◆ふえ・のおと◆フルーティストYoriko KASAI 葛西賀子 officialblog

~ヨーロッパ仕込みの音楽作り、研究を重ねたフルート基礎奏法・・最近は太極拳を通して体幹づくり研究も進んでいます!!

◆ 音を本当に「聴く」とはどういうことか

2009-08-19 11:17:55 | 大切なこと
お盆が過ぎ、暑い中にもなんとなく涼しさもでてきましたね。
暑い夏には活動数値(?)が半減する自分にとっては、やっと
過ごしやすい時期となってきました



先日の静岡のホテルでのコンサートには、台風にもかかわらず
多くの方にお越しいただき、ありがとうございました!

ホテルでのトークコンサートは初めてで、それはそれで普段の
コンサートとはまた少し違った、古く由緒あるホテルの雰囲気、
それによる落ち着いたあたたかい空間・・・

そして何より三島のお客様の良さ!!
とてもあたたかい眼差しで真剣に聴き入ってくださり・・
本当に演奏する側にとっても心地よいひとときでした。
ありがとうございました!

しかし実はその日静岡は大地震・・。

偶然静岡に居合わせ、まずは大事に至らなかったことに
ホッと胸をなでおろしつつ、しかしある意味、人間いつ自分に
降りかかるかわからない災難を再認識したのでした。

◆◇◆

さて、今回は、「音を聴く」ということについて、
先日ピアニストの辻井伸行さんの特集をテレビで見たことを
きっかけに、考えてみました。


辻井さんは、数年前のワルシャワでのショパンコンクールに
訪れた際に、演奏をお聴きしたことがあります。

われながらものすごい陳腐な表現に嫌になりますが・・
とても美しい音と音楽でした。音楽の流れが極めて自然・・

そして先日のテレビの特集では、
2歳の小さいころに、お母様の歌っていたジングルベルを、
おもちゃのピアノで音を探しあて、いつのまにか弾いていた、
というエピソードがありました。

彼にとって、音は本当に聞くことだけが頼り。
音符や楽譜の視覚にとらわれず・・それはきっと、最初から
音の響きだけを頼りに音楽をつくっているのでしょう。

彼の演奏シーンには、完全に別の世界がつくられているように
見えます。本当に、演奏中のその時間、
その自分の奏でる音楽のもつ世界に身をおいている・・。



話は少しとびますが、ワイマールでのニコレ氏の講習会の時、
「なぜフルーティストは暗譜をしないのだ!おかしなことだ!」
と非常に怒っていらっしゃいました。


暗譜の必要性・・その根拠の一端には、あまりにも楽譜という
視覚にとらわれ、音楽を本当に聴けないから・・というのが
あるからなのだろうな、と思いました。

実際、自分の練習において目を瞑って取り組んでみました。


目を瞑ってよく聴きながら吹いてみると、
クレッシェンドやディミヌエンドの度合い・タイミングが
自分で思っていたより微妙に早すぎたり遅すぎたり、

フォルテやピアノの表情が、その音楽に見合っているように
本当に出ているのか・・目を瞑ると案外、
音や音楽の表情の凸凹の乏しさが浮き上がってくる・・。

自分では聴いてたつもりが、やはり知らずのうちに
つい視覚に頼って耳が鈍いことを知らされました。


目を瞑ると、時々、ふとした音の跳躍や、クレッシェンドの
行き着いた先、速い連符中の音、またその行き着いた先の音、
ディミヌエンド後の音の処理、等・・

様々な「つい」のシチュエーションで、その音はキィを一応
きちんと押さえている関係で、きちんと出て「聞こえている」
にしても、ちゃんと「自分で聴こえている=認識している」
音程をとれていないことがある。

こういうのが、自分の録音を聞いてみた時に・・ふとした
音痴な部分、いい加減なおろそかな部分として聞こえるのだ。


そしてこういうことが、音階やアルペジオ、その他基礎練習、
こと、かの有名なタファネル・ゴーベールのような、
一見運指のために書かれているような連符だらけの基礎練習で
もっとも心がけなければいけない、いや、
そうしなければ意味のないことなのです。


昔、当時習っていた先生から、次はテンポ120の速さで、
次はテンポ132で・・・とどんどん指を速く動かすように
要求され、ノンストップで全音階をできるように、などとも
言われ、とにかく当時は必死で指の可能な限り速い動きと
完走(!)を目指して練習していた・・。

鍛えればどんどん伸びる、10代20代にはそんな練習も必要だ。


とはいえ反面、そのときに音をきちんと聴かずに練習した
自分に悔やまれる・・

あのときに、速い練習しかしなかったがために、一つひとつの音に
見合った適切な息運びから成る、真に「鳴っている」音を聴く
能力が、自分の耳に備わらず、それで慣れてしまっていたのだ。

それは、ドイツで指摘をうけた。

指だけ押さえて、音をぶっとばしているだけだ、と。
そこに音の粒・音程は聞こえない。

そして、信じられないほどゆっくりな速度で、
音階をあらためて練習してみた。

ゆっくりな練習の中でよくよく意識してみると、一音一音、
笛のつくりとも関係し、息の入り方が微妙に違う。

その音に見合った適切な息の具合とエッジとの距離など、
音によって微妙に気をつけなければならないこと、
まずはゆっくりじっくり聴きながらそれらを認識し、練習し、
体にその感覚を叩き込ませ、そこから速くしていかないと・・
例え指が速く動こうとも「音楽」には使えないのである・・。


炊き立ての新米のような!?みずみずしくもふっくら艶のある、
まず一粒一粒にそれがあってこそ、全体的にも美味しいごはんだ。


昔から「ゆっくり練習しなさい」とは言われていた・・その本当の
意味・必要性が、ようやく真にわかった近頃です。


テクニックを育てると同時に、どれが悪い状態の音でどれが良い
状態の音なのか、自身の「聴く耳」を養うことが、
本当に楽器を極めるのに必要不可欠であり・・

自分の演奏により反映させるよう精進しなければならないことは
もちろんのこと、

同時に小学生や中学生、高校生などの次世代の子を育てる立場に
自分がなった今、教育者としての自分の大切な使命も
あらたに思うのでした。


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