43 土佐の旅はキャンセルばかり
2013.9.8
高知へ行ってきた。一昨年から3年連続である。一昨年は、義父の納骨。昨年は義父の一周忌。そして今年は、義父の三回忌である。
高知というところは、土地の人に言わせると、「陸の孤島」で、飛行機を使えば何ということはないが、陸路で行くと何かと大変なところだ。飛行機のない平安時代には、かの紀貫之は陸路で行くことができないから、船で行って帰ってきた。その帰り道の様子を書いたのが『土佐日記』だが、それによると、土佐の国府を出たのが、12月21日で、京都の自宅に着いたのが、翌年2月の16日である。約2ヶ月かかっている。帆掛け船(漕ぎ手もいたようだが)だから、風がなければ入江に停泊、風が強くても停泊、瀬戸内海に近づけば海賊の恐怖に襲われ、という苦労続きだが、季節が冬なので、台風の記述はない。
現代では、鉄道も高速道路も瀬戸大橋もあるから、『土佐日記』の時代よりは数段ましではあるが、難路には違いない。それは、土讃線が雨に弱いからである。
一昨年のことは名エッセイの誉れ高い(?)『お骨と雨と土讃線』に詳しいが、昨年は「エッセイに書くほどのことは何も起こらなかった。」と言いつついちおう『今度は高知は晴れていた』というエッセイを書いたが、帰ってきて久しぶりに読んでみたら、やっぱり去年も台風に悩まされたんだと、思い出した。たいしたことがなくても書いておくものである。
で、今年はというと、またまた台風に振り回された旅行だった。それも昨年よりも格段にヒドイことになった。
予定はこうだった。9月3日、新幹線と土讃線を乗り継ぎ高知へ。4日は、オバアチャン(義母。家内の母。)を郷里の高知県越知町へ連れて行って小学校時代の友人と再会させ、その後さらにその奥の高知県仁淀川町(旧仁淀村)でおおきな病院の院長をしているオバアチャンの弟に会わせる。そのためにレンタカーをぼくが運転する。5日、午前中に三回忌の法要。午後、オバアチャンは南国市に住む昔の友人と会い、そのあいだにレンタカーで、ぼくと家内は安芸市にある書道美術館を訪れる。そして6日、土讃線と新幹線で帰る。
8月の高知は高温が続き、雨も少なく、早明浦ダムなどは貯水率が25パーセントを割り込み、このままいくと干あがると言われていたし、台風も全然来なかった。ところが、8月の末になって台風16号が生まれた。やばいかなあと思っているうちに、雨は降らせたけれど、途中で熱帯低気圧だか温帯低気圧だかに変わってしまい、旅行に影響はまったくなさそうだった。その後は、天気図のどこにも熱帯低気圧の影すらなかった。これならいけると思っていた矢先、突然沖縄あたりに熱帯低気圧が生まれた。なんじゃこりゃと思っていると、すぐに台風17号となった。予報円をみると、どうも動きが鈍く、6日あたりに四国に中心部がやってきそうな気配だが、出発の3日は、まだ大丈夫そうだ。向こうに着ければ後は何とかなるだろう、土讃線さえ不通にならなければいいんだからということで、予定通り出発。家内と義母とぼくの三人。当たり前だが、「お骨」はない。
新幹線は雨に向かって走って行った。大袈裟に言えば、台風に向かって突入していったというところだろうか。台風が、「おまえたちにはそう簡単には来させないぞ。来られるもんならいらっしゃい。」と言っているかのようだ。まあしかし、雨は降り出しても大雨ではない。土讃線に乗っても雨はほとんど降っていない。瀬戸大橋からの瀬戸内海の島々も霞んでいるが、雨は降っていない。悪夢の「繁藤」も無事通過。なんだ、大丈夫じゃないか。その夜は、親戚7名ほどで、はりまや橋近くの「司」でオジイチャンをしのんで会食。といっても、オジイチャンの話題はそれほどなかったような。
しかしその夜、台風にともなう大雨となった。グランドパレス新阪急ホテルという、大きなホテルなのに、寝ていても窓を打つ雨の音が聞こえてくる。
朝起きて、iPadで気象庁のレーダー・ナウキャストを見て驚愕。何と、高知でも、その日に行くことになっていた仁淀川町あたりが雨が一番激しく、50ミリを超える雨がどんどんととめどなく降っているではないか。これにはほとんど「悪意」を感じた。何もそこまで邪魔しなくてもいいじゃない。
前日の3日、ある程度の雨を予測していたから、高知の山間部をぼくの拙い運転ではどうも不安だということで、レンタカーをキャンセルし、タクシーを予約してあったのだが、いくらタクシーでもこの雨の中を行けというのは、戦場へ赴けというに等しいので、タクシーもキャンセル。
そのうち、テレビの気象情報で、台風は明日四国に最接近とかいう。それじゃあ、法事ができないじゃないか。しかし、レーダーでの予測を見ると、どうも今日の午後には雲が切れそうだからというので、5日の法事を4日の午後に変更してもらった。
しかし、それでは、オバアチャンの宿願はどうなる? 6日に帰ってしまったら、せっかく高知まで来て、三回忌以上に大事な(オジイチャンごめんなさい。)オバアチャンの里帰りが実現できなければ意味がない。それなら、6日に行こう。それがダメなら7日に行こう。家には8日に帰ればいい。オレの学校は9日に始まるから、それでいい。ということで、ホテルを6日、7日と連泊を延長し、6日のチケットをキャンセルしに大雨の中をタクシーで駅に向かった。幸い8日のチケットがとれた。
ホテルにかえってひと息ついているうちに、天気が急速に回復しはじめた。レーダー・ナウキャストを見ると、もう雨雲はどこにもない。東へと移っている。午後3時の法事のころには、日も射してきて、穏やかな法事を営むことができたのだった。テレビの気象情報なんてあてにできない。レーダー・ナウキャストを見て自分で判断するほうがいい。
再びホテルに帰って、ゆっくり今後のことを考えると、7日に帰ることができるという判断に至った。明日はゆっくりして、6日に越知町・仁淀川町へ行けばいい。今度は7日のホテル宿泊をキャンセル。再びチッケット変更の為に駅へ。今度はチケットは「変更」ではなくて、一端キャンセルして買い戻しとなり、キャンセル料を取られてしまった。(「変更」で手数料無料は1回のみ。)
駅に着くと、案の定、土讃線がとまっているとのこと。中村方面は午前中から運転見合わせだったが、午後は岡山方面も運転見合わせ。しかも、岡山方面は、5、6カ所に土砂が線路に入り込んでいるとのことで、今日中の運転再開は無理かもしれないなんて駅員が言っている。びっくりして、チケット係のオネエサンに、「ちょっと、ちょっと、7日にはいくら何でも運伝してるよね?」と聞くと、オネエサンは、「さあ、多分大丈夫だと思いますけど、はっきりしたことはいえないんですよね。」と実にこころもとないお返事。
まあ、いいや、それなら8日だ。それもだめなら9日の授業を休めばいんだから(どこまでも飛行機を拒否するぼくなのでした。)、ということで、再びタクシーでホテルに戻った。そんな話をタクシーの運ちゃんにすると、「そうですろ。土讃線はすぐにとまるきに。おとといも停まって、バスが救援に来たらしいけんど、2時間も待たされよったちゅうお客さんがいいいよりましたわ。(インチキ土佐弁です)」なんて言う。え、それじゃあ、ぼくらは3日に何ごともなく高知へ着いたけど、2日でも4日でもダメだったのか。これは一種の奇跡か? って思って、同じ事を思っているに違いない家内と顔を見合わせたのだった。