ちょこちょこ帳

ちょこちょこした物やおもしろい物を中心に、気が向いた時に更新していきます。

娯楽その1

2013-03-19 23:31:52 | びょうき
入院の準備で、何が大変だったかとゆうと、
娯楽グッズです( ̄∇ ̄*)ゞ

私は何かしてないと
落ち着かない人間なので…
TVは見たい番組をピンスポットで見たいし、
ただダラダラつけたくない(有料なのもあるけど…)

だから、TV以外の娯楽グッズを揃えるのに
随分悩みました(笑)

とりあえずiPodとDVDプレーヤ-、それに…


伝家の宝刀、



ラ - ジ - カ - セ -(笑)

平成25年に、ラジカセを買うとは
思いもよらず(笑)

でもこれ、カセットの音源を、USBに録音できる
というすぐれモノなのです(^0_0^)


家で眠ってる、捨てるに捨てれないカセット達を
整理出来るチャ-ンス!(笑)

あぁ、また暗いオタグッズを増やしてしまったわ(笑)



☆☆☆そして今日はじゅんちゃんが娘っ子二人
連れて会いにきてくれました。
ゆうちゃんが
"はやく元気になってまたあそぼうね"
て手紙書いてきてくれて(涙)
ありがとう(*´∀`)ノ

またお返事かくからね(^-^ゞ


入院しました(^-^ゞ

2013-03-19 20:16:42 | びょうき
昨日入院しました。
前回と全く同じ部屋でした(笑)

今日のお昼は、
子供だいすきカレ-ライスぅ(^0_0^)

野菜たっぷりのチキンカレ-で、
家のカレ-みたいで優しい味でした(*^^*)


昨日は会社のお友達のみおちゃんが来てくれまして。
仲良くなれたのは最近なんだけど、
色んな話が出来てめっちゃ楽しくて、
有意義な時間を過ごさせてもらいました。
お薦めの紅茶とか、退屈しないように、
とペン字練習帳とか持ってきてくれて(*^^*)

雨の中遠いのに、ありがとう(^3^)/

夜はなおみちゃんが会社帰りに寄ってくれました。
お疲れやのにね…いつもありがとう。

昨日は泌尿器科の診察があり、
今日は導尿の練習が。

看護士さん二名がかりで、
鏡を見ながらおしっこの穴を探して
カテーテルを入れるとゆう、

前代未聞の恥部大公開(笑)(笑)

しかも、なかなか見つからず、
違う穴(実際それは穴じゃなかった…)に
入れられそうになるわ、
私を入れて三人がかりでも無理だったから、
ヘルプでもう一人、穴探しの達人?の
ナ-スさんを呼んできはって、
合計四人で探す羽目に(/o\)(笑)

けどその達人さんが、

見るなり『ここ!』と指差した場所で、
大正解でした。
すご~い。

手術後は自分一人でやらなあかんとか。
大丈夫かな…

探し当てた穴にカテーテル入れてから、
私のおしっこがちょろちょろと出るのを、
クスリともせず嫌な顔もせずに
温かく見守ってくれる看護士さん達…
つくづく、すごい職業やな、
と思いました。

恥ずかしい体勢で、恥ずかしい所から
恥ずかしいものが出て、
恥ずかしいオンザパレ-ドでした(笑)

明日も練習があるみたいです。
達人の助けを借りなくていいように
スム-ズにいきますように(^人^)

入院前日(^-^ゞ

2013-03-17 14:30:02 | びょうき
私のblogを見て私の病気の事を知った
ごうちゃんが、びっくりして心配のメールをくれました。

ずっとご無沙汰してて、どうしてるかなと思いながらもメール無精な私に、
しかもこんな形で重い報告をした、
ある意味ずるい私を心配してくれて。

きっかけは皮肉かもしれないけど、
こうして疎遠になりかけてたお友達と、
またやり取りができるようになれて、
激励までしてもらえて、ありがたいです。

さっき自分のことをずるいと言いましたが、
ここに病気のことを書こうかどうかをものすごく悩みました。

『心配して欲しいんじゃないの?』
『気を引こうとしてるの?』

と思われるのがイヤだったので。

ごうちゃんみたいに、事情を知って心配してくれることはすごくすごく有りがたいし嬉しいです。

でも実際は、心配してもらうほど病んでないというか、心配してもらうのが申し訳ないほど元気なので(笑)

