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日本近代文学の森へ (99) 徳田秋声『新所帯』 19 様になる場所

2019-03-25 14:14:45 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (99) 徳田秋声『新所帯』 19 様になる場所

2019.3.25


 

 年の瀬からズルズルと新吉の家に居座ってしまったお国だが、とうとう晦日になってしまった。その間、別に男女の関係になったなどという急な展開はないが、新吉の気持ちは、お国の気持ちを測りかねて、揺れる。

 新年に向けての細々とした用意をお国にはしてくれるのだが、そこに描かれる年末の様子がとても印象的に描かれている。

 

 こういうような仕事が二日も三日も続いた。お国はちょいちょい外へ買物にも出た。〆飾りや根松を買って来たり、神棚に供えるコマコマした器などを買って来てくれた。帳場の側に八寸ばかりの紅白の鏡餅を据えて、それに鎌倉蝦魚(えび)や、御幣を飾ってくれたのもお国である。喰積(くいつ)みとかいうような物も一ト通り拵えてくれた。晦日の晩には、店頭(みせさき)に積み上げた菰冠(こもかぶ)りに弓張が点されて、幽暗(ほのぐら)い新開の町も、この界隈ばかりは明るかった。奥は奥で、神棚の燈明がハタハタ風に揺めいて、小さい輪飾りの根松の緑に、もう新しい年の影が見えた。

 

「〆飾り」は分かるにしても、「根松」となると、ぼくにはもう分からない。「日本国語大辞典」には「根のついている松」とだけあって、用例にこの『新所帯』のこの部分が上げられているが、それ以上はどうも分からない。今では、スーパーなどで松の枝を買ってきて、玄関などに飾るわけだが、あれには根はついていない。昔は、あれに根がついていたのだろうか。後の部分に「小さい輪飾りの根松の緑」とあるから、小さな松で根の付いたものと考えるのがいいのかもしれない。

 「紅白の鏡餅」とある。ぼくは鏡餅は白だとばかり思っていたので、ネットで調べて見ると、石川県では紅白の鏡餅が今でも飾られていることがわかった。石川県での由来は書いてあったが、それでは東京ではどうだったのか。当時の東京でも、紅白の鏡餅が飾られていたのだろうか。それとも、作者の徳田秋声が金沢出身なので、思わずそう書いてしまったということなのだろうか。謎である。

 「鎌倉蝦魚」って何? て思って調べたら、何と伊勢海老のことだった。鎌倉近海でとれたので、「鎌倉海老」といったのだという。すでに井原西鶴の『好色五人女』(1689年)に出てきている言葉だ。明治末期まで使われていたとすると、いったいいつから「伊勢海老」になったのだろう。まあ、関西では昔から「伊勢海老」だったのだろうが。

 次に「喰積(くいつみ)」だ。これも「日本国語大辞典」によれば、「正月に年賀客に儀礼的に出す取りざかなで、蓬莱台や三方に米を盛り、熨斗鮑(のしあわび)、勝栗、昆布、野老(ところ)、干柿などをそえたもの。お手かけ。」とある。これも見たことがない。なんか、地方ではあったような気がするが。「弓張」というのは、「弓張提灯」のこと。

 こうしてみると、年末ひとつとっても、今昔にどれほどの隔たりがあるかが実感される。明治という時代は、まだまだ江戸時代の影を色濃く落としていたのだ。

 こうしたこまかい事象をわかったうえで、この部分をゆっくり読み返してみると、連綿と続く年末年始のしきたりが、庶民の間に行き渡り、それが、なにかとせわしない日常に、節目と安定のようなものを与えていたことが想像される。決して豊かな生活ではなかったにせよ、ここには確かな生活があったのだ。

 そんな年末の何やかやと描写した後に、さらっと、お国の姿が描かれれる。これがまたいい。


 お国は近所の髪結に髪を結わして、小紋の羽織など引っかけて、晴れ晴れした顔で、長火鉢の前に坐っていた。


 ビシッと決まっている。

 お国はたいした美人でもないごく普通の女なのだろうが、これはまるで、「お富さん」だ。煙管は加えていないかもしれないが、とにかくここで絶大な威力を発揮しているのが「長火鉢」だ。これほど形の決まる家具もない。誰だってこの前に座って、キセルをくわえたり、鉄瓶で燗を付けたお銚子で一杯やれば、なにはともあれ「いっぱしの者」らしい雰囲気が生まれてしまう。

 結ったばかりの髪、ひっかけた小紋の羽織、晴れ晴れした顔で、長火鉢の前に座るお国。別に美人じゃなくても、なんだかすっかり様になっている。

 亭主は監獄に入っていて、呼ばれもしないのに亭主の友人宅に居座って、それで、「どことなく居場所がない」感が微塵もなくて、どこか堂々としてさえいる。それはお国の性格の故もあろうが、それを見事に演出しているのが「長火鉢」だ。いったい現代の、例えばマンションにおいて、同じ状況で女が「堂々と見える」場所があるだろうか。どんな服を着て、どんな顔をして、どこに座ればいいのか。ソファーに座っても、リビングテーブルに座っても、様にならないよね。まあ、男にもそんな場所はないんだけど。

