日本近代文学の森へ (154) 志賀直哉『暗夜行路』 41 美しい車窓風景 「前篇第二 二」その1
2020.6.4
謙作を乗せた船は、翌日の朝8時ごろには、紀州の海岸に沿って進み、神戸には午後の3時に着いた。港から俥で三の宮に行き、そこから汽車に乗ったのだった。
塩屋、舞子の海岸は美しかった。夕映を映した夕なぎの海に、岸近く小舟で軽く揺られながら、胡坐(あぐら)をかいて、網をつくろっている船頭がある。白い砂浜の松の根から長く綱を延ばして、もう夜泊(よどまり)の支度をしている漁船がある。謙作は楽しい気持で、これらを眺めていた。そして汽車が進むに従って夜(よ)が近づいた。彼はまた睡むくなった。眼まぐるしい、寝不足続きの生活の後ではいくら眠っても眠足りなかった。彼は食堂へ行って、簡単な食事を済ますと、和服に着かえて空いている座席に長くなった。そして十一時頃ボーイに起され、尾の道で下車した。
美しい描写だ。まるで、彩色写真を見るような古びた風景。こんな車窓風景があったなんて、信じられないくらい。今ではもうそんな風景はどこにもないだろう。それでも、一度この路線を各駅停車で走ってみたいものだ。
JRの路線を乗り潰した鉄ちゃんの長男によれば、車窓風景がもっとも美しかったのは、山口県の岩国駅から由宇駅に向かうあたりの海の景色だったのだそうで、自分の息子にも第二の故郷を、ということで、その名前を由宇とした。鉄ちゃんの極みだが、そのことを聞いて、ぼくら夫婦も家内の両親も、由宇を訪ねたものだった。瀬戸内海は、そんなわけで、ぼくにとってはとても親しみの深いところである。
それに、家内の故郷の高知へ行くには、かつては、宇高連絡船を使ったもので、これもまた瀬戸内海への特別な思いをかきたてる。
そして尾道。旅行をあまりしてこなかったぼくだが、ここへは一度だけ行ったことがある。学校の研修で、広島学院に行ったおりに、立ち寄ったのだった。この時、志賀直哉が住んだ住居も訪れたのだが、その縁側から眺める瀬戸内海の風景と、住居の質素さは、心に深く残っている。もう一度行ってみたいと思いつつ、結局その後は行っていない。
「塩屋」「舞子」と続く地名も美しい。調べてみれば、それは、須磨の海岸から続いているのだった。
旅行案内に出ている宿屋は二軒とも停車場の前にあった。彼はその一軒へ入った。思ったより落ついた家だったが、三味線の音が聴えていたので、彼は番頭に、「なるべく奥の静かな部屋がいい」といった。
二階の静かな部屋に通された。彼は起(た)って、障子を開けて見た。まだ戸が閉めてなく、内からさす電燈の明りが前の忍返(しのびがえ)しを照らした。その彼方(むこう)がちょっとした往来で直ぐ海だった。海といっても、前に大きな島があって、河のように思われた。何十隻という船や荷船が所々にもやっている。そしてその赤黄色い灯の美しく水に映るのが、如何にも賑やかで、何となく東京の真夜中の町を想わせた。
尾道の宿屋の風情、窓の外の光景などが、簡潔に、そして印象深く描かれている。まったくこうした箇所を読むと、志賀直哉というのは、ほんとうにすごい文章家だなあと思い知る。
謙作は、女中に按摩を頼み、やってきた按摩から土地の情報を得る。なるほど、按摩は、そうした一種の観光案内的な役割も果たしていたのだ。
彼は按摩から、西国寺、千光寺、浄土寺、それから、講談本にある拳骨物外(げんこつもつがい)の寺、近い処では柄(とも)の津の仙酔島(せんすいとう)、阿武兎(あぶと)の観音、四国では道後の湯、讃岐の金刀比羅、高松、屋島、浄瑠璃にある志度寺(しどじ)などの話を聴いた。彼は東京からの夜着その他の荷の着くまで一週間ほど、何処か旅してもいいと考えた。