報告させてもらったお友達も、報告出来てないお友達にも、

私はこんなに元気で相変わらずアホです(・∀・)ノ

とお伝えしたくて。

そして、前にも少し書きましたが、
私のことを知らない方々にも、

病気になってもそんなに元気で居れるんや~

と思っていただけたら、という思いのみで書いてます。

もちろん同じ病気でも個人差ありますし、多種多様だと思うので、あくまで今の私は、ということですが。

私は無責任だし当然医療の知識も全くないです。
だから同じ病気の方に情報を提供したり、こうやったらいいよ、とかゆう
アドバイスも出来ません。

でも、私がこの病気になって、
ワラにもすがりたい気持ちになった時、
医師の話を聞くより、専門のサイトで知識を得るより、
同じ病気の方々のblogを見ることで
救われた部分が沢山あったので。

内容や病状うんぬんよりも、
blogを更新出来る心の余裕を持って、生きてらっしゃるというだけで
私には支えになりました。

だから私も、更新したいなと。
もし一人も見てくれてなくても、したいな、と。

そんなこんなで、
明日から入院で~す(^0_0^)

第4の診断。

2013-03-10 21:43:50 | びょうき

悪性腺腫と診断されてから、とり憑かれたように調べました。



調べていくと、悪性腺腫とは・・・
粘液性の腺ガンで、腺ガンの中でもごく稀な、
亜種のガンであると。


あれ?ガンって書いてるよ?

先生は、悪性だけど、ガンじゃないって言い方してはったのに。

どうしても、そこにこだわってしまう私。

ガンじゃないのに、子宮を取らなあかんって、納得できひん、って。

でも、筋腫で全摘してる方々もたくさんおられるわけで・・・

でも・・往生際悪いけど、私には「よし、取ろう」という決断が出来ませんでした。

東京の助産師さんのさおPに電話で相談すると。

「まぁー、悪性ってことはガンなんだよね。
それにガンじゃなくても死に至らせる細胞ってのは少なくないから・・・」

とのことで。

最初に通ってた近所の婦人科の先生にも、同じようなことを言われました。


セカンドオピニオンについても、すごく悩みました。

2転、3転される病名にも不信感があったし、
子宮を取るか残すか私に判断を任せると
言っておきながらも、B医師の口ぶりや説明では、
”取っておいた方が賢明なのに、残すなんて自殺行為”と言われている気がして・・・
一時は救世主に見えたB医師が、
(私はちゃんと忠告しましたよ、後で後悔しても知りませんよ)
と予防線を張る、巨大組織の中のイチ医者だったんだと・・・

もっと私に寄り添ってくれるお医者さんが居るのではないか、
「大丈夫ですよ、この状態なら子宮残せますよ」
と、力強く言ってくれるお医者さんが。

けど、同じことを言われるかもしれない。同じどころか、もっと厳しいことを言われたら?
それに、このフラフラしている間に、もっと病気が進行してしまうかもしれない。
また検査をして、高いお金を払って、会社にも迷惑をかけて・・・・・
同じことをまた繰り返すという決断が、私には出来ませんでした。


で、自分なりに色々質問をまとめ、また母と付き添ってもらった診察の日。

初めて会う、C医師。

そこで、


先生「検査の結果、腺ガン+過形成でした。」

私 「え?・・・悪性腺腫じゃないんですか?」

先生「はい、違いました」

私 「それって、確定診断ですか?」

先生「はい、確定診断です。」


他の研究機関にも組織を回した結果、結局、ガンだったと。



最初、ガンと告知され、次に違ったと言われ歓喜し、
次に実は悪性だと言われ、最終、ガンだったと。

この紆余曲折で強くなったのか、
はたまた、良い意味でどうでもよくなったのか、


このときの私の心情は、



「さよか」




の3文字でした(笑)




