みなさん、こんにちは。
アルコール依存症家族のゆえんです。
親父の呪いですかね。
この記事書き始めてから体調悪い・・
四十代半ばでアルコール依存症と診断されて、
仕事も家族も失った親父の話です。
←前:【アル依】治療開始から家庭崩壊まで
今回の目次です。
━━━━━━━━━━━━
二度目の入院
一人暮らし
異臭騒ぎ
後片付け
最期
━━━━━━━━━━━━
ではどうぞ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
二度目の入院
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大阪から来た親戚によって、
退職手続きを終え、病院にブチ込まれた親父。
アルコール依存症になって、
二度目の入院です。
悟りを開いたオカンは、
当然見舞いになんて行かないので、
私一人で様子を見に行ったのでした。
親父は酒が抜けて、
廃人からはギリギリ脱したものの、
まだ五十半ばなのに、
痩せこけて、老け込んで、
滑舌も悪く、白髪だらけ。
それでも眼光だけはギラギラして、
退院したら、起業するとか言いながら、
震える手で書かれたヘロヘロの文字と線で、
事務所のレイアウトを書いて見せてきました。
言葉も呂律が回ってない。
もう完全に脳がやられちゃってる。
しばらくして看護師が、
「お小水の時間ですー」
と言いながら入ってきて、
私は追い出され、
そのまま帰ったのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一人暮らし
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
数ヵ月後、
親父が退院すると連絡が入りました。
病院なんて無慈悲なもので、
治る見込みも、身寄りもないのに、
野に解き放たれてしまいました。
親父は都内で一人暮らしを始めます。
一度だけ様子を見に行きましたが、
その時は、部屋もきれいに整っていて、
新しい自分の城を満足げに自慢していました。
ここでの親父の一人暮らしは、
一年半ほど続きます。
アルコール依存症を知ってから思うことだけど、
世の中には酒が溢れてる。
外に出れば自販機やコンビニ、
どこでも酒が買えてしまうし、
家に居たってテレビつければ、
酒のCMがガンガン流れる。
アルコール依存症患者が一人暮らしなんて、
できるわけない。
絶対また飲み始めて、廃人になる。
だからって、一緒に暮らすのも無理。
オカンが悟りを開くに至った惨劇を繰り返すだけ。
死を待つしかないんだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
異臭騒ぎ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いつ頃から飲み始めたかは分かりませんが、
一年を過ぎた頃から、私の所に、
警察やマンションの管理人から、
連絡が入るようになりました。
悟りを開いたオカンからの助言で、
ガン無視決め込んでやり過ごしてましたが、
ついに管理人から、
「お部屋から異臭が・・
しばらく姿を見ていない・・」
という連絡が来てしまいました。
よっしゃ死んだ!という歓喜と、
親を孤独死させた後ろめたさ、
子供の頃の、いい親父の思い出、
いろんな感情が0.2秒くらい脳内をかけめぐり、
その後すぐに冷静になって、
腐乱死体はキツいな。
と思い、まずはググる。
警察に代理で確認依頼ができるようだ。
さっそく110番。
管理人から聞いた情報と、
親父の部屋の住所を伝えながら、
駅のホームで泣きました。
すぐ警察から折り返しの電話が。
「大丈夫ですよー
おじいちゃん、生きてらっしゃいますよー
とにかく、来て下さい。
気をつけて来て下さいねー」
泣いてたからか、
子供をあやすような口調で言われ、
死んでねーーーのかよ!!!
