木洩れ日抄 98 庭の幸せ 【課題エッセイ 5 庭】
2023.1.23
この「課題エッセイ」も、最初は、「日本の名随筆」の順番に書いていくつもりだったが、さすがにそれはキビシイ。前回、前々回の「猫」とか「釣」とかは、ぼくの領分じゃないから大変だった。大変なことは最初から分かっていたけど、だからこそチャレンジしがいがあるんじゃないかと思っていたが、やっぱり、自分で自分の首を絞めたところで、ストレス以外の何ものでもないし、そんなストレスを好き好んで抱え込む必要がどこにあるのかと、馬鹿らしくなった。
「100のエッセイ」と題して、エッセイを週1回書くことに決めて、その第1回目を書いたのが、1998年の3月で、その時は、毎回800字と厳密に決めて、一字たりとも越えないことにしたわけだが、それは、ひとえに、文章を書く練習だったからだ。800字でどれだけのことが書けるか。そして、どれだけオリジナリティーのある文章を書けるかを、試したかった。だから、当たり前のことはなるべく書かないようにしたし、文章的にも技巧を凝らした。(というほどのものじゃないけど。)しかし、800字というのは、おそろしく短くて、いつもなんか物足りなかったので、20編目ぐらい書いたあたりから、1000字以内に変更した。これでようやく書きたいことがほぼ書けるようになった。(と言ってもいい文章が書けるようになったわけではない。)
この1000字という枠の中で、2011年の3月まで書き続けた。そこで、東日本大震災が起きた。687編目(第7期・88)がその時のことを書いている。(「どうなるのだろうか」)この非常事態に、週1回などと悠長なことを言っていられなくなった。混乱と不安の中で、書かずにはいられなくなった。だからもう翌日には書いた。(「大災害の中で」)1000字なんて、どうでもよくなった。書きたいだけ書いた。練習はもう終わったのだ。
それ以来、週1回、1000字以内という枠は撤廃した。そしてそのまま連載を不定期に続け、2016年9月25日に、1000編に到達したというわけだ。
その後は、もうエッセイの連載は止めようと思ったのだが、なんとなく物足りなくて、「木洩れ日抄」として、再出発した。まあ、このエッセイの連載にも、こんな歴史がある。変更、変節の歴史だ。だから(というのも変だが)、「日本の名随筆」の順番どおりで書くと決めても、それを止めて自由に選んで書くと変更しても、何の問題もないのだ。問題を感じるとしたら、ぼくの中にある変な「律儀さ」だ。そんなものはとうに捨てたと思いたいのだが、なかなかどうして頑固なものだ。
さて、今回選んだテーマは「庭」である。これなら書くのは簡単だ。ぼくは今までの人生の中で、幸か不幸か、「庭のない家」には一度も住んだことがない。ぼくは植物が好きだから、庭があるということは「幸」には違いないのだが、昔から腰痛持ち(今も腰が痛くて、さっきマッサージを受けてきたばかりだ。)なので、庭の手入れが大変で、それが「不幸」にあたる。しかし、とにかく、庭があると、いろいろな楽しみがあるし、生まれ育った横浜の中心地の家にも、それなりの庭があり、父がそこでいろんな植物を育てていたので、思い出もたくさんある。
というわけで、書きたいことは山ほどある。けれども、そのすべてを書いていたら、いくら1000字という枠を撤廃しているからといって、10000字も書くわけにもいかない。ただでさえ、近ごろのぼくの書くものといったらダラダラと長くて、昨今のウエブ記事の常識を遙かに超えるから、読者がちっともついてきてくれないのだ。
だから、簡単に書く。あの東日本大震災の翌日、庭に出たときの印象が今でも強く心に残っている。なにか、空気がすっかり入れ変わってしまったような空のもと、わが庭に、フキノトウが出ていたのだ。ああ、こんな大災害が起きているのに、自然はまったく変わらずにこうして営みを続けているんだと、この後、さまざまな震災を振り返る文章の中で繰り返されてきた感慨が、その時のぼくの心にも湧いたのだ。
庭があって幸せだったと、その時、確かに思ったはずだ。