人間、慣れるもんですね



ショックじゃないといえば嘘になるけど、
白か黒か分からない、グレーの状態もしんどかったので、
その疑惑からは解放されたような、少しスッキリした気持ちで。

一応、私の希望通り、子宮本体を残し、頸部の悪い部分を切除する、
という方向で進めてくれるようでした。


さてさて、今度は8時間に及ぶ手術に、3週間の入院・・・

さ~大変やわー

暇潰しのアイテム、準備しないとっ(そこ??)


第3の診断

2013-03-10 00:05:22 | びょうき
思ったほど出血もなく、術後の経過は良好に思えました。

チャリンコに1ケ月乗らないように、とされていたのが
なかなか大変でしたが

喉元過ぎれば・・・じゃないけど、あんなに辛く、重苦しく感じた日々が
嘘のようで。

最初にガンと診断してきたA医師に対しての憎悪心も、余裕で笑い飛ばしてしまう
くらい、完全に高をくくっていました。

そんな軽い気持ちで受けた、手術後初の診察。母付き添い。

あの、穏やかなB教授。

「病理検査も問題なかったので、安心してください。
次の診察は、1ケ月後の・・・・」

と、言われるハズでした。変な自信がありました。


なのに、実際は、


「病理検査の結果、悪性でした。悪性腺腫という病気です。
病名にガンは入ってないから、ガンほど悪さするものではないけど、
悪性は悪性なので・・・
根治を目指すなら、子宮全摘。
でもまだお若いし出産もされてないので、挙児を希望するなら、
子宮本体残して、頸部だけ切除も出来ないこともないですが、
手術中、子宮本体入り口部分まで悪い細胞が浸潤していれば、
再発や生命のリスクを伴うので、その時は全摘します。

よくご家族と話し合って、10日後の診察までに、決断をしてきてください。」


と言われました。


あれ?あの穏やかで優しい、救世主に見えたあのB医師が?
子宮を取りなさいと言ってきてる?

その時・・・自分に都合のいい診断をした医師が良い医師、
悪い診断をした医師が悪い医師、という風に思っていた自分の愚かさを
思い知るのです。

そしてこんなに簡単に、天国から地獄へ落とされるもんなんや・・・


B医師は、子宮をもし残せても、自然妊娠はまず無理、ほぼ人工授精しかないこと。
流・早産の危険性が伴うこと。私の年齢・環境的にすぐにでも欲しいという訳でないのなら・・

と、取った方が賢明、と言わんばかりにコンコンと説明してきました。

でも私の気持ちは、何を聞いても同じでした。

残したい、って。

家族と話し合い?何を話し合うの?
私の体やのに?
子宮を取らなかったら、もし再発した時に迷惑を掛けるから、取った方がいいか、とか?
孫の顔を見たい?見たいというなら残しとく?とか?

そんなん、無理。
たとえ親でも、体は私のもんやもん。
迷惑とか、親の希望とかいうレベルでは考えられなくて。
 
けどB医師に対しては、すっかり意気消沈してしまい、
弱々しい声で「私は残したいです」と言うのが精いっぱいでした


てゆうか、悪性腺腫て、なに??

キイタコトナイヨ!