と絶望したのでした。
親父の部屋のフロアに着くと、
脳を刺すような強烈な異臭。
警官はその臭いをものともせず、
丁寧に状態を説明してくれました。
親父は生きていて、
この臭いは、糞尿と、残飯と、
長期間お風呂に入ってない臭いだそうな。
その時の親父の姿は、
私が想像した腐乱死体よりおぞましかった。
ゾンビ、亡霊、乞食、ヘドロ、
こんなになっても、まだ死ねないとは。
すぐに救急車を呼んで、
親父を連れていってもらおうとしたのですが、
親父は駆けつけた救急隊員に、
「病院なんか行けへんぞ」
「行けへんゆーてるやろ」
と、呂律の回らない喋りで言い張り、
本人の同意が取れないため救急搬送不可。
結局その日は親父を部屋に放置して、
警官も救急隊員も解散したのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
後片付け
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
地獄絵図と化した親父の部屋を離れて、
すぐに作戦を練る。
翌日午前休取得、
大阪の親戚に連絡してヘルプを要請。
親父を病院にブチ込むために、
同様の事例が無いかググる。
どうやら本人の同意がなく搬送できない場合でも、
周囲に害(暴力や感染など)を及ぼす危険があると、
警察が判断した場合は、
同意無く搬送してもらるそうな。
親父は異常な悪臭を撒き散らす害に加え、
酒で脳に異常をきたし、
何をしでかすか分からない危険な状態だ。
大阪からのヘルプと、警察の力で、
なんとか親父を病院にブチ込もう。
作戦は一時間を見込んで、その後すぐに、
特殊清掃と粗大ゴミ回収の業者が来るように手配した。
翌朝、予定どおり大阪の親戚と合流。
現場に向かい、すくに110番と119。
脳を刺す悪臭の先の、
サイレントヒルみたいになった部屋にいる、
ドロドロのゾンビみたいな親父。
親父のお姉さんは、悪臭をものともせず、
まっすぐ親父の所に駆け寄って、
体を揺すりながら、
「なんでこんなんなってもーたん」
と言いながら泣いてました。
親父のお姉さん、すごいキレイな人で、
地獄以下だった親父の部屋が、
キラキラ輝いて見えました。
警官と救急隊員が続々と駆けつけて、
私は軽く状況を説明し、
気分が悪くなったのですぐ外に出ました。
両腕を支えられて、フラフラと、
救急車に乗り込む親父。
結局作戦は一時間で終わらず、
清掃と粗大ゴミの業者さんを待たせてしまった。
迷惑をかけた近所のかたに、
菓子折り持って詫びに回ると、
「大変だったわね。これからも無理しないで。」
と、泣きそうになりながら言ってくれました。
部屋のクリーニングを見届けて、
私は親父の病院には行かず、
出社して日常に戻ったのでした。
ここで私も、
アルコール依存症家族を離脱します。
後日談ですが、
この時の清掃と粗大ゴミ撤去にかかった、
約20万円は、その後親父から振り込まれました。
親父はここからさらに約10年生きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最期
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その後、親父は大阪の病院に入りました。
アルコール依存症三度目の入院。
退院後は、
実母(ばーちゃん)と妹が暮らす生家に帰りました。
大阪での10年は、
東京での惨劇に比べると、
比較的安定していたようです。
私がここを訪れたのは、
親父が死ぬ3週間前、一回だけでした。
親父はまだ六十代前半でしたが、
90過ぎのばーちゃんより老け込んでいて、
骨と皮しか無くなっても、
眼光だけは相変わらず鋭くて、
まだまだ生きるんじゃないかと思いました。
「人に迷惑かけるなよ」
と私が言って、親父が笑ったのが最後の会話でした。
その後すぐ、親父は大阪の病院に入院して、
そのまま帰ることなく病院で死にました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東京で盛大にやらかした親父でしたが、
実家に戻り、ごく一般的な死を遂げて、
人生終わりまぁまぁならまぁまぁやな、
と思わせてくれました。
親父は遺産を残してくれていて、
死んでからの方が親父好きになったのですが、
(↑現金なやつ)
