ゆえん

 

【アル依】家庭崩壊から最期まで

2019-10-03 13:25:26 | ひとりごと
みなさん、こんにちは。
アルコール依存症家族のゆえんです。

親父の呪いですかね。
この記事書き始めてから体調悪い・・

四十代半ばでアルコール依存症と診断されて、
仕事も家族も失った親父の話です。

←前:【アル依】治療開始から家庭崩壊まで

今回の目次です。

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二度目の入院
一人暮らし
異臭騒ぎ
後片付け
最期
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ではどうぞ。


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二度目の入院
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大阪から来た親戚によって、
退職手続きを終え、病院にブチ込まれた親父。

アルコール依存症になって、
二度目の入院です。

悟りを開いたオカンは、
当然見舞いになんて行かないので、
私一人で様子を見に行ったのでした。

親父は酒が抜けて、
廃人からはギリギリ脱したものの、

まだ五十半ばなのに、
痩せこけて、老け込んで、
滑舌も悪く、白髪だらけ。

それでも眼光だけはギラギラして、
退院したら、起業するとか言いながら、
震える手で書かれたヘロヘロの文字と線で、
事務所のレイアウトを書いて見せてきました。

言葉も呂律が回ってない。
もう完全に脳がやられちゃってる。

しばらくして看護師が、
「お小水の時間ですー」
と言いながら入ってきて、

私は追い出され、
そのまま帰ったのでした。


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一人暮らし
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数ヵ月後、
親父が退院すると連絡が入りました。

病院なんて無慈悲なもので、
治る見込みも、身寄りもないのに、
野に解き放たれてしまいました。

親父は都内で一人暮らしを始めます。

一度だけ様子を見に行きましたが、
その時は、部屋もきれいに整っていて、
新しい自分の城を満足げに自慢していました。

ここでの親父の一人暮らしは、
一年半ほど続きます。


アルコール依存症を知ってから思うことだけど、
世の中には酒が溢れてる。

外に出れば自販機やコンビニ、
どこでも酒が買えてしまうし、

家に居たってテレビつければ、
酒のCMがガンガン流れる。

アルコール依存症患者が一人暮らしなんて、
できるわけない。
絶対また飲み始めて、廃人になる。

だからって、一緒に暮らすのも無理。
オカンが悟りを開くに至った惨劇を繰り返すだけ。

死を待つしかないんだ。


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異臭騒ぎ
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いつ頃から飲み始めたかは分かりませんが、
一年を過ぎた頃から、私の所に、
警察やマンションの管理人から、
連絡が入るようになりました。

悟りを開いたオカンからの助言で、
ガン無視決め込んでやり過ごしてましたが、
ついに管理人から、

「お部屋から異臭が・・
しばらく姿を見ていない・・」

という連絡が来てしまいました。


よっしゃ死んだ!という歓喜と、
親を孤独死させた後ろめたさ、
子供の頃の、いい親父の思い出、

いろんな感情が0.2秒くらい脳内をかけめぐり、
その後すぐに冷静になって、

腐乱死体はキツいな。

と思い、まずはググる。
警察に代理で確認依頼ができるようだ。

さっそく110番。
管理人から聞いた情報と、
親父の部屋の住所を伝えながら、
駅のホームで泣きました。

すぐ警察から折り返しの電話が。

「大丈夫ですよー
おじいちゃん、生きてらっしゃいますよー
とにかく、来て下さい。
気をつけて来て下さいねー」

泣いてたからか、
子供をあやすような口調で言われ、


死んでねーーーのかよ!!!