調べると、症例が極端に少なく、でも確実に怖い病気であることはわかりました。

私がかねてから悩まされていた、水溶性のおりものが特徴・・・


もっと早くに病院に行っていれば・・・


またあの、にっくき自己嫌悪の波がやってきました



はじめての入院。

2013-03-09 22:45:59 | びょうき
【1日目】

両親に付き添ってもらい、入院。
個室にしてもらいました。
神経質なので、誰かと同じ部屋だと寝れないんです。
室料の差額が、1日8400円もするんだぜー。高いぜー。

親に帰ってもらった途端、何をしていいかわからず、じゅんちゃんにTEL。

思わずお見舞いに来て欲しい、とわがままを言ってしまいました。
きくちゃんまだ小さいし、風邪気味だし、難しいと。そうやんね。反省・・・

と思ったら、サプライズで来てくれました

夜は、仕事帰りになおみちゃんもきてくれて。

マンガ読んだり、テレビ見たり。
この日は特に検査もなく、ちょっとした旅行気分で楽しく過ごせました。


【2日目】

朝9時頃、手術室へ。
15分程度の簡単な手術だけど、一応両親付き添いで。
しかも、下半身麻酔で帰り歩いて病室へ帰れないからと、
病室から寝たまま手術室へ移動。

元気なのにベッドのまま運ばれるのって、なんか恥ずかしい(笑)

ほら、そのせいで父も母もちょっと心配で泣きそうな顔なってるやん(笑)
「じゃあ、がんばって。」と、ハイタッチまでされて

大層やわー(笑)

ドラマで見たような手術室。

執刀医や麻酔科医、助手の方々もみんな若い男女ばっかりで・・
でも私、ここ最近の頻繁な露出で・・・下半身丸出しなことにほとんど
抵抗なくなってきました(笑)

脊髄に、麻酔の注射を打つ前に痛み止めの注射を打たれ。
それがまぁまぁ痛かったぐらいで。

あとは、いつ始まっていつ終わったのか分からないくらい痛みも苦しみも
なく、何の問題もなくそのまま病室に帰れました。

親にも早めに帰ってもらい、4時間もすれば管も外され、自分で歩けるように。
お昼も普通に食べられて。

麻酔の副作用の頭痛も、ほとんどなし。
苦痛といえば、その日はお風呂に入れなかったことくらい。

じゅんちゃんもなおみちゃんも、2回目のお見舞いにきてくれて。
かおりちゃんも仕事帰りに寄ってくれました。


【3日目】

さきちゃんがお子を2人連れてお見舞いにきてくれました。
ももちゃん、久しぶりだし病院だしで、ちょっと緊張気味でしたが
お見舞いって、単純に見舞う側が心配で、患者の顔色を伺いに行くものと
思ってましたが、見舞われる側になって、元気な人に生命力を分けてもらうっていう
大事な意味もあるなーと、改めて思いました。
ちょうどお昼時期だったので、下のコンビニに買い出しに行って、病室で
一緒にランチしてもらいました

誰かと食べるってこんなに楽しかったんやと、いちいち感動(笑)

入れ替わりくらいで、早苗ちゃんが藤井寺からはるばる、一家で来てくれました

旦那さんには新婚の時以来?会ってなかったので、久々の再会がこんなんで
申し訳なかったけど

そして、タイミング悪く・・・ナースが入ってきて、

「○○さん、タンポン抜きました?」と質問(笑)

抜くのを30分ほど忘れてた私(笑)ハハ

そして、この日は、節分でした。
お昼に出た豆数粒で、のんちゃん、はあちゃんに病室で豆まきをお願いしました。

旦那さんが鬼役をかって出てくれ、一旦病室を出て、
入ってきたら・・・ダルビッシュ並みの剛速球で豆をぶつけるはぁちゃん(次女)

それでも「ガオーーー」と襲ってくるパパ鬼に、さらに本気のパンチをお見舞い(笑)

子供って、いつでも本気やから面白いわー。

本気の豆まきで、病室の厄は完全に払われた気がしました

しかし、みんな持ってきてくれたお菓子やら何やらで、よく食べました。
スナック菓子のニオイがばれると怒られるかな?と思って、ファブリーズしたりして(笑)

夜は寝たフリして中居くんの深夜番組堪能したし

【4日目】

診察で、出血もそんな多くないので、予定通り退院していいですよ、と。

ヤッター

お母さんが迎えに来てくれ、タクシーで我が家に帰りました



夜中のトイレとかTVが有料とか、少々の不便はあったけど、
みんなが会いにきてくれたりして嬉し楽しな4日間でした







その後~第2の診断

2013-03-09 22:27:31 | びょうき
中居くんにパワー注入してもらったおかげで、
精神的にはかなり救われました。
そのパワーで、免疫上がって治ったかも?て思うぐらい。