自分がいつか死ぬ時も、
必ず誰かの世話になり、迷惑かけるだろうから、
親父からもらった分は最低でも残して死にたいと思います。
遺書とか、遺産とか、遺族年金とか、
気が向いたら紹介したいと思いますよー
最後に・・
私は親父を見捨てたけど、後悔はしていない。
親父を介護してたら今の自分は無かったから。
最後に元気な姿を見せられて良かったよ。
アルコール依存症のご家族に平和を(祈)
アルコール依存症家族のゆえんです。
親父の呪いですかね。
この記事書き始めてから体調悪い・・
四十代半ばでアルコール依存症と診断されて、
仕事も家族も失った親父の話です。
←前:【アル依】治療開始から家庭崩壊まで
今回の目次です。
━━━━━━━━━━━━
二度目の入院
一人暮らし
異臭騒ぎ
後片付け
最期
━━━━━━━━━━━━
ではどうぞ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
二度目の入院
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大阪から来た親戚によって、
退職手続きを終え、病院にブチ込まれた親父。
アルコール依存症になって、
二度目の入院です。
悟りを開いたオカンは、
当然見舞いになんて行かないので、
私一人で様子を見に行ったのでした。
親父は酒が抜けて、
廃人からはギリギリ脱したものの、
まだ五十半ばなのに、
痩せこけて、老け込んで、
滑舌も悪く、白髪だらけ。
それでも眼光だけはギラギラして、
退院したら、起業するとか言いながら、
震える手で書かれたヘロヘロの文字と線で、
事務所のレイアウトを書いて見せてきました。
言葉も呂律が回ってない。
もう完全に脳がやられちゃってる。
しばらくして看護師が、
「お小水の時間ですー」
と言いながら入ってきて、
私は追い出され、
そのまま帰ったのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一人暮らし
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
数ヵ月後、
親父が退院すると連絡が入りました。
病院なんて無慈悲なもので、
治る見込みも、身寄りもないのに、
野に解き放たれてしまいました。
親父は都内で一人暮らしを始めます。
一度だけ様子を見に行きましたが、
その時は、部屋もきれいに整っていて、
新しい自分の城を満足げに自慢していました。
ここでの親父の一人暮らしは、
一年半ほど続きます。
アルコール依存症を知ってから思うことだけど、
世の中には酒が溢れてる。
外に出れば自販機やコンビニ、
どこでも酒が買えてしまうし、
家に居たってテレビつければ、
酒のCMがガンガン流れる。
アルコール依存症患者が一人暮らしなんて、
できるわけない。
絶対また飲み始めて、廃人になる。
だからって、一緒に暮らすのも無理。
オカンが悟りを開くに至った惨劇を繰り返すだけ。
死を待つしかないんだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
異臭騒ぎ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いつ頃から飲み始めたかは分かりませんが、
一年を過ぎた頃から、私の所に、
警察やマンションの管理人から、
連絡が入るようになりました。
悟りを開いたオカンからの助言で、
ガン無視決め込んでやり過ごしてましたが、
ついに管理人から、
「お部屋から異臭が・・
しばらく姿を見ていない・・」
という連絡が来てしまいました。
よっしゃ死んだ!という歓喜と、
親を孤独死させた後ろめたさ、
子供の頃の、いい親父の思い出、
いろんな感情が0.2秒くらい脳内をかけめぐり、
その後すぐに冷静になって、
腐乱死体はキツいな。
と思い、まずはググる。
警察に代理で確認依頼ができるようだ。
さっそく110番。
管理人から聞いた情報と、
親父の部屋の住所を伝えながら、
駅のホームで泣きました。
すぐ警察から折り返しの電話が。
「大丈夫ですよー
おじいちゃん、生きてらっしゃいますよー
とにかく、来て下さい。
気をつけて来て下さいねー」
泣いてたからか、
子供をあやすような口調で言われ、
死んでねーーーのかよ!!!