 

 九時過ぎに、店の方はほぼ形がついた。新吉は小僧二人に年越しのものや、蕎麦を饗応(ふるも)うてから、代り番こに湯と床屋にやった。店も奥もようやくひっそりとして来た。油の乏しくなった燈明がジイジイいうかすかな音を立てて、部屋にはどこか寂しい影が添わって来た。黝(くろず)んだ柱や、火鉢の縁に冷たい光沢(つや)が見えた。底冷えの強い晩で、表を通る人の跫音(あしおと)が、硬く耳元に響く。


 うまいなあ。うっとりする文章だ。特に「音」に注目だ。

 小僧たちがいなくなって「ひっそり」とした家。燈明の「ジイジイいうかすかな音」。「表を通る人の跫音」──それはおそらく下駄の音だろう──が「硬く耳元に響く」。カランコロンという乾いた下駄の音が、いつもより耳に近く、聞こえるということだ。完璧な日本語だ。

 部屋に「添わって」くる「寂しい影」、「黝んだ柱」、「火鉢の縁に冷たい光沢が見えた」などの視覚的イメージも、寸分の隙もない。

 新吉は、去年の暮れのことを思い出す。その暮れはお作と過ごしたのだ。それなのに、今はこうしてお国と過ごしている。そのことに、新吉は、後ろめたさというよりは、お国に対する「不快感」を感じるのだった。

 


 新吉は火鉢の前に胡坐をかいて、うつむいて何やら考え込んでいた。まだ真(ほん)の来たてのお作と一所に越した去年の今夜のことなど想い出された。
「何をぼんやり考えているんです。」とお国は銚子を銅壺(どうこ)から引き揚げて、きまり悪そうな手容(てつき)で新吉の前に差し出した。
 新吉は、「何、私(あっし)や勝手にやるで……。」とその銚子を受け取ろうとする。
「いいじゃありませんか。酒のお酌くらい……。」お国は新吉に注いでやると、「私もお年越しだから少し頂きましょう。」と自分にも注いだ。
 新吉は一杯飲み干すと、今度は手酌でやりながら、「どうもいろいろお世話さまでした。今年は私もお蔭で、何だか年越しらしいような気がするんで……。」
 お国は手酌で、もう二、三杯飲んだ。新吉は見て見ぬ振りをしていた。お国の目の縁が少し紅味をさして、猪口(ちょく)をなめる唇にも綺麗な湿(うるお)いを持って来た。睫毛の長い目や、生え際の綺麗な額の辺が、うつむいていると、莫迦によく見える。が、それを見ているうちにも新吉の胸には、冷たい考えが流れていた。この三、四日、何だか家中(うちじゅう)引っ掻き廻されているような、一種の不安が始終頭脳(あたま)に附き絡うていたが、今夜の女の酒の飲みッぷりなどを見ると、一層不快の念が兆して来た。どこの馬の骨だか……という侮蔑や反抗心も起って来た。
 お国は平気で、「どうせ他人のすることですもの、お気には入らないでしょうけれど、私もこの暮は独りで、つまりませんよ。あの二階の部屋に、安火(あんか)に当ってクヨクヨしていたって始まらないから、気晴しにこうやってお手伝いしているんです。春が来たって、私は何の楽しみもありゃしない。」
「だが、そうやって私(あっし)のとこで働いていたってしようがないね。私は誠に結構だけれど、あんたがつまらない。」と新吉はどこか突ッ放すような、恩に被(き)せるような調子で言った。
 お国は萎(しょ)げたような顔をして黙ってしまった。そうして猪口を下において何やら考え込んだ。その顔を見ると、「新さんの心は私にはちゃんと見え透いている。」と言うようにも見えた。新吉も気が差したように黙ってしまった。
 しばらくしてから、女は銚子を持ちあげて見て、「お酒はもう召し食(あが)りませんか。」と叮寧(ていねい)な口を利く。


 手酌で杯を重ね、だんだん酔ってくるお国を見ていると、その色気に新吉は、つい、となるのかと思うと、そうじゃない。逆に「冷たい考え」が胸に流れるのだ。

 「冷たい考え」──とは何だろうか。こうやってこの女はオレをたぶらかし、オレの女になろうとしているのかと勘ぐったということだろうか。お国の亭主は監獄にいる。出てきたって、その先がどうなるかわかったものではない。それならいっそ新さんの女に、とお国が思ったとて、何の不思議があろう。そう新吉は思ったのだろう。

 お国の真意は分からない。新吉が手を出してきたら、そんときはそんときさ、どうせ「春が来たって、私は何の楽しみもありゃしない」んだから。すべてはなりゆきまかせといった風情なのだが、新吉の突っ放すような口調に、なんだやっぱり新さんは、あたしなんかに興味はないのか、と、がっかりした、といったところだろうか。



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