自覚症状が全く無いので…
ふと忘れてしまいそうになったりもしましたが、

突然襲ってくる不安感と悲しみには太刀打ち出来ませんでした。

もし、取り返しつかない所まで病気が進行していたら…
今まで普通に、5年後、10年後の自分を想像出来てたのに、
もしかして5年後、存在してない?とか…
親は両方とも元気なのに、これから親孝行していくつもりなのに、
私の方が先に?そんな親不幸、許されない…

そんな暗いことばかり、堂々巡り…

会社のトイレで、道で、駅で、電車の中で、
ベッドの上で…
一人になるたんびに襲ってくる、どうしようもない悲しみ。
完全に情緒不安定になっていました。

PETの撮影と次の診察までの、
生きた心地がしない18日間。

息の仕方、ご飯の食べ方、歩き方、しゃべり方、笑い方…
普段の自分がどんな風に過ごしてたか忘れてしまったかのように、
何をやってもつきまとう違和感。

これからどうなるのか、どれだけ
迷惑を掛けるのか。

そのときの私はきっと、罪悪感と自己嫌悪だけで形成されていました。

そんな中で迎えた誕生日。
なおみちゃんがいつものように、
普通に、お祝いしてくれて。

その後日、じゅんちゃん家族が京都動物園に連れて行ってくれたり。
私以上に色々調べて私以上に心配してくれ、免疫が上がる野菜ス-プを作ってくれて。

さきちゃんも育児で大変な中、病気についてネットで色々調べてくれました。

会社のSMAP好き同士で喋るようになったお姉さんも、
ガン封じの石切さんでお守りを買ってきてくださったり。

みんなからの、私に生きていて欲しいってゆう思いが痛いほど伝わって。

すみません。
表現が大袈裟ですよね(苦笑)

とにかく、その周りの、私を愛してくれている人の愛で私は生かされているんだ、と。

この感謝の気持ちは例えようがありません。


こうゆう病気って、もっと順風満帆な人生を送っている人とか、
何かしら成功を収めた人、賢い人、美人、スポーツマン、強い人・・・
そうゆう人がなるもんかなと思ってたのに。
そのどれにも当てはまらない、そして超ビビリでへたれな私なのに。

そんな、へたれが服着て歩いてるような私が?

こう、色々考えているうちに、PETの日がやってきて。
滞りなく終わり、

2日後、運命の診察。

この日は大嫌いなA医師ではなく、B教授でした。

A医師の上司ということは、もっと悪いヤツ・・・と、すっかり疑心暗鬼に
なっていましたが、予想に反し、すごく穏やかな紳士に見えました。

結果は・・・

MRIにも疑わしい所見なし。
PETも、何も問題なし。

最初、ガンと言われてびっくりされたでしょうが・・・

「分葉状子宮頸管過形成(LEGH)」という病名です。


と。

なんだか長くて難しい名前ですが、過形成、とゆうのは
ボコボコと異物が作られている状態ではあるけれど、良性の
ポリープのようなもんだと。

え?


ガンじゃないってこと?


でも、細胞診のクラスは、Ⅰ~Ⅴの、一番良くないⅤ(5)が出てると。
ただ、それはあまり気にしなくてもいいらしくて。

とりあえず、もっと詳しく検査が必要なので、
子宮頸部の円錐切除をする必要があり。

3泊4日ほどの入院を命じられました。

入院、手術は嫌だけど。

でも、ガンじゃないんや?

じゃあ、大丈夫ってことやんな?


