プルサーマル計画を憂慮する有志の会

原発問題に関して投稿します。

「異常が日常」の福島の「特殊性」

2014-10-01 11:06:36 | 日記
 「いま子どもたちは 福島を伝える」③という記事をご紹介します。(参照・引用は『朝日新聞』)

 「福島は元気です」と手放しでは言えない。放射線を測るモニタリングポストが学校や道端にあること。天気予報のように、線量予報が流れること。このような「異常(な状態)が日常になっている福島を伝えたい」、8月下旬にパリで行なわれた「東北復興祭」で高校2年の青年(16歳)が語った言葉です。

 その原稿の作成に苦慮していた彼は、近所の幼稚園で、園庭にあるモニタリングポストを、笑いながら「とけい、とけい」と言っている園児を見て不安になったそうです。彼はその様子を見て自分自身、「あってはならない物が目に入っていなかった、と言うか、慣れてしまったんだと気付いた」と言います。あんなに怖かった地震が起きても、(ある意味自然なことなのだと思いますが)「またか」と軽く受け止めるようになっていたと。防護服が必要な地区までは車で1時間も掛からない場所での生活にも慣れてしまっている自分。

 「元の生活に戻りつつあるのかもしれない。けれど、福島は今でもやっぱり特殊なんです」と、自分の置かれている状況を冷静に見詰めています。「福島の果物を買わない人を、『心配し過ぎだ』って福島では言います」、「でも、僕たちがあの日を忘れ、語ることをやめてしまえば意味がな」くなってしまうと彼は言います。(彼の住んでいる場所は分かりませんが、原発から非常に近い所だと思います)原発事故と被曝の現実を、心の中に隠蔽するのではなく、(私が当事者ならできないと思うのですが)きちんと語り続けようとする彼の姿に感銘すると共に、非常に重いものを感じました・・・

P.S. 彼は「復興祭」に参加した他県の高校生から、「福島のテレビ、原発関連ばかりだね」と言われたそうです。沖縄なら、基地問題が毎日報道されているのと同じだと思います。それぞれの地域で、それぞれの「特殊性」を抱えて、人々は生きているのだと思います。どれだけ隠蔽しようとしても、その「特殊性」から目を背けることも逃げることもできないのだと思います。それでも、それぞれがそれぞれの「特殊性」を知り、また理解すれば、それは決して「特殊」なものではなく、「普遍的」なものを内包し、共通した問題点があるということに気付くはずです。彼がこのことを知れば、もっともっと多くのことを語り継いでいけるようになるように思います。(今でも十分りっぱだと思いますが)彼が今のままの「目」を持ち続けている限り、いずれ必ずそうなると思うのです・・・

P.S.2 御嶽山の噴火で飛び交う噴石を映像で見ました。ぞっとしました。火山の噴火で亡くなる方の多くは脳挫傷だそうです。映像分析で、噴石の時速は270キロとのこと。しかも200℃近い温度だそうです。小さな小石でも頭に当たれば、即死です。本当に怖ろしいと思いました。御嶽山は山岳信仰の対象で「霊山」なのだそうですが、ロープウェイなど「開発」が進み「観光地化」しているとのこと。観光シーズンだと、1日1,500人から2,000人の方が行楽に訪れるそうです。こうした「観光地化」は活火山ほど顕著なのだそうです。ある専門家は、「活火山」であることを知っていて欲しい、またあるコメンテイターは、リスクに備えた準備や避難の仕方を知っておくべきだと指摘していました。登山が「自己責任」である限り、そうすべきだと思います。只、観光で利益を得る側も、「楽しい」だけでなく、「危険」が潜んでいることを知らせる義務があるのではないかと思うのですが・・・

P.S.3 同じ観光地でも、阿蘇山などはサイレンなどのシステムやコンクリートのシェルターが何十ヶ所もあるそうです。シェルターが近くにあったならば、多くの方が逃げ込めたのではと詮無いことを考えます。「観光地」として多くの登山者を引き付けるなら、それだけの命を守る施設や、危険を知らせる情報伝達の手段が完備していなければいけないと思います。また、今後登山する方は、(ご自身の大切な命ですから)火山情報を蒐集し、リスクを承知の上で、覚悟を持って「行楽」して戴きたいと思うのです。(まだ死亡確認すら出来ず、ご遺体さえ回収されていない状況ですが)不幸にも亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します・・・

by「プルサーマル計画を憂慮する有志の会」 (平成26年10月1日)