昨日の夕方。
日本の大相撲の春場所・千秋楽。最後の一番。
白鵬と日馬富士の一戦があった。
スタジオ仕事の合間見てたんだけど。
白鵬は幕内最多優勝の36回目を賭けた一番。
それをさせまいと。横綱の意地もある日馬富士。
横綱同士の。しかも春場所最後の一番。
優勝の行方もかかってる。
その一番で。白鵬の立ち会いすぐの変化によって。一瞬にして勝負はついてしまった。
それを見ていた大相撲ファンは表彰式を観ることなく
帰る人も多かった上に。批判や罵声が結構あったそうな。
ネットなども批判的な意見もあれば。
理解する意見なども飛び交ってるねぇと。。。
それとは別に。
先日ブログに書こうかなって想ってたんだけど
いろいろ考えてたら文章まとまらずに書かなかったネタがあった。
それとこの話がちょうど合うのかなと想って合わせて書こうかねと。
サッカーの伝説的なプレーヤーのヨハン・クライフさんが
肺がんの闘病の末。先日お亡くなりになったそうだ。
近代サッカーの。今のサッカーに繋がる流れの中で
クライフさんが選手としても。指導者としても。
大きな存在だったってのも事実。
W杯優勝には届かなかったケドも。
当時主流だったポジション別の攻撃・守備の分業制だったものを。
『 トータルフットボール 』という全員攻撃全員攻撃の中心選手として
オランダも。アヤックス。オランダ代表でも活躍した。
その後バルセロナでも選手としても活躍。
プレーでも魅了選手であったし。
選手引退後もアヤックス・バルセロナなどで監督として指導。
サッカーの哲学をバルセロナに見事に根付かせたっていう凄い方だ。
その方は生前こういうことをおっしゃってた。
『 美しく勝利せよ 』
『 美しく敗れる事を恥と思うな、無様に勝つことを恥と思え。 』
『 フットボールの試合は、まず観客を 楽しませなければならない。 』
『 本当に素晴らしいフットボールは、国境を超え、
自分の属する国籍までも忘れさせ、人々を熱狂させることだ。 』
などの名言を残されてる。
他にもいろんなサッカーに対して名言など残されてるケド。
アタマで考えるコトの大切さや。
楽しませること・楽しんでプレーすることの重要性。
などを特に意識しておっしゃってたのも事実ある。
それが今の現代サッカーにもつながるいろんな要素を持っていて。
サッカーが全世界で魅了する要素のひとつにもなり得たモノであったと
言っても過言ではないと自分は想う。
ソコでひとつ想うワケです。
スポーツやら音楽やらパフォーマンスを魅せる世界では。
その世界に『 プロ 』と呼ばれる人が多数存在する。
アマチュアとプロの差というのは。
このプレーで魅了する。楽しませた上で。
パフォーマンスに楽しさや技術。
表現・クリエイティビティーを魅せるのがプロだと想う。
アマチュアなら純粋に技術・表現などの点のみでもいい。
楽しさ・表現やクリエイティビィティーの部分を個人でどう表現していいか?
ってところだけ没頭したって構わない。
プロになるならば
ソコがアマチュアとの歴然とした差であって。
その差によって魅了できるからこそ
ソコで経済活動として存立できるのがプロの世界だって自分は想う。
そういう点を踏まえたら。。。
昨日の大相撲の白鵬の立ち会いからの変化。
ルールや相撲としてはなんら間違ってない。許されるケドも。
横綱の。プロの。優勝が懸かるって点で。
結果っていう部分にこだわってしまったところが本人も後で反省の弁があったケド。
いわば。『 勝負には勝ったが。相撲で負けてしまった 』
・・・ってところなのかもねと。
結果だけよかったら
勝つためになんでもしていいのか?フェアでなくてもいいのか??
そういうのではないって想うんだよね。
まあ相撲は一瞬で決まってしまうところもあって。
白鵬さんもまさかあんなあっさりとは想ってなかったのかもしれない。
演出強くし過ぎなくてもいいケド。
白鵬さんならば。強い横綱・強い相撲でガチンコ対決を多く期待したんでは?とね。
肩書きやら。結果を意識しすぎたために。
それに保身が働いてしまっての今回の相撲ってのは
ファンからしたら納得いかないって想うのも理解できるし。
白鵬さん自身の想うところもわからなくないねと。
でもプロって世界にいるならば。
もっと魅了とか。そのパフォーマンスの凄さ・楽しさをも
魅せてもらえたらいいなって想うねと。
でもアマチュアの世界でも。
惹きこまれる程。すごい人もいっぱいいる。
プロがなんでもすごいってこともなく。
アマチュアでもすごい人もいるし。
モチベーションやパフォーマンスの高い方もいっぱいいる。
でも惹きこまれるか?魅了されるか??
・・・って本質は。如何にその人のパフォーマンスの質・内容では??
って想うし。ソコに楽しさとか表現したい何かが
ちゃんとあれば。それが素晴らしいモノなんだと自分は想います。