バース大学の建築土木学部棟。設計された時期にPスミッソンは客員教授として在籍している。「校門はないから敷地内には自由に入れる。でも週末は校舎は閉まっていて入れない」とバース大出身の同僚に聞いていたとおりだったので、建物が機能するために必要なものを学生に見せるために露出された設備系や、学生同士の交流の場として設けられた折れ曲がった廊下は外からはわからなかった。
50年代のハンスタントン中学校、60年代のエコノミストビル、70年代のロビンフッドレーンに続いて、80年代に設計された建築土木学部棟であるが、これがイギリス国内でのスミッソンズによる最後の主要な建築となる。ロビンフッドレーンが批判される「street in the sky(持ち上げられた路地)」の失敗は、その孤立性が犯罪行動と結びついてしまったことによるのだと思うが、アイデアの根拠のひとつは車道と生活空間の分離であり、ここバース大学でもバス停を降りるとまず中央の広場へとつづく階段・通路があって、一方車は人工地盤の下を走るようになっていて居住者の視界からは隠される、というのはロビンフッドガーデンと同じ。
『WITHOUT RHETRIC(邦題スミッソンの建築論)』に「未来住居のためのダイアグラム」という56年に描かれた図版があって、道路によって区画されたグリッドの中に円筒形の中庭を囲むように壁のような住居が建ち「VERTICAL TUBE OF UNBREATHED PRIVATE AIR」と添えられている。本文では、「少なくとも昔では、空高く大気に心を遊ばせることは安全であった。(中略)現在ではそうはゆかない」ので、「露出することから隠すことへの転換」が迫られているのだという。
このダイアグラムはそのままロビンフッドガーデンのコンセプトのひとつにつながると言えそうだけど、次に読む『ORDINARINESS AND LIGHT(邦題スミッソンの都市論)』では、「street in the sky」とロビンフッドガーデンの元になった集合住宅計画案が主題になっていそうなので、もう少しわかってくるような気がする。
この日、ほかに訪れたもの。
Royal Crescent(ジョン・ウッド)
ここが丘の頂上で、街の中心に向かって傾斜して続いていく緑地帯が気持ちいい。モニュメンタルではなくて、自然なたたずまい。
Thermae Bath Spa(ニコラス・グリムショウ)
街のアイデンティティを取り戻すプロジェクト。これぞハイテックな清潔感。ガラスの多い建物だけど、スパ空間まで視線が通らないように巧みに計画されている。
50年代のハンスタントン中学校、60年代のエコノミストビル、70年代のロビンフッドレーンに続いて、80年代に設計された建築土木学部棟であるが、これがイギリス国内でのスミッソンズによる最後の主要な建築となる。ロビンフッドレーンが批判される「street in the sky(持ち上げられた路地)」の失敗は、その孤立性が犯罪行動と結びついてしまったことによるのだと思うが、アイデアの根拠のひとつは車道と生活空間の分離であり、ここバース大学でもバス停を降りるとまず中央の広場へとつづく階段・通路があって、一方車は人工地盤の下を走るようになっていて居住者の視界からは隠される、というのはロビンフッドガーデンと同じ。
『WITHOUT RHETRIC(邦題スミッソンの建築論)』に「未来住居のためのダイアグラム」という56年に描かれた図版があって、道路によって区画されたグリッドの中に円筒形の中庭を囲むように壁のような住居が建ち「VERTICAL TUBE OF UNBREATHED PRIVATE AIR」と添えられている。本文では、「少なくとも昔では、空高く大気に心を遊ばせることは安全であった。(中略)現在ではそうはゆかない」ので、「露出することから隠すことへの転換」が迫られているのだという。
このダイアグラムはそのままロビンフッドガーデンのコンセプトのひとつにつながると言えそうだけど、次に読む『ORDINARINESS AND LIGHT(邦題スミッソンの都市論)』では、「street in the sky」とロビンフッドガーデンの元になった集合住宅計画案が主題になっていそうなので、もう少しわかってくるような気がする。
この日、ほかに訪れたもの。
Royal Crescent(ジョン・ウッド)
ここが丘の頂上で、街の中心に向かって傾斜して続いていく緑地帯が気持ちいい。モニュメンタルではなくて、自然なたたずまい。
Thermae Bath Spa(ニコラス・グリムショウ)
街のアイデンティティを取り戻すプロジェクト。これぞハイテックな清潔感。ガラスの多い建物だけど、スパ空間まで視線が通らないように巧みに計画されている。
文献など知ってたら教えてください。
ちなみに、generic cityでコールハースは空中廊下みたいなやり方を批判しているんだけど、スミッソンを攻撃しているのかも、と思った。
ただ、『スミッソンの建築論(邦訳版1979年)』の中でも、バースについて「ナッシュ設計のローヤルクレセントで有名」として訳注に出てくるんですよね。バースのロイヤル・クレセントが着工した1767年にナッシュは15歳なので、時代的にもバースはジョン・ナッシュではないと思うんですが、もしかしたら誤った情報が日本で流布していた時期があるのかもしれません。
『建築の解体』のなかでは、レイナー・バンハムによって「スミッソン夫妻らの正統の嫡出子たるべく擁護」され世に出されたアーキグラムが、1968年のミラノトリエンナーレ会場でスミッソンズを「尊敬すべき敵と認識」している様が描かれていたり、1974年の建築雑誌に掲載されている菊竹清訓さんの「「チームX」とその周辺アリソン・スミッソン : デザインの暗黒時代」という文章では、チーム
Xについて、「CIAMを否定したときの理論的迫力ほどには実際的成果が上げられていないように見える」と書かれていたりします。
そんな感じで同時代的にもすでに攻撃を受けていたスミッソンズなわけですが、形式的には広く流布したということなのか、THE空中廊下みたいなもので連結された古い集合住宅はロンドン市内にいくつもあります。
「空中廊下みたいなやり方」もまた、「小さな差異の集積が、結局はアイデンティティのない、非specificな都市の風景をつくり出す」ことに加担するのですか?スミッソンズが都市計画で描いたものは、(「ランダムの美学」といいながらも)単位と反復で、まさにそういう帰結を生むシステムだったのでしょうか?スミッソンズの「ORDINARINESS」の正しい解釈がまだわかりません。