ついてきてくれた母と、顔を見合わせ、そのまま手を取り合って
踊りたいような、そのままハワイ旅行にでも出かけたいような、
そんな高揚感のまま・・・・家に帰って父に報告したら、
泣いて喜んでいました。お酒の力もあったけど。

もう、嬉しいとかゆうレベルじゃないですよね。

不安で怖くて眠れない が、→ 嬉しくて興奮して眠れない
に変わりましたからね(笑)

みんなが涙を流して喜んでくれるのがまた嬉しくて。

嬉し泣きしながら、

”雨降って地固まる”

とは、まさにこのコトやなーと思っていました。
どしゃ降りの雨が止んで、ぱぁぁっっと広がった青空。


こんな晴れ晴れとした心に、またモヤが立ち込めることになるとは、
この時思いもしませんでした。



人生最良の日。

2013-03-05 19:42:57 | 中居くん
と、そんな悪夢の一日を過ごした
次の日。

なんと、中居くんと握手してきました
(笑)

ファンになって20年過ぎて、やっと、です。
お台場であった、いいともの私服本イベント。
当選ハガキが来たのは年末の12月29日でした。
不安で張り裂けそうな時にやってきた
幸せの切符。

私、ずっと、『中居くんと握手するまで死ねない』って本気で思ってました。

だから、神様は夢を叶えてくれた引き換えに…え?私、死ぬの?って(;^_^A

まず当たらないと思ってたし、
こうゆう限られた人しか当たらない枠に、私みたいな運のない人間が普通に当たるわけない。

これで、検査の結果も大丈夫、って、
幸運が2つ続くわけない。

て、ひねくれたいい性格してますよね(笑)

けど、

このまま健康だけど中居くんと死ぬまで握手できない人生

と、

病気になって辛いけど中居くんと握手できる人生

だったら、迷わず私は後者を選ぶので。

心配してくれる親やお友達たちはあきれかえって言葉もないでしょうけど…



当選しただけでも驚いたけど、
もう一つビックリしたことが。
東京に住んでるスマ友さんのさおPの名前で出したハガキも当たったんです。
しかも、整理番号が連番で。

ちょっと、ゾッとしました(笑)
ペアで行けるので、私の当選分だけで4人も一緒に行けることになったのです。


無事お台場に着いて、
イベントが始まって、
私の番が回ってきた時……
中居くんに、

「これから病気と闘うので、”大丈夫”って言ってください」

とお願いしました。

”そんな悲壮な顔してどうしたの”という顔で、

小さく「なぁ~ん」と言った後、

「だ-いじょうぶぅ」と、目を見開いて、あの声で、優しく、
言ってくれました。

その後にさおPが並んでいて。

自分も色々言いたいこと有っただろうに、

「この子21年間中居くんのファンなんで!」

と、出口方向に進みかけてた私のコートをグイッと引っ張り、
もう一度中居くんの目の前に差し出してくれたんです。

そしてまた中居くんが私のことを優しい目でみつめ、
「ありがとう」と言って微笑んでくれました。

あと……中居くんが私に「大丈夫」と言ってくれた後、
泣きながら去ろうとする私の背中に、
「がんばって。」と言ってくれてたらしいです。

らしいというのは、私にはそれを聞き取れる余裕が全くなく、
さおPがあとで教えてくれました(笑)


SMAPにまで心配掛ける私って…(笑)


もうその後は、頭が痛くなるくらい、号泣、号泣、号泣でした。

私は、中居くんから発せられる
「だーいじょうぶ」が大好きで。
「がんばって」より「元気出して」より「なんとかなるって」より、
包み込むように優しく寄り添うことば。

