3、シルクロード旅行(3)古都トルファン
ウルムチは清朝が征服地統治のために造った政治都市であるのに対し、
トゥルファンは古代ウイグル王国の首都機能を担ったこともあり、
最もウイグルの香り、シルクロードの雰囲気を保った都市。
・・・シルクロードの天山南路と天山北路の分岐点に位置し、
現在では鉄道の蘭新線と南彊線の分離点にあたる。
周辺には中国流に言えば6つの「全国重点文物保護単位」があり
(交河故城、高昌古城、ベゼクリク克千仏洞、蘇公塔、アスタナ古墓、台蔵塔)、
名勝地としては有名な火焔山、アイディン湖など、都市部ではカレーズや葡萄園など必見。
市内で食事する時の素朴な疑問・・・これだけ葡萄を主産物にしながら(葡萄園、葡萄倉庫など随所で見れる)、
葡萄酒はビン詰めのものしかなく、ハウスワインとしてグラスでサーヴィスする習慣がなく手軽に注文しにくい。
イスラム教の禁酒習慣の影響?
少し歴史に即して文物を見ると・・・
○ 前漢代に「車師前国」があり、その王城は交河城。この時期から中国王朝はトゥルファン東部に
高昌城を築いて屯田兵を置き、西域に睨みをきかした。
○ その後、中国の戦乱期にはこの高昌への移住者が増え、彼らは「高昌国」を立てるが(450年)、
柔然など北方民族に圧迫されつづけ、640年には唐の支配下に入る(安西都護府)。
○ その後唐の支配が緩むと、9世紀になると「天山ウイグル王国」の支配下に入り、
その冬の首都(夏は高知へ移動)とされた。
○ 13世紀モンゴル帝国の征服後には「チャガタイ・ハン国」に領有され、
その後分裂後は約300年「東チャガタイ・ハン」⇒「ティムール支配」を繰り返す。
そしてチャガタイの末裔、カシュガルの「ヤルカンド・ハン国」を経て、
清代にはジュンガル部との間で争奪戦が行われ、清朝が勝利する。
○ 唐人による高昌国時代から、火焔山東部に仏教寺院や多くの石窟仏や仏画が出現し、
やがてウイグル帝国時代にもひきつがれ(ウイグル人も元は仏教信仰だった)、
「ベゼクリク千人仏」は王族の寺院として栄える。・・・・
しかしながらこの地のイスラム化と清末期の欧米探検家の進出により、
多くの仏教美術が破壊・破損されてしまい、現在その修復に費用労力を要している。
(了)
ウルムチは清朝が征服地統治のために造った政治都市であるのに対し、
トゥルファンは古代ウイグル王国の首都機能を担ったこともあり、
最もウイグルの香り、シルクロードの雰囲気を保った都市。
・・・シルクロードの天山南路と天山北路の分岐点に位置し、
現在では鉄道の蘭新線と南彊線の分離点にあたる。
周辺には中国流に言えば6つの「全国重点文物保護単位」があり
(交河故城、高昌古城、ベゼクリク克千仏洞、蘇公塔、アスタナ古墓、台蔵塔)、
名勝地としては有名な火焔山、アイディン湖など、都市部ではカレーズや葡萄園など必見。
市内で食事する時の素朴な疑問・・・これだけ葡萄を主産物にしながら(葡萄園、葡萄倉庫など随所で見れる)、
葡萄酒はビン詰めのものしかなく、ハウスワインとしてグラスでサーヴィスする習慣がなく手軽に注文しにくい。
イスラム教の禁酒習慣の影響?
少し歴史に即して文物を見ると・・・
○ 前漢代に「車師前国」があり、その王城は交河城。この時期から中国王朝はトゥルファン東部に
高昌城を築いて屯田兵を置き、西域に睨みをきかした。
○ その後、中国の戦乱期にはこの高昌への移住者が増え、彼らは「高昌国」を立てるが(450年)、
柔然など北方民族に圧迫されつづけ、640年には唐の支配下に入る(安西都護府)。
○ その後唐の支配が緩むと、9世紀になると「天山ウイグル王国」の支配下に入り、
その冬の首都(夏は高知へ移動)とされた。
○ 13世紀モンゴル帝国の征服後には「チャガタイ・ハン国」に領有され、
その後分裂後は約300年「東チャガタイ・ハン」⇒「ティムール支配」を繰り返す。
そしてチャガタイの末裔、カシュガルの「ヤルカンド・ハン国」を経て、
清代にはジュンガル部との間で争奪戦が行われ、清朝が勝利する。
○ 唐人による高昌国時代から、火焔山東部に仏教寺院や多くの石窟仏や仏画が出現し、
やがてウイグル帝国時代にもひきつがれ(ウイグル人も元は仏教信仰だった)、
「ベゼクリク千人仏」は王族の寺院として栄える。・・・・
しかしながらこの地のイスラム化と清末期の欧米探検家の進出により、
多くの仏教美術が破壊・破損されてしまい、現在その修復に費用労力を要している。
(了)
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