ちょこちょこ帳

ちょこちょこした物やおもしろい物を中心に、気が向いた時に更新していきます。

有馬温泉へ。

2013-04-24 22:07:07 | 旅行
入院中、手術後の満身創痍なしんどい時に、
点滴を受けながら必死に予約した旅行(笑)

この前の日記に書いたように、過酷な宣告を受けた時、
もう旅行も無理か・・・と諦めかけました。

でも、担当医に父親が、
「次の入院は・・・なんとかこの日以降にしてやってくれませんか?」
と、掛けあってくれて。

私に、次の入院までにせめて旅行に行かせてやりたいと思った親心。

有り難く、頂戴することにしました。

母とお姉と、梅田からバスで有馬温泉へ。

有名なあの、「兵衛 向陽閣」です。

なななななんと、SMAPがスマスマの5人旅で、お泊まりした同じお部屋です


特別室「老松」は、8階にあるのに、
なんとお庭があるんですよー


同じ浴衣


同じ貸し切り温泉




同じお料理を堪能し、






同じ卓球にハッスルし(笑)


同じプリクラで撮影し(笑)


カラオケルームは撮影だけさせて頂きました


で、同じお布団で就寝


朝食も、ま~豪華


おうすまで頂きました。



担当の仲居さんに、お心付けを渡すのに、慣れてないから挙動不審になるお母さんとか、
卓球に熱中して汗をかきながらはしゃぐお母さんとか、
私のミーハー心を察して、優先的に何度もシャッターを押してくれたねえちゃんとか、
お料理にしてもお風呂にしてもお部屋にしても、
私だけじゃなくて2人が凄く楽しそうにしてて・・・この3人で来てよかったーって。

卓球も、私は雰囲気だけ楽しめたら満足だったので、
写真だけ撮って2、3回ラリーすればいいかなーと思ってたんですけど、
ねえちゃんが「お母さんもやってみ!」と、母にラケットを握らせました。
目が悪いから絶対無理、って思ってたのに、昔やってたらしく、
サーブがプロ並に上手くて(笑)
さすがにあんまりラリーは続かなかったけど、おねえの工夫で母も卓球を楽しむことが
出来て、すごく嬉しそうにしていました。
スポーツで汗を流すということが、自分にはもう出来ないとどこかで諦めていた母が

「卓球出来たのが嬉しかった~」

って、ずっとつぶやいてました。

私はどっちかゆうと、保守的というか・・怪我でもしたら危ないとか、
(母に)卓球をやらせてみてもし出来なかったら余計に自信喪失させて可哀想かも、
とか、後ろ向きな方に考えてしまう方なので・・・

一か八かでまずやらせてみる、姉の行動に感心してしまいました。

そういう所が、私にはない所だなぁ、と・・・


名残惜しいけどホテルを後にし、
有馬散策で、まだ綺麗に咲いてる桜にも会えました。


こちらの方はちょっと気温が低いからかな?
私が見れないと思ってた桜が、わりと見頃で。
嬉しかったな。

お昼は、韃靼そばを頂きました。

初めて食べたけど・・・苦くて、大人の味、かな。
ルチンがおもくそ入ってるらしい(笑)

おまけ。

なぜか、怒られた(笑)


この旅行で、物凄いパワーを注入できましたー。
一生忘れられない旅になりました。

つくづく、私の人生ってなんかすごいなって、思います





その後。

2013-04-21 23:10:39 | びょうき
少しご無沙汰しておりました

4月9日に、無事退院してきました。

前日の夜、家族同席で、主治医からのお話があり。

手術の病理検査の結果が出たので、その報告です。

緊張しながら聞いた結果は、
リンパ節に転移がみつかってしまい・・・

子宮、卵巣も全摘出が必要だと。いわゆる、再手術です。
その転移したガン細胞は、顕微鏡で見た感じでは、顔つきが比較的いいものだと。

でも、転移しているということは、それだけ悪さをする可能性があるので・・
再手術をした後、抗がん剤と放射線治療を開始した方がいい、と。

最初、何を言われているかわかりませんでした。

横でお母さんが大きくため息をついた後、泣きだしました。

父も、ずっと険しい顔をして、何か医師に質問したりしていました。

せっかく残した子宮を、たった数週間でやっぱり取らないといけないこと。
ホルモンバランスを保つ為にとっても大事な卵巣も、失くしてしまうこと。
またお腹を切って、あの辛い思いを繰り返さないといけないこと。
恐れていた、抗がん剤治療まで受けないといけないこと。
放射線治療も。

もう子供を授かれない、という現実よりも、

治療に立ち向かわなければ自分の命が危ないんだと、
物分かりの悪い私はここで再認識するのです。

こないだの手術がほんと辛くて、でもなんとか体は日に日に回復して。
これで晴れて退院、あとはたまに外来で経過観察すればOK。
仕事にも復帰し、遊びの計画も立て、会いたかった人と会い、
家族にも恩返しを・・・と、頭の中は病気以外のことでいっぱいだったのに。

一気に、病気のことで支配されてしまいました。


帰る場所を温めていてくれた会社にも、復帰出来なくなってしまいました。

家族にも、また迷惑を掛けてしまう。
友達にも、また心配を掛けてしまう。

私は何のために生きてるの?