と絶望したのでした。



親父の部屋のフロアに着くと、
脳を刺すような強烈な異臭。

警官はその臭いをものともせず、
丁寧に状態を説明してくれました。

親父は生きていて、
この臭いは、糞尿と、残飯と、
長期間お風呂に入ってない臭いだそうな。

その時の親父の姿は、
私が想像した腐乱死体よりおぞましかった。

ゾンビ、亡霊、乞食、ヘドロ、
こんなになっても、まだ死ねないとは。

すぐに救急車を呼んで、
親父を連れていってもらおうとしたのですが、
親父は駆けつけた救急隊員に、

「病院なんか行けへんぞ」
「行けへんゆーてるやろ」

と、呂律の回らない喋りで言い張り、
本人の同意が取れないため救急搬送不可。

結局その日は親父を部屋に放置して、
警官も救急隊員も解散したのでした。

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後片付け
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地獄絵図と化した親父の部屋を離れて、
すぐに作戦を練る。

翌日午前休取得、
大阪の親戚に連絡してヘルプを要請。

親父を病院にブチ込むために、
同様の事例が無いかググる。

どうやら本人の同意がなく搬送できない場合でも、
周囲に害(暴力や感染など)を及ぼす危険があると、
警察が判断した場合は、
同意無く搬送してもらるそうな。

親父は異常な悪臭を撒き散らす害に加え、
酒で脳に異常をきたし、
何をしでかすか分からない危険な状態だ。

大阪からのヘルプと、警察の力で、
なんとか親父を病院にブチ込もう。

作戦は一時間を見込んで、その後すぐに、
特殊清掃と粗大ゴミ回収の業者が来るように手配した。

翌朝、予定どおり大阪の親戚と合流。
現場に向かい、すくに110番と119。

脳を刺す悪臭の先の、
サイレントヒルみたいになった部屋にいる、
ドロドロのゾンビみたいな親父。

親父のお姉さんは、悪臭をものともせず、
まっすぐ親父の所に駆け寄って、
体を揺すりながら、

「なんでこんなんなってもーたん」

と言いながら泣いてました。

親父のお姉さん、すごいキレイな人で、
地獄以下だった親父の部屋が、
キラキラ輝いて見えました。

警官と救急隊員が続々と駆けつけて、
私は軽く状況を説明し、
気分が悪くなったのですぐ外に出ました。

両腕を支えられて、フラフラと、
救急車に乗り込む親父。

結局作戦は一時間で終わらず、
清掃と粗大ゴミの業者さんを待たせてしまった。

迷惑をかけた近所のかたに、
菓子折り持って詫びに回ると、

「大変だったわね。これからも無理しないで。」

と、泣きそうになりながら言ってくれました。

部屋のクリーニングを見届けて、
私は親父の病院には行かず、
出社して日常に戻ったのでした。

ここで私も、
アルコール依存症家族を離脱します。

後日談ですが、
この時の清掃と粗大ゴミ撤去にかかった、
約20万円は、その後親父から振り込まれました。

親父はここからさらに約10年生きます。

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最期
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その後、親父は大阪の病院に入りました。
アルコール依存症三度目の入院。

退院後は、
実母(ばーちゃん)と妹が暮らす生家に帰りました。

大阪での10年は、
東京での惨劇に比べると、
比較的安定していたようです。

私がここを訪れたのは、
親父が死ぬ3週間前、一回だけでした。

親父はまだ六十代前半でしたが、
90過ぎのばーちゃんより老け込んでいて、

骨と皮しか無くなっても、
眼光だけは相変わらず鋭くて、
まだまだ生きるんじゃないかと思いました。

「人に迷惑かけるなよ」

と私が言って、親父が笑ったのが最後の会話でした。

その後すぐ、親父は大阪の病院に入院して、
そのまま帰ることなく病院で死にました。


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東京で盛大にやらかした親父でしたが、
実家に戻り、ごく一般的な死を遂げて、
人生終わりまぁまぁならまぁまぁやな、
と思わせてくれました。

親父は遺産を残してくれていて、
死んでからの方が親父好きになったのですが、
(↑現金なやつ)

自分がいつか死ぬ時も、
必ず誰かの世話になり、迷惑かけるだろうから、
親父からもらった分は最低でも残して死にたいと思います。

遺書とか、遺産とか、遺族年金とか、
気が向いたら紹介したいと思いますよー



最後に・・
私は親父を見捨てたけど、後悔はしていない。
親父を介護してたら今の自分は無かったから。
最後に元気な姿を見せられて良かったよ。

アルコール依存症のご家族に平和を(祈)
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