先日。兵庫県の明石市長が市職員に対して暴言を吐いたことを謝罪していた。
まあ道路拡張に伴う土地買収交渉の進捗を巡るやり取りで。
『 火をつけて燃やしてこい 』など言った部分だけ
えらくやられてるみたいですけど。。。
でもその顛末を見てみると。数年担当部署も
その買収候補の土地の所有者に対して。金額の提示などなく。
交渉も進捗せず。いわばお役所仕事の何もしてなかったことが
そもそもの原因とも言える。。(笑)
でもまあクチが悪いというか。言葉使いやら。
指導・指揮の仕方がハラスメントに近い言い回しは
その行政の最高位にいる市長が。その市を代表するモノが。
使うべきではなかったとは想う。
そういう意味での素養とか人間性は疑ってもいいと想うし。
やり方・言い方はホント気を付けないとねって想う。
ただなんらか原因があって。理由があって。それに伴く行動や変化があって。
その結果があるワケで。
その全部を統括してみないと話にならない場合も昨今は多いよねと。
東京の町田市の都立高校の教師の暴行の問題だって。
元は挑発的かつ喧嘩を売ってきた生徒に原因はある。
そして先生が怒る理由まではいい。
ただその後に続く。行動として。教師として『 暴力 』というものを
用いたって点は咎められても仕方ない側面もあろうし。
また違ったやり方もあったのでは?って想うし。
教師だけ懲罰が与えられ。生徒はお咎めやらがないっていうのは
これはいただけない結果ではないのかなとも。
言葉だって暴力になるし。人を傷つけるし。
もちろんチカラを用いる暴力だって同じコト。
どちらも本来用いるべきではないモノ。
原因があって。過程があって。結果が伴う。
原因側にも。結果側もどっちもどっちでは??って自分は想う。
まあ俗にいう『 喧嘩両成敗 』が適切なのではないかなと。
人と人とがいれば。
立場も違えば。いろんな考え方も違う。
でも双方に尊厳もあれば。権利も義務も双方にある。
それは平等でしょと。
相手をまず敬うキモチがなきゃ対等には付き合えないでしょうし。
相手を尊重できないでしょうと。
出来ない。なってないということを立場上叱責しないといけない場合だって。
相手には尊厳などもあるって自覚した上で。
言葉や態度は考えて接するべきではないのかなと。
人が文明や知識を増やして。
活動するコトでも。いろんな技術や環境が昨今はアシストしてくれる世の中。
だったらより人が人として質を高めなきゃいけないのに。
何故か劣化してる方が多い気がしてならない。
何故ダメなのか。その原因や理由。そしてその過程。その結果。
全て見た上で。もしくはある程度その想定をした上で。
物事を判断するとか、行動する前に考えておくとかしないと。
世の中絶対よくならないし。成長もせんと想うぞと。