不安定でグラグラしている危険な場所から、
自分が居る安全で暖かい場所に導いてくれることば。

だと思っていて。

昔ラジオで聴いた「だーいじょうぶ」に何度もすがり、
何度も安全な場所に引っ張ってもらっていました。

その「大丈夫」を私だけのために言ってもらえて。
まっすぐ大きな目を、これ以上開けないっていうほど
大きくして、私の目をみつめながら。

そしてあの愛しい手を握りながら。

やわらかくてまるっこくて、可愛い、優しいお手てでした。
私の右手は、今でも感覚をはっきり覚えています。

握手できたことも、
世界最強の大丈夫をもらえたことも
幸せでしたが、私が握手できたことを自分のことのように喜んでくれ、
ちゃんと立てないどうしようもない私を支えてくれた(苦笑)
さおPとさとみちゃん、
私の号泣報告電話を受け、
もらい泣きしてくれたなおみちゃん(*'-^*)、
大阪で「よかったなー」と思ってくれたお友達たち、
そして幾つになってもミーハーなあほ娘を、
どんな状況でも快く送り出してくれる両親に
感謝、感謝です。

この日、人生で一番幸せな日になりました。

最悪な日と最高の日を背中合わせで味わったこの2日間・・・
神様を憎んで、神様に感謝しました。
そして、色々差し引きしても、やっぱり思うのは、

神様、

ありがとう。って(*´∀`)ノ


そんな私の人生、最高です(^-^*)/

初診~第1の診断

2013-03-05 19:31:34 | びょうき
◇H24 /10月

生理来ず

1ケ月飛ぶとか昔からよくあったので、特に気にしなかった。

◇11月中旬

まだ来る気配が無いので、近所の
婦人科へ。
年齢的にも診てもらった方がいいし、 子宮ガン検診も兼ねて。
こちらへは10代の頃からお世話になっていて…
生理不順とも昔から友達だったので、先生も特に気にしてない様子。

来週までに生理来なかったらホルモン治療していこか…と。


1週間後の子宮ガンの結果は、
問題ナシ。生理はまだ来ず。

◇11月末

待ちに待った、生理が来たーー!
と、喜んでいたのは始めだけ。

10日過ぎても、2日目くらいの量がずっと出て止まらない…終わる気配ナシ。
トイレに行くのが恐怖に。


◇12月初旬

婦人科の先生に泣きつく。
とりあえず止血の薬を処方してもらう。
それ以外に、ナボット嚢胞が
出来てるから気になるなぁ…と、
先生「一回医大で診てもらおか。
子宮頸ガンの検査してもらい。」

え?子宮ガン検査はクリアやったのに?
結果用紙に、組織採取→子宮頸部って 書いてあったやん?

私「え?…子宮頸ガンの可能性が有るってことですか?」

先生「…かも、わからん」

えええー?マジで?

この時の私は、そんなわけがない、
けどこれを放棄して何かあっても怖いし、安心を得る為にも、必要かと。

後日、医大で検査して「ほらやっぱり違うやーんビビったわーー(´Д`)」

とへらへら笑ってる自分を想像していました。

◇12月中旬

医大へ。
この時の担当医師(仮にA医師)が、
「もう二度と会いたくない」と
思わせてくれるほどキツイ人で…

ただでさえ、不快きわまりない内診中に、
「こんなん、前から変な出血あったやろ!」

と、いきなり乱暴な質問をぶつけてきた。

え?なんで怒られてんの?

その後の診察でも、辛気臭い顔で、

「ちょっとややこしいことになってるんですよー…
子宮の入り口にできもんが出来ててねー。
これが良性やったら問題ないけど、
悪性やったら気の毒やけど…

どっちみち手術して取らないといけないので、
○○くん、MRIの予約取れるか?」

え?入院?手術?
そんな大変なもんなん?
気の毒、ってどうゆうこと?

このA医師、ポーカーフェイスならまだしも 、常にちょっとイラついてるような、嫌悪感丸出しの顔で
言葉選びもいちいち癪に障って…
内診中も、カーテンの向こう側で
「診察中にうろちょろすんな!」と
研修医に注意したり、とにかく、苦手な人間でした。

苦手な人が出してきた苦手な課題、 イコール苦手な人からの嫌がらせ、
仕打ちのように 捉えて…
とにかく、”なんかの間違い”だと思い込み、
逃避せずにはいられませんでした。
幼稚でお恥ずかしいですが。

