ちょこちょこ帳

ちょこちょこした物やおもしろい物を中心に、気が向いた時に更新していきます。

色々有って思うこと

2019-07-19 18:28:11 | 日記
かねてから、がん闘病中だった叔母が、
5月の中旬に亡くなりました。

私と同じ子宮けい癌からの肺転移、再発、
肉腫という希少がんが原因とされる
腹膜播種、リンパ浮腫と、去年辺りから、
入退院をずっと繰り返していて。

私の方が一年先に病気したこともあり、
最初はえらそうにアドバイスしたり、
一応経験者として相談に乗ったりしていましたが、
おばちゃんの方がかなり深刻な状況で、
私の経験談と知識だけでは太刀打ち出来ないと
分かってからは、
あまり余計な話も出来ないし、お見舞いに行っても顔色を伺ったり必要な物を調達するくらいで
精一杯で。

こういうのがん患者あるあるかもしれないけど、
入院中でも同じ病気の方と出会う機会があっても、
自分より相当状態が悪い人や、
逆にとても軽くてすぐ退院出来るような人だと、
お互い何となく気まずさ、居心地の悪さが有ったりして、連絡先を交換したとしても、
続かなかったりして。

私も叔母に対してそういう思いもあり、
叔母も私に対して、心のどこかで
「今は健康に暮らしてるあなたには分からない」て思いが少なからず有ったと思います。

叔母は昔から本当に大人しい人で、
子供の頃、ちゃんと会話したのって1、2回しか無かったように思います。

リンパ浮腫が酷くなってからは、
下半身がパンパンに腫れ上がり、
身動きも取れず、ひっきりなしに電話がかかってくるようになって。

ティッシュがあと1枚しかない

歯磨き粉が切れそう

ゼリー買ってきて

パジャマ買ってきて

下着買ってきて

パジャマのズボンのゴムを入れ替えて

などなど、
要望が止まらなくて。

息子2人は関東で働いていて来れない、と。

旦那も仕事があるのと、下着関係は分からないから、と。

そして、うちの母に要求してくるということは
必然的に私か姉がモノを調達し、病院に持っていくにも母をどちらかが連れていかないといけないのです。

近所の病院だとしても大変だったと思うのですが、
病院の場所は西宮でした。

特にパジャマのゴムに関しては
何度もダメ出しをされ、
LLでもだめ、2Lでもダメ、メンズサイズの4L、5L…、と、腹水が溜まるたびに
だんだんキツくなるらしく、専門店を
探し回りました。

そして、そういう経費は全て母が払っていて。

いくらやった?

また今度まとめて払うわ、

といったやり取りもなく、

やっとの思いで調達して持って行っても、

「こんなんゆうてたんと違う!
私こんなん買ってきて、てゆうた??」

と、感謝どころか半ギレされたこともあり…

今思えば、身体がしんどくて気を遣う余裕が
無かったのかもしれませんが、

3日に1度は西宮の病院に通って、
なんとか役に立てればと頑張っていた私達も、
持っていきようのない複雑な感情に支配されていました。

4月の後半、私は長野に東京に、遊び呆けていましたが、そんな時も姉はパジャマのゴムを入れ替えたりビッグサイズのお店を駆け回ったりして、
令和に変わろうとしてるときに
自分は何をやってるんやと、
何でこんなパジャマばっかり探し回らなあかんの、と泣きそうになってたみたいで。

そんな時に、あと1ヶ月持つかどうかという告知がなされたようで、
母は泣き崩れるし、
そんな大事な時に母の兄夫婦は宮崎に帰省中で
5月末まで帰らないというし、
そしてやっぱり母は
なんとか死に目に逢いたいと思っているようで、
いつ電話が鳴っても駆けつけられるように、
待機状態の日々が始まりました。

でもそんな中、私の入院もあり。
こんな状況やから入退院も1人でやるし、
お見舞いも手術の時も来なくていいで、
といってたら、
手術終わって病室に戻ったら母と姉が待っていて。
どうやら、叔母があと2、3日と言われたらしく、
私の手術終わり見届けてから叔母の顔を見に行こうとしてて。

で、翌々日無事退院して家に戻ったら、
その日の明け方に叔母が亡くなった、と。

通夜、葬儀の前に弔問したいと母が言うので、
病み上がりだけど私の運転で叔母の家まで
行ってきました

緩和ケアの病院に移ってから10日、
令和になってから18日目の日。
本人はもちろん、周りも覚悟はしていたけど、
こんなにも急激に悪くなるものか、
そしてこんなに悪かったのか、と、
起こった事に理解が追いつかない感じでした。

亡骸を前に、母が泣き崩れ、私も母の背中をさするのがやっとでした。

病気をしてから四年間、ずっと再発、転移、と、抗がん剤の副作用に苦しみ続けた叔母が、
やっと全てから解放され、ゆっくり休める時がきたんだと思います。

お疲れ様、よく頑張ったね、と手を合わせて
唱えました。

私の入院中、叔母の亡くなる2日前に
お見舞いに行った様子を姉に聞いたら、
叔母はかなり弱々しく、起き上がるのも
会話するのもままならない状態だったらしく。

母も心の中で、生きてる姿を見るのはこれが最後かもしれないと思っていたようで。

旦那さんが叔母に、
「何かお姉さんに言っとくことない?」
と聞くと、

「あげて」

と一言。

え?何か母に手紙的なものを?頑張って準備してくれてた?