迷惑と心配を掛ける為に生まれてきたん?


でも、私には、大切な家族と、大好きな友達と、大好きなSMAPが居るので。
その人達と、これからずっとずっと、笑ったり喋ったりご飯を食べたり、
一緒に生きていきたいので。



徹底的に、治してやります









家族。

2013-04-07 18:54:06 | びょうき
長いこと入院してると、
ホ-ムシックとゆうより家族シック
になる。
いや、カッコつけずにゆってしまうと、お母さんシック。

お母さんに会いたくて泣きそうになる。
会いにきてくれても、バイバイする時泣きそうになる。
辛い時、お母さんに抱きついてワンワン泣きたくなる。でも出来ない。

一応、大人やし、ね。

自分は親離れ出来てないな-って、
ずっと思ってたけど、
ここまでぐっちょぐちょに依存してることを改めて思い知らされ、
恥ずかしいやら何やら。

こんなに私の拠り所になってくれ、
洗濯物やSMAPのDVD やらまで持ってきてくれ(もちろん私の指図です・笑)
いつも冷静で居てくれて、なにより
元気でいてくれることが、
本当にありがたい。

『ありがとう』とは何度も言えるけど、私が最大に胸に秘めてることば

『ごめんね』

は、どうしてもいえない。

言ってしまうと、辛うじて立っている二本の足と、私と母の中で組み立てていた足場のようなものが、一気に崩れ落ちてしまうような気がして。

でも、ごめん、私のせいでこんな思いをさせて…と、常に思ってるのです。

本当に謝りたい時、ごめんって言えないもんだな、と思いました。

お父さんも、今回の事に関しては
口数は少ないけど、
めちゃくちゃ心配してくれてるのも
びしびし伝わってきます。

パジャマが足りなくて困った時、
すぐさまネット通販で注文してくれ、
いきなり一人でお見舞いにきて、
持ってきてくれたり。

また一人で来たかと思ったら、
まだ食欲もなくておかゆも二口くらいしか食べれない時に、ごはんの友にと、塩こんぶやきゅうりのQちゃんを持ってきたり(笑)

ちなみに持ってきてくれたパジャマ二種も、どこの田舎のヤンキ-や、っていうデザインやったり、
もう一着もウエストのゴムが信じられないくらいキッツキツで、申し訳ないけど今の私には殺人的で(笑)

これまでの父の人生で、女性モノを自分一人で選ぶってこと、なかったんちゃうかな? お母さんが若い時はあったのかもやけど。

あと、自分が入院した時や私が旅行に出掛けた時、必ずや″メール魔″になる父。
今回も、病気のことや、私をおもんばかる内容でうんざりするくらい送ってくるかと、身構えていました。

でも実際は、事務的なメールが二通ほど来ただけ。

返信する気力が無いだろうと気を遣ってくれたのももちろんあるだろうけど、
私の、言いたいけど言えない
『ごめんね』
と一緒で、
本当に言いたいことは
こういう時、言えないって思いを
父も抱えてるんやろな、と
勝手に思っています。

ポンコツ兄ちゃんなトオルも、
長年ケンケンした態度で接してしまった姉ちゃんも、
手術の前日と当日に休暇を取ってくれ、揃って来てくれました。

感謝、です。

そんな家族に。
まずは元気になることが
最大の恩返しだと思うので…

あと少し、がんばります(^0_0^)

お仕事について。

2013-04-04 19:09:41 | びょうき
病気が発覚した時、まず今の仕事は
続けられないな、と覚悟しました。

体力的な問題ではなく、
クビを切られる、と。

派遣社員に対しての、あまりよろしくない待遇や
ぞんざいな扱いを見て受けてきて、
私も、何の抵抗もなく切られるんやろな、と。

それに、毎日『これって私じゃなくても務まる仕事よなぁ』とひしひしと感じながら働いていたし。

でも、こんな私でも、
『戻ってきてほしい』と言ってもらえて。

2ヶ月間、ピンチヒッターの方に来てもらい、ゆっくり養生してからまた
同じ席に帰ってきて欲しい、と。

私があまのじゃくな性格だからとか、
謙遜とかゆうものは全く無しの気持ちで言いますが、私においてそんな厚待遇、ほんとはあり得ないんです。

それって会社にとっても不利益だし、
上層部に特に気に入られてる訳でもない。

ただ、一人の人事の上司が、
私のことを…非常によくやってくれて皆の評判もいい、必ず戻ってきて欲しい、と派遣会社にもアピ-ルして掛け合ってくれ、
社内でも課長や部長を諭してくれたようで…

