもするかと思いきや、ソファに座って携帯を見るだけ…

さらに、非常食用に一番手軽で大事なパンを、
なんと一気に全部(6個!)食べてしまったのです。
頼むから歩いてでも中国行ってくれ…

2日後にやっと出発してくれたのですが、
この人は本当にストレスと絶望感を惜しみなく与えてくれる人やな、と、つくづく。

こうゆう時また腹立つのが、母がどんな状況でもトオルを庇うことです。

パンの件も、「お腹すいてたんやろ」
とか、「また買ったらええやん」
って。
そうゆう問題じゃないんです。

共同生活をしている、という意識の問題なんです。

動物でも、ちゃんとしつけたら、
ヨシというまで食べてはダメ、って分かるのに。

あ、思い出した笑笑

あと、地震の時、玄関の戸が開いてたんです。

最初、ミーシャの姿が見当たらなくて、
そこから飛び出したのかと私と姉は真っ青になったんですが、探したらコタツの中にいました。

なぜ戸が開いてたかというと、トオルが早朝にコンビニに行って、鍵をかけ忘れていたと。

もうね、死ね!と言いそうになりました笑笑

あ、こんな愚痴ばっかりですみませんね。

そうそう、血便のその後のお話も。

内視鏡、やってきました。

おそらく15年以上前にやったことがあって、
今回で2回目。
昔やった時、下剤がマズすぎて吐いてしまった覚えがあって、今でも恐怖なんですが、
あの時よりは多少マシになった、かな?
でも決して美味しくはない謎の液体を
二リットルも、しかも六畳くらいの狭い個室に
見知らぬ老若男女(この日は多くて10人くらいは居た)と共に、黙々と飲み続け、
便意がした人から部屋を出てトイレへ、
腸の中が空っぽになるまで2、3時間かけて…

15年以上経っても、やっぱりこのやり方しかないねんなぁ…もっと時短に、簡単にできないんだろうか、と思います。

で、ようやく検査に。
麻酔してたのでちゃんとは覚えていないけど、
医師の「これは大きいな」などという怖い言葉は
妙に覚えていて。

で、まだ意識朦朧としている私に、
「大きいポリープが3つくらいあるので、
3泊くらいの入院で内視鏡で切除します」
と担当医が。

意識朦朧としながらも、こんな状態の私に
今そんな話する??と思いながらも笑笑

なんとか帰りました。

最も恐れていた大腸がんではないってこと?
でも細胞の検査しないとはっきりは分からないよね?
でも内視鏡で3泊くらいてことはあまり
心配要らないのかな?

その後、診察で結果を聞きに行ったら、
細胞診は良性で、見た感じもがんのようなポリープではないと。
手術で取ったモノを調べてからでないと確実な事は言えないですが…とのこと。

とりあえずホッとしました。

でも、これまでのどんでん返しや裏切りを
経験してきてるだけに、手放しで喜べない自分がいて。

でも、あれこれ調べ過ぎてしんどくなったり、
何を信じていいのか分からなくなったりするのは
こりごりだし、考えて何かが変わる訳ではないことも分かっているので、
根拠もないけど大丈夫、と思える自分と、
楽観的になり過ぎるのもダメ、と戒めている自分が混在しています。

でも、正直、そんなことより考えることが
沢山あって…暑さで思考回路鈍るのもあるけど、
何か色々無視してテレビばっかり見ています笑笑

どないやねん、て感じですが色々続けて書いて
いきますねー(´∀`)

オタクのハナシ

2018-05-12 10:03:52 | 日記
オタクと電化製品は切っても切れない仲に
あるなぁ、とつくづく思います。

私の長年の悩み…それは、数百本あるビデオテープ。
興味の無い人からしたら、

捨てれば?

とか、

それ、今後見るの??

って思うはず。


確かに、全く見ないかもしれない。
でも、
捨てれないんですm(_ _)m

けど、ビデオテープは確実に劣化して、
このままでは無用の長物になってしまう。

少しずつレコーダーのハードに
ダビングはしていたのですが、
容量に余裕がないのでなかなか進まなくて。

で、思いきって大容量のレコーダーを
買おう、と。

で、電気屋さんに確認したら、
今の新しいレコーダーは、
ビデオに接続出来る端子がないって…

ひーー!!

絶体絶命!!笑笑

そこで色々調べたら、
ビデオとパソコンを繋いでパソコンで
ビデオ画像を録画出来るツワモノを
発見しました!

ビデオキャプチャという製品で、
TVを介さなくてもビデオ本体とパソコンだけで
ダビングしてくれるんです!

アナログを排除していく流れと、
それに逆らってアナログを守りたい流れとの
見事な融合!!

これで、なんとかビデオ画像は残せて
ビデオテープも捨てられて
ハードの容量も気にしなくていい、
一石三鳥ではないですか!

結局断捨離出来ない、捨てずに残す方法しか
選べない自分が情け無くもあるんですが…

でも山積みのビデオテープが少しずつ
減っていく様子は快感です!

とりあえずスマスマの第1回から
しゃかりきにダビングしていってます。

で、結局新しいレコーダーもこれを機に
買っちゃいました。

1週間、全チャンネルまるごと録画してくれる
頼れるヤツです。
これで録画逃したストレスもフリーだし、
容量そんな気にしなくていいし、
最高です!

というわけで、
私のオタク人生は衰退するどころか、
さらに進化していってます。

でも、数年前に買った、
カセットテープをUSBメモリにダビング出来る
ラジカセも、何本かやっただけで止まっている
私のことなので、
いつまで続くやら…

パソコンが苦手なワープロ世代の父が、
ワープロが衰退していくのを恐れて
中古のワープロを探し回っていたことを
思い出しました笑笑

血は争えませんね…(^◇^;)


今年一番ビックリの…

2018-04-26 11:52:59 | 日記
じゅんちゃんと娘ちゃんずと、
近所のイオンに行ったときのこと。

じゅんちゃんが、子連れママさんに声を
掛けられて。

あ、ママ友さんやなーと思って
何気に顔を見たら…

なんと、私のハトコのともよちゃん!!

「ともよちゃんやん!!」

「ゆかちゃんやん!!」

じゅんちゃんは、

「えー!!親戚なん???」

と、3人で大ビックリ笑笑

そして爆笑、子供ほったらかして大盛り上がり笑笑

じゅんちゃんの下の娘ちゃんとともよちゃんの娘ちゃんが保育所が同じで、
卒園した今も習い事で繋がっているとか。

ともよちゃんとは最近はお葬式とか法事で会うくらいだったので…

笑って話すことがまず久しぶりで笑笑

こんなこと、あるんですねー。

繋がることなんて予想もしてなかった
所のご縁、
とっても幸せな気持ちになりました(*´꒳`*)