日本近代文学の森へ (14) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(1)発展』その3
「泡鳴五部作[上]発展・毒薬を飲む女」新潮文庫
2018.5.26
『発展』の冒頭部を引く。(「青空文庫」による。以下同。)
麻布の我善坊にある田村と云ふ下宿屋で、二十年來物堅いので近所の信用を得てゐた主人が近頃病死して、その息子義雄の代になつた。
義雄は繼母の爲めに眞の父とも折合が惡いので、元から別に一家を構へてゐた。且、實行刹那主義の哲理を主張して段々文學界に名を知られて來たのであるから、面倒臭い下宿屋などの主人になるのはいやであつた。
が、渠(かれ)が嫌つてゐたのは、父の家ばかりではない。自分の妻子──殆ど十六年間に六人の子を産ませた妻と生き殘つてゐる三人の子──をも嫌つてゐた。その妻子と繼母との處分を付ける爲め、渠は喜んで父の稼業を繼續することに決めたのである。然し妻にそれを專らやらせて置けば、さう後顧の憂ひはないから、自分は肩が輕くなつた氣がして、これから充分勝手次第なことが出來ると思つた。
ここに出てくる「田村義雄」は、ほぼ泡鳴自身であり、その他の人物も、出来事もほぼ事実ということらしい。
「継母」というのがいきなり出てきて、分かりにくいが、義雄の生母は弟を生んですぐに亡くなり、生母在世中から父が囲っていた女が入籍して、義雄の継母となったわけである。これは、泡鳴のことを知っていれば分かることだが、しばらく読んでいくと、その事情も分かるように書かれている。
人のことはさておき、冒頭にいきなり出てくる「麻布の我善坊」という地名が興味深い。小説のことだから、勝手に考えた地名だろうと思ってはいけない。ちゃんとした地名である。現在は、港区麻布台1丁目となっているが、当時は「麻布我善坊町」と言った。町名としては現在残っていないが、窪地の谷底のような町らしい。この近くに飯倉片町があり、ここの借家に島崎藤村が大正7年から昭和11年まで住んでいたという。(これは、なぜか、ぼくは藤村に『飯倉だより』という本のあることを知っていたので、それで、ちょっと調べてみたのである。)
麻布我善坊町と麻布飯倉片町は、たぶん歩いても10分とはかからない距離だろうから、二人が住んでいた時期が重なれば、行き来もあったかもしれない。こんなに近いのは、偶然だろうか。この辺は調べてないから分からないが、なんだか、この辺にちょっと行ってみたくなった。「文学散歩」などというものには、昔はまったく興味がなかったけれど、どうも最近は、嗜好が変わったようだ。
それはそれとして、この短い冒頭部分には、大事なことがほぼ全部書かれている。義雄が文学的には、それなりの仕事をして自負があったこと。父や継母との折合が悪かったこと。妻とも不和で、子どもまで嫌っていたこと。家督は相続したが、下宿屋の仕事など面倒くさいから妻に任せて、自分は勝手に生きたいと思ったことが、なんのてらいもなく、淡々と書かれている。
普通はこんなふうには書かない。もうちょっと格好をつける。これじゃ、ただの自己中だと思われるのがオチだ。子どもが嫌いだといっても3人もいるのだ。下宿屋がどれだけの実入りがあるかしらないが、「主人」たる義雄が、面倒くさいことを妻に押しつけて、自分は「充分勝手次第なこと」をしていいはずがない。
「いいはずがない」などという言い草は、常識人のもので、義雄には通じない。彼は、本気で、「充分勝手次第なことが出來る」と思い、それを実行するわけだ。
夫婦喧嘩の一節をここで引こう。
「ゐ付く値うちがないのです、こんな家には。」
「お父アんの家でも──?」
「さう、さ──お父アんの跡を繼いだのは、わたし自身のからだと精神であつて──こんな家や妻子は、自分にそぐはなければ、棄ててもいいんだ。」
「棄てられるなら」と、妻は少し身をすさつて、「棄てて御覽なさい!」
「ふん、棄てるとも──もう、おれは精神的には棄ててるんだ。」
「何とでもお云ひなさい──人を表面上の妻だなんて!」
「お前の命令などア受けないと云つてるだらう──おれの心に反感をいだかせるものは皆おれの愛を遠ざかつて行くのだ。愛のないところにやア、おれの家もない。」
「ぢやア、どうしたら」と、訴へるやうな微笑になつて、「あなたの愛に叶ふのです? 教へて下さいと、何度も云つてるぢやアありませんか?」
「手套が投げられたのだ」と、嚴格に、「もう、遲い。お前には、もう情熱がない。よしんば、あるとしても、子供を通して向ける情熱であつて、直接におれに向けるやうな若々しい、活き活きした、極(ごく)あツたかい熱ではない。」
「そりやア、歳が歳ですもの──それに、六人も子を産ませられて、三人を育てあげた女ですもの──子に苦勞してゐるだけ子が可愛いのは當り前でしよう。」
「お前は子の爲めに夫を忘れてゐるのだ。」
「いいえ、忘れてはゐません。」
