上海で日本語を話している中国の若者達

中国人に囲まれて日本語で通していく日常の出来事を書き綴っています。

昔の上海に居た過激な日本人、その2

2010年11月30日 | 日記

映画「東風雨」で尾崎秀実を演じて以来、上海で過去に生きた日本人の情報を追っていますが、時々その情報線上に現れるのが、上海の虹橋にあった東亜同文書院の卒業生と東亜同文会の関係者です。

この東亜同文会を立ち上げたのも、その1に出てきた頭山満でした。

終戦混乱時の上海で、皇帝溥儀の義妹であった、嵯峨家の姫、嵯峨浩母子を救ったのも、この東亜同文書院の卒業生、田中徹雄大尉ですが、その田中大尉が応召前に勤めていたのが満鉄でした。

同じく満鉄調査部拓殖時代の尾崎秀実が、ゾルゲやアグネス・スメドレーと出会ったのも、ここ上海。

その尾崎の属した満鉄調査部の構成員の多くは、帰国後、電通の吉田秀雄社長に社員として迎えられます。

 

余談ですが、以下はその吉田社長の唱えた電通の鬼十則

1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。

2. 仕事とは、先手々と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。

3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。

4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。

5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは。

6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。

7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。

8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚みすらない。

9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。

10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

この電通の母体になった通信社は、21世紀の現在は2つに分社しています。

それが時事通信と共同通信なのですが、上海のあちこちで、時事通信や共同通信の方とお目に掛かると、 私は何故か、この鬼十則を思い出します。

 

さて、海軍鎮守府出入りの軍属であった上海時代の祖父と祖母、ここでいったい何をしていたのでしょう。想像の翼が広がります。

 

今、また上海で歴史が交叉している気がします。

 

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