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100のエッセイ・第10期・52 B面的

2015-09-07 12:05:52 | 100のエッセイ・第10期

52 B面的

2015.9.7


 

 たまたまつけた車のラジオから、『黄昏のビギン』が流れてきた。男の声である。あれっと思った。

 『黄昏のビギン』といえば、ぼくの中では、「ちあきなおみ」である。他の歌手では聞いたことがないし、これ以上の歌唱はありえないと思っていた。「ちあきなおみ」も、すでに伝説化している歌手だが、ほんとうにうまかった。『矢切の渡し』も、多くの人は、細川たかしの歌だと思っているようだが、本家は「ちあきなおみ」である。(ぜんぶ平仮名の名前なので括弧つきにしないとわかりにくい。)「ちあきなおみ」の『矢切の渡し』を聞いたら、細川たかしなんて歌手じゃないぐらいの印象になってしまう。細川はただ、声を張っているだけで、「どうだオレはこんなに声が出るんだぞ、わかったか!」みたいな自己主張ばかりが前面に出て、情感もへったくりもありゃしない。

 しかし、ラジオから流れてくる『黄昏のビギン』の男の声は、とてもしぶくて、ゆとりがあって、余計な力が入ってなくて、低音でときどきハスキーになるところなんて、実にいい。いったい誰なんだろう。ぼくの記憶の中では、この声に似ているのは水原弘しかいない。けれども、水原弘といえば『黒い花びら』での、声を張った、力んだ歌い方しか印象にない。さて、さて、と、歌が終わるのを待った。NHKのFMなので、終わった後もちゃんと歌手紹介がある。

 やっぱり、水原弘だった。そうか、水原弘って、こんなに歌のうまい歌手だったんだと改めて見直した。家に帰って、調べてみると、『黄昏のビギン』は、もともと水原弘の歌だということが分かった。作詞は永六輔、作曲は中村八大。(ウィキペディアによれば、『黒い花びら』の大ヒットの後、水原の「黒い」シリーズの第二段として『黒い落葉』がシングル発売になり、そのB面として『黄昏のビギン』が作られたとのこと。作詞・作曲はもちろん、同じ2人だが、『黄昏のビギン』の作詞は実は全部中村八大がしたのだという。)

 昔聞いた話だが、このB面の曲というのは、レコードの性質上どうしても作らなければならなかったわけだが、ほとんど力を入れて作らなかったらしい。ほんのオマケ程度で、かなりいい加減に作った曲も多いのだろうし、ほとんどのB面の曲というのは、埋もれている。

 けれども、それが時に大ヒットすることもあるわけで、先述の『矢切の渡し』もB面の曲だったし、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』も『カッコマン・ブギ』のB面だった。もっとも、これはA面の『カッコマン・ブギ』もヒットして、うちの息子どもも小さい頃「カッカッカ! カッコマン~」って、ずいぶん歌っていたような気がする。けれども、それ以上に大ヒットしてダウン・タウン・ブギウギ・バンドの代表曲のようになったのは、B面の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』だったというわけだ。

 そんなわけで、水原弘の『黄昏のビギン』をきいて、「あれ? いいじゃん。」って思ったぼくは、知識の上では、未熟者だったわけだが、歌を聴く耳は案外いい線いっているのではなかろうかと、勝手に満足したのであった。

 ところで、そのラジオ番組では、次々と古い歌謡曲を流していたのだが、そのうち、「次は、細川たかしさんの『さだめ川』をお送りします。」という。『さだめ川』は、「ちあきなおみ」のシングルA面の曲で、ヒット曲だし、大好きな歌だ。それを細川たかしが歌うんだって、と、鼻白んだが、実際に流れてきた細川たかしの『さだめ川』は、今の細川の持つ先ほど述べたような嫌味が全然なくて、素直でしっとりとした歌唱。途中で、これ角川博じゃないのかなあ、オレの聞き間違えかも、なんて思ったのだが、やっぱり歌が終わると、細川たかしさんの『さだめ川』でした、のアナウンス。細川たかしも、ちょっと見直したのだった。

 歌でも、書でも、他の芸術でも、気合いを入れて「どうだ!」っていう感じで作ったものより、力を抜いて、場合によっては「オマケ感覚」でいい加減に作ったもの、言ってみればB面的なものに、案外いいものがある、ということがあるような気がしてならない昨今である。



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