「おぼえてゐるのは、おれの昔だ。」
「さうですとも、昔はあなたも」と優しくなつて、「なか/\親切な人でした、わ。」
「今は」と、相ひ手の態度には引き込まれず、「もツと親切な人間になつたのだが、その親切をおれよりも年うへのお前に與へるのは惜しくなつたのだ。」
「年うへなのは初めから承知して連れて來たのぢやアありませんか?」
「そりやア、承知の上であつた、さ。」義雄は妻に言葉を噛みしめさせるやうな口調になり、「然しよく考へて見ろ。二十前後の青年で、あんなにませてゐた者が──おれは實際ませてゐた──おれより年したのうわ/\した娘の上ツつらな情愛に滿足してゐられようか? あの時には、お前のやうな年増が──年増と云つても、たツた三つ上ぐらゐのが──丁度、おれの熱心に適合したのだ。然し考へて見ろ。人間は段々年を取つて行く。それは當り前のことだが、當り前と考へては困ることがある。それをお前はわきまへてゐない。」
「ぢやア、よく云つて聽かせて下さい、な。」
「いくら聽かせても、お前には分らないのだが、──教育がないからと云ふのではない。お前は相當の教育は受けたのだが、その道學者的教育の性質が却つて邪魔をするのだ──。」
「いえ、わたしは」と、言葉に力を込めて、「武士の家に生れたのです。」
「そんなことは」と、冷やかに、「現代に何の名譽にも、藥にもならない──おれも武士の子だが、わざ/\おやぢなどの考へや命令には從はなかつた。」
「それが惡かつたのです。」
「また教訓か」と目の色を變へかけたが、同じ調子で、「分らない奴だ、ねえ──。お前などア時代の變遷と云ふことが實際に分らない。政治上や文學上のことは別としても、教育界に於てだ、お前の教育を受けたり、お前が學校を教へたりしてゐた時代は女子はむかし通り消極的に教へられて滿足してゐた。然し、現代の若い女は積極的な教育を受けようとしてゐる。優しい女學校ででも教師、生徒間に衝突が起るのは、古い頭腦の教師連がこの心を解しないからだ。戀の問題に於ても、ただ男から愛せられて喜んでゐたのが、自分からも愛することができなければ滿足しなくなつた。」
「わたしだツて、自分から愛してゐます、わ。」
「ところが、その問題だ──段々年を取るに從つて男女の情愛は表面に見えなくなるとしても、愛してゐると云ふ言葉だけで、實際はそんな氣色もないのでは困る。男は世故に長けて來ると共に段々情愛を深めて行くものだが、今の四十以上の女は皆當り前のやうに男に對する心を全く子供に向けてしまう。」
「でも、子供は所天の物でしようが──」
「いや、子供は子供で、所天その物ではない──そんな古臭い傾向の家庭では、男は、平凡な人間でない限り」と、そこに語調を強めて、「深い/\情愛を空しく葬つてゐなければならない。──」
「何だ、詰らない」といふやうな振りをして、馨(義雄の弟)はその座敷の前を通り、食事をせがみに行つた。
二階の方からも、空腹を訴へる手が鳴つてゐる。
「少くとも、おれはそんな寂しい墓場に同棲してゐられないのだ──」
「墓場だツて、家のことを。」繼母はあきれた樣子。
「お墓、さ、どうせ──おれは今一度若々しい愛を受けて見なければならない。」
「ぢやア、勝手におしなさいよ。」妻は立ちあがつて、獨り言のやうに、「濱町とか何とかへ入りびたりになるなり、好きな女を引ツ張つて來るなり──こツちは離縁/\と云はれさへしなけりや、子供を育てて暮しますから。」
「その子供/\が聽き飽きたんだい。」義雄は臺どころの方へ行く千代子の後ろ姿に向つて侮辱の目を投げながら、「子供と教訓とが手めへの墓の裝飾だ!」
ここで、面白いのは、義雄が女に求めているのが「積極的な愛」だということで、義雄が女房に不満なのは、女房の愛が子どもにばかり向けられて、夫の自分に十分な愛を注がないことなのだ。このことは、『耽溺』の中でも語られた。男女の愛を、常に、激しい恋愛感情として捉えるかぎり、義雄の不満はもっともだといえるだろう。しかし、「六人も子を産ませられて、三人を育てあげた女」としての女房が、義雄の求めるような愛を注げないこともまたもっともなことだ。そんなことは、「普通の大人」なら、百も承知で、そういう愛を求めるなら、女房に内緒でこそこそと行動するしかなく、その挙げ句、バレたバレないので、ドタバタになる次第なのだ。
けれども、義雄は、年上の女房に向かって、堂々と、オレは昔のオレより優しくなったが、年上のお前なんかにその優しさを与えるのが惜しくなった、若い女に与えたいんだ、なんて言ってしまう。その義雄の気持ちのどこにもウソがないことに、むしろ面食らうほどだ。「普通」は、言いたくても言えないことを、義雄は全部言ってしまう。それを「バカ」と呼ぶか、「純粋」と呼ぶか、難しいところだが、義雄の言動の首尾一貫性が、たんに「バカ」といってすませられないものを感じさせるのだ。
それにしても、「子供と教訓とが手めへの墓の裝飾だ!」という啖呵の何という切れ味だろう。