その方のおかげで、元気になったら戻れる場所を確保してもらえたのです。

病気のことも、男性だしどうかなと思ったけど、下手したら自分の父親より病状把握してもらってるんちゃうかな、ってゆうくらい、逐一報告も受けてくれていました。

そんな彼が、4月1日付の異動で、
他支店へ移ることになったと聞かされたのは、術後で一番しんどい時でした。

ウソや…

殺生やわ……


復帰した時、
先頭切って『おかえり』と言って
もらえるハズだった人が、そこに
居ないなんて。

泣いたらキズに響くので、極力
泣かないようにしてたけど、
その我慢してたモノも一気にあふれて…すごくすごく悲しくて寂しかったです。

やっぱり私は…

4月が嫌いです(´Д`)

ごはんいろいろ。

2013-04-03 19:06:08 | びょうき
病院で出るごはん。
魚と野菜中心です。

サゴシってゆう魚が頻繁に出てくる。
サゴシって、知ってはります?(笑)

味も見た目もサバに似てるんだけど。

焼かれてたり、煮られてたり、揚げられてたり、
今日はカレ-味になって出てきた。

ほぼ毎日登場する、サゴシ。

誰だちみは(笑)


ちょっと変わったメニュ-が出たら、
ちょっと嬉しい。

例えば、

チャンポンとか。ほとんど汁なし状態やったけど(笑)


かやくごはん(少し食べてます)とだし巻き。

こういうの、好き。


4月1日には、こんな粋な計らいも。





ごはんの話題のあとに、きちゃない話をします。

手術後、丸1日食事は出なくて、
2日目から重湯と具なしのお味噌汁が出ます

そしたら。

手術後初めて出たうんちが、

緑色の…赤ちゃんのうんちでした。

大人でも、
赤ちゃんのうんちが出せるんや~って(笑)

人間て、すごいですね。


赤ちゃんに戻って。
生まれ変わったと思ってがんばろう。

手術後。

2013-04-03 16:37:59 | びょうき
21日の手術が無事終わり、
12日経ちました。

当初の手術時間は
9時~17時までと言われてたのが、
8時過ぎ~20時半までかかり(!!)
想像を絶しまくりでした。

子宮本体は無事残せました。
手術の次の日に、もう生理さんが
来たようで。

ちゃんとここに居ますよ~

と子宮にアピ-ルされてるような。
ありがたいような。
でも、痛みの方もしっかりと、
増強されて。

とにかく、おとついくらいまで
大変な思いをしました。

高熱が数日間続き、痛み止めの点滴も半分くらいしか効かないし、
尿管、お腹に2つの管、背中にも管、
全身管に繋がれ、もちろん点滴も…

今はやっと全部外されましたが、
クダに繋がれている間、
今の自分は人間じゃなく、
病院に直接繋がれているカタマリのように
思っていました。

″自分はどうなるんやろう″

″前みたいに笑ったり走ったりできるようになるんやろか″

テレビを見る気にも本を読む気にもなれず、
点滴が落ちるのをただ見て過ごす数日間もありました。

私の中で一番憂鬱だったのが、
導尿。

まだ思うように体が動かせない、
ツラい時に行わないといけなくて。

失敗すると、膀胱を傷つけたりバイ菌が入って、腎臓の病気になるリスクもある。

しかも、一週間もシャワ-を浴びれてない状況で、バイ菌が入らないように…て、ほとんど拷問やし。

さらに、手術の影響であの部分が
腫れてて…手術前に練習した時と、見た目が全然違う(泣)

1日に4回はやってくださいと言われ…その時間がくるのが恐怖でした。

幸い、私は尿管を入れられてる最中から尿意があったので、
導尿は数回…3日間かな?で終了できました。

事前にもらってたしおりには、

自宅や外出先でも出来るようにしておいてください。

とありました。
自宅はまだしも、外出先でなんて
絶対ムリ!!

カテ-テルと、潤滑ゼリーと、鏡と、
ある程度の空間と、明るめの照明がないと、まずムリなので。
あと、手指を無菌にしないといけないので、消毒ジェルみたいなのもないと。

でも、退院してからも頑張ってはる方々もおられるみたいで…頭が下がります。

けど、この医学が発達した時代で、
もうちょっと患者に優しい、簡単なやり方はないものかと、切に思いました。