◇12月21日

MRI撮影

実はこの次の日から25日まで、
SMAP追っかけて 札幌へ行く予定だった私(笑)
撮影前、看護師さんに
「今日、明日は激しい運動しないようにしてください」と言われ、

私「あのー、明日、出かけても大丈夫ですか?」

看護師さん「大丈夫ですけどあまり疲れない程度にしてください」


て、まぁー無理ですけどね!(笑)

で、夢のような数日間が終わり…
なんとなくもやもやしたまま新年を迎え…

◇1月5日

細胞診とMRIの結果を聞きに、医大へ。
心細い私の心中を察した優しいさきちゃんが、わざわざついてきてくれました。
ものすごい心強かったです。

診察室に入ると、あの苦手なA医師。
もう、入室した時の雰囲気からして、 すごく嫌な感じ。その周りの空気全体が、耐え難い。

椅子に座るなり、
「○○さん…ガンが見つかってしまいました」

え?

誰のこと?私?今、ガンって言ったよね?

目の前が真っ白になって、言葉を探そうとしていると、

「これもねぇ、組織採ってみないとわからんのですわ。
まず第一選択として、子宮摘出、
もし胸や他の所に 転移してたら、
抗がん剤治療も必要になってくるし
がんが中の方まで浸潤してたら、
5年生存率も断然低くなってくるし…」


と、呆気にとられている私に、
次から次へと、
転移や生存率の話をしてきました。

まず入院の前に、PETという、
全身CTを撮りなさいと。

もしがんが転移してたら、その部分が光るようになっているらしい。


その後、術前検査(心電図や呼吸機能検査)を行いましたが、

現実を受け止めきれなかった私、
ところどころ記憶が曖昧です(苦笑)


さきちゃんが居てくれたおかげで、
ある程度冷静でいれましたが、
家に帰って、親に告白するのが、めちゃめちゃ辛かったです。


母も、父も、この世の終わりのような顔をしてました。

私、今まで健康体で、こうやって親に心配掛けたことなかったので。

だから、この日が来るまで、

(親が病気になって苦しむより自分が病気になった方がマシ。自分だったら我慢したらいいだけだし。親が苦しんでる姿とか見たくないし)

って、漠然と思ってました。

でも、2人のあの顔を見て、親もまたそう思ってたんだ。きっと、私より強く、と 思い知らされました。
自分は大丈夫、と過信して、
健康で当たり前、と胡坐をかいてたことが、

こんなに親を悲しませ、結果、
自分を悲しませることになってしまった、と。


この日は、人生で最悪の日になってしまいました。

しかし、その次の日。

病気とは無関係のことで、
人生最大の嬉し泣きが待っていました。

御無沙汰しております(;^_^A

2013-03-05 19:13:41 | びょうき
去年の秋から更新が完全に止まってしまってました

何かあったのか?
と思って下さる方がもしいらしたら…

相変わらず、元気です!

と言いたいところですが、

実際のところ、
もうすぐ入院します(;^_^A

しかも、今年に入って2回目…

1回目の入院が終わって落ち着いて
元気になったら、

今だから話せる話、みたいに明るく楽しく、入院中のことを綴ろうと思ってたのに、
無情にも病気は根付いていたようで…

今までの人生で、
点滴もしたことなくて
風邪ももう何年も引いてない、
超健康体の私が、
そしてあほで無知で、
何の責任感も危機感もなく
だらだら生きてきた私が、
今できることといえば、
今思うことを連ねるぐらいしか…

もし同じ病気に掛かって、
これからどうしようと途方に暮れてる方が居たら、
ちょっとでもホッとしたり、
たくさんある頭の中の『?』が『。』や『!』に変わるかもしれないし。

いや、そんな大それたことは出来ないな。(どっちやねん)

もしかしたらもっと『?』を増やして
しまうかも。

てゆう私の頭の中も、いまだに『?』だらけですからね(笑)


私がかかってしまった病気。

それは、

『腺ガン(子宮頸ガン)』です。


うっわ~~!!でしょ(笑)(;^_^A


次の日記で経緯をたどりますね!