と淡い期待をしたら、
どうやら、ベッドのリクライニングを
あげて、ってことやったらしく。

そこでもしかして?
母に対して、

「ありがとう」

とかある??とまた期待したのに、

何も言葉は発され無かったようで…


これまで母と叔母の関係は、母の一方通行ばかりで、結婚してからも叔母から連絡をしてきて
くれたことがない、と。

そして小さい時からおねえちゃん、ねえちゃん、と呼ばれたことがなかったらしく。

でも最後の数々のSOSが叔母にとっての
最初で最後の、おねえちゃんに対しての
甘えであり、最大の関わり、結びつきだったのかな、と。

でもせめて最後、
ありがとうの一言、言ってあげて欲しかったなーと思う私は、ドラマの見過ぎでしょうか。

まぁ現実はこんなものなのかもしれないですね。

お通夜、葬儀でも色々有ったので、次の日記で書きます…

大愚痴警報発令なので、読んでくれる方は、要注意、です…








はにちゃんはじめての異変

2019-07-02 00:46:55 | ニャンコ
私が旅行中、色んなことがあったようで…
まず、はにちゃんの体調不良。
姉によると、あの超健康優良猫で、
小さい頃からフードを吐いたの過去に一度くらい、ご飯も残したことない、ウンチも人間並みの
ザ・お手本のようなしっかりウンチ、
水分補給もミーシャの3倍くらい余裕で飲むし、
絵に描いたようなスーパーキャットのはにちゃんが突然、
フードを何度食べても吐き、水も吐き、
大好きなチュールすら吐いてしまう状態が一日続いていると。
さらに、オシッコにも少し血が混じり、
ウンチもやらかいうえに一部血便ぽくなってて、
おまけにアゴの辺りからも謎の出血…

一体どこから手をつけたらいいのやら状態で。

とにかく私が帰ってきた翌朝、いつもの
動物病院へ向かいました。

事情を話し、エコーで診てもらったら、
どうも腸が腫れていると。
なんらかの異物が詰まっていることは確からしく。
誤飲か…
何でも口に入れるクセあるしなー…
そしたら先生が、
今から開腹手術で異物を取り除くか、
少しお預かりしてバリウム飲ませて
バリウムが腸の中を流れるか検査して
様子見るか、腸の働きを良くするお薬を
点滴して一旦お帰りになり、
その後便から異物が出てきたら
それでオッケーだし、出なければまた
連れてきてもらってどうするか考える…
と、3つの案を提案されました。

まずいきなり開腹手術はありえない、
バリウム検査も半日かかるらしいし大層なので
却下。
とりあえず点滴してもらって一旦連れ帰ることに。

このまま腸閉塞のような状態が続いて
ご飯も水分も摂れなければ命に関わるし、
結構深刻な状態ではあったんですが。

でも、去年のミーシャの危機のときとは
比べようもないくらい平常心な私達…
なんとなくはにちゃんは不死身な気がして。

頻繁に吐く以外はいつもの元気なはにちゃんと
変わりなかったので。

で、我が家に連れ帰り数時間様子を見たら、
やっと下痢ではないウンチをしてくれて、
目視した結果、ようやく飲み込んだ異物の正体が判明。

それは、はにちゃんの抜け毛を丸めてオモチャにした、抜け毛玉でした

はにちゃんはその自分の毛で出来た毛玉が
大好物で、与えると人格変わるくらい執着して離さないんです。
好きすぎて、とうとう食べてしまった…
結果、それが原因で、糞詰まり…

でも、開腹手術されなくて本当に良かった


けど、その3日後くらいにまたまた病院のお世話になったはにちゃん。
こないだアゴから出血してたの、
猫ニキビというものの前兆だったようで。

ニキビと言っても、人間のニキビとは全く違い、
謎の黒い、ふりかけ海苔のような細かい黒いカスが、拭いても拭いても出てくるんです。

塗り薬が効いたのか、早めに収まってくれましたが。不思議ー。

ニャンコにも色んな病気があるんだなぁ、と。
勉強になりました。

今はおかげさまでピンピンして、
スーパーキャットらしい健康的な生活を送っております