そのうち、海の方から「美しい啼声だか音だか」が聞こえてくる。
海の方で、ピヨロッピヨロッと美しい啼声だか音だかがしている。丁度芝居で使う千鳥の暗声だ。もう人々の寝静まった夜更、黙ってこれを聴いていると何となく、淋しいような快い旅情が起って来た。
「あれは何だい?」
「あの音かえな。ありゃあ、船の万力(せみ)ですが」
翌日十時頃、彼は千光寺という山の上の寺へ行くつもりで宿を出た。その寺は市の中心にあって、一卜眼に全市が見渡せるというので、其処から大体の住むべき位置を決めようと彼は思った。
この音は、鳥の声のようでもあり、何かの音のようでもある。それを「丁度芝居で使う千鳥の啼声だ」とする。歌舞伎をみていると、よくこの「千鳥の啼声」が聞こえてくる。竹製の笛による擬音だ。この笛の音に似ているとすることで、その音が鳥の声のようでもあり何か人工物の立てる音のようでもあることが見事に表現される。その上で、按摩の説明によって「船の万力(せみ)」だということが明らかになる。この「船の万力」というのは、「帆をあげおろしする時に使う小さな滑車」(岩波文庫注)のこと。つまりは人工的な音だったわけだ。
按摩の説明を聞いての謙作の感想は書かれずに、次へと進む文章の呼吸もいい。余韻がある。
翌日、謙作は、千光寺へ行って、そこから尾道の町を見下ろして、どこか住むのにいいところを探そうとする。このあたりの描写は楽しい。尾道を謙作と一緒に散策しているような気分になれる。
漸く千光寺へ登る石段へ出た。それは幅は狭いが、随分長い石段だった。段の中頃に二、三軒の硝子戸を閉め切った茶屋があって、どの家にも軒に千光寺の名所絵葉書を入れた額が下っていた。段を登り切って、左へ折れ、また右へ少し、幅広い石段を登ると、大きな松の枝に被われた掛茶屋があった。彼はその床几に腰を下ろした。
前の島を越して遠く薄雪を頂いた四国の山々が見られた。それから瀬戸海のまだ名を知らぬ大小の島々、そういう広い景色が、彼には如何にも物珍らしく愉快だった。烟突に白く大阪商船の印をつけた汽船が、前の島の静かな岸を背景にして、時々湯気を吐きちょっと間を措(お)いて、ぼーっといやに底力のある汽笛を響かしながら、静かに入って来た。上げ汐の流れに乗った小船が案(おもい)の外の速さでその横を擦れ違いに漕いで行く。そして、幅広い不恰好な渡し船が流れを斜に悠々と漕ぎ上っているのが見られた。しかし彼はこういう見馴ない景色を眺めていると、やがてこれにも見厭き、それがいい景色だけにかえって苦になりそうだというような気がした。
最後の一文「しかし彼はこういう見馴ない景色を眺めていると、やがてこれにも見厭き、それがいい景色だけにかえって苦になりそうだというような気がした。」が気になる。
見慣れない景色というのは最初は新鮮だが、やがて見飽きる。その景色が何の変哲もない景色ならそれでもいいが、「いい景色」だと「かえって苦になりそうだ」というのだ。どういうことが「苦になる」のだろうか。毎日見れば飽きるに決まっているが、それが「いい景色」だと、「飽きる」ということになにか一種の「罪の意識」みたいなものを感じてしまうということだろうか。「罪の意識」というのも大げさだが、毎日「いい景色」を押しつけられて、「どうだいい景色だろう」と言われ続けるような、鬱陶しさを感じるということだろうか。
よく分からないが、なんとなく、分かるような気もする。
美人の奥方を持つ亭主が、なんで浮気をするのかといつも疑問に思うのだが、それはこういうことなのかもしれない、などとふと思ったりする。