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ミュンヘンなんて、どこ吹く風

ミュンヘン工科大留学、ロンドンの設計事務所HCLA勤務を経て
群馬で建築設計に携わりつつ、京都で研究に励む日々の記録

走れよ!

2005-08-31 04:31:17 | 留学準備
『文体とパスの精度』という本がある(はず)。
村上龍と中田英寿の共著だったと思う。僕はこの本を読んだことはないけれど、なぜか今夜、ふとその本のことを思い出したのだった。

僕は大学一年のとき『愛と幻想のファシズム』という村上の本を途中まで読んで、どう理解したらいいのかわからなくなり、彼の本から離れた。逆に、中田は『愛と幻想の…』を読んで村上のファンになったらしい。その理由が、今ならわかる。

「精度の高いパス」とは、必ずしも「受け手の足元にピッタリ到達するパス」ではない。時には受け手の一歩か二歩先を狙って放ったパスの方がよい場合もある。中田は代表になった当初「カズを走らせるパス」を出したとして物議をかもした。スーパースターカズに走って球を取りに行かせるとはなにごとか、と。でも中田のその「受け手を走らせるパス」には人だけでなくゲームを前へと動かす力があった。いや、一歩先二歩先に放たれたボールは、日本サッカー界全体をも動かしてしまった。

村上の文体も、きっとそうなんだろうと思う。
表現活動って、きっとそうなんだろうと思う。
で、僕は?

自分の足元ばかり見てボールを待っていても、中田や村上からパスは来ない。視線を上げてフィールド全体を見渡せば、彼らからのパスは自分の一歩先二歩先に出されているのかもしれないのに。中田のように意識的に目線を上げて視野を広げないと、いつかどこからもパスは出てこなくなってしまう(それに、出し手としての自分だって、いつまでも安全なバックパスに逃げていてはいけないのだ)。「カズ、走れよ!」ボールを追おうともしないスターに対して放ったとされる中田のこの言葉が、なぜか今日は頭から離れない。

「知っててその選択肢を“選ばない”のと、知らなくてその選択肢を“選べない”のとでは、違うよね」
今夜、刹那的に甘美な数十分から得たものは、「走れよ!」というゲキだったのだろうか。
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