と絶望したのでした。
親父の部屋のフロアに着くと、
脳を刺すような強烈な異臭。
警官はその臭いをものともせず、
丁寧に状態を説明してくれました。
親父は生きていて、
この臭いは、糞尿と、残飯と、
長期間お風呂に入ってない臭いだそうな。
その時の親父の姿は、
私が想像した腐乱死体よりおぞましかった。
ゾンビ、亡霊、乞食、ヘドロ、
こんなになっても、まだ死ねないとは。
すぐに救急車を呼んで、
親父を連れていってもらおうとしたのですが、
親父は駆けつけた救急隊員に、
「病院なんか行けへんぞ」
「行けへんゆーてるやろ」
と、呂律の回らない喋りで言い張り、
本人の同意が取れないため救急搬送不可。
結局その日は親父を部屋に放置して、
警官も救急隊員も解散したのでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
後片付け
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
地獄絵図と化した親父の部屋を離れて、
すぐに作戦を練る。
翌日午前休取得、
大阪の親戚に連絡してヘルプを要請。
親父を病院にブチ込むために、
同様の事例が無いかググる。
どうやら本人の同意がなく搬送できない場合でも、
周囲に害(暴力や感染など)を及ぼす危険があると、
警察が判断した場合は、
同意無く搬送してもらるそうな。
親父は異常な悪臭を撒き散らす害に加え、
酒で脳に異常をきたし、
何をしでかすか分からない危険な状態だ。
大阪からのヘルプと、警察の力で、
なんとか親父を病院にブチ込もう。
作戦は一時間を見込んで、その後すぐに、
特殊清掃と粗大ゴミ回収の業者が来るように手配した。
翌朝、予定どおり大阪の親戚と合流。
現場に向かい、すくに110番と119。
脳を刺す悪臭の先の、
サイレントヒルみたいになった部屋にいる、
ドロドロのゾンビみたいな親父。
親父のお姉さんは、悪臭をものともせず、
まっすぐ親父の所に駆け寄って、
体を揺すりながら、
「なんでこんなんなってもーたん」
と言いながら泣いてました。
親父のお姉さん、すごいキレイな人で、
地獄以下だった親父の部屋が、
キラキラ輝いて見えました。
警官と救急隊員が続々と駆けつけて、
私は軽く状況を説明し、
気分が悪くなったのですぐ外に出ました。
両腕を支えられて、フラフラと、
救急車に乗り込む親父。
結局作戦は一時間で終わらず、
清掃と粗大ゴミの業者さんを待たせてしまった。
迷惑をかけた近所のかたに、
菓子折り持って詫びに回ると、
「大変だったわね。これからも無理しないで。」
と、泣きそうになりながら言ってくれました。
部屋のクリーニングを見届けて、
私は親父の病院には行かず、
出社して日常に戻ったのでした。
ここで私も、
アルコール依存症家族を離脱します。
後日談ですが、
この時の清掃と粗大ゴミ撤去にかかった、
約20万円は、その後親父から振り込まれました。
親父はここからさらに約10年生きます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最期
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
その後、親父は大阪の病院に入りました。
アルコール依存症三度目の入院。
退院後は、
実母(ばーちゃん)と妹が暮らす生家に帰りました。
大阪での10年は、
東京での惨劇に比べると、
比較的安定していたようです。
私がここを訪れたのは、
親父が死ぬ3週間前、一回だけでした。
親父はまだ六十代前半でしたが、
90過ぎのばーちゃんより老け込んでいて、
骨と皮しか無くなっても、
眼光だけは相変わらず鋭くて、
まだまだ生きるんじゃないかと思いました。
「人に迷惑かけるなよ」
と私が言って、親父が笑ったのが最後の会話でした。
その後すぐ、親父は大阪の病院に入院して、
そのまま帰ることなく病院で死にました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
東京で盛大にやらかした親父でしたが、
実家に戻り、ごく一般的な死を遂げて、
人生終わりまぁまぁならまぁまぁやな、
と思わせてくれました。
親父は遺産を残してくれていて、
死んでからの方が親父好きになったのですが、
(↑現金なやつ)
自分がいつか死ぬ時も、
必ず誰かの世話になり、迷惑かけるだろうから、
親父からもらった分は最低でも残して死にたいと思います。
遺書とか、遺産とか、遺族年金とか、
気が向いたら紹介したいと思いますよー
最後に・・
私は親父を見捨てたけど、後悔はしていない。
親父を介護してたら今の自分は無かったから。
最後に元気な姿を見せられて良かったよ。
アルコール依存症のご家族に平和を(祈)
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