◆ふえ・のおと◆フルーティストYoriko KASAI 葛西賀子 officialblog

~ヨーロッパ仕込みの音楽作り、研究を重ねたフルート基礎奏法・・最近は太極拳を通して体幹づくり研究も進んでいます!!

◆今も昔も

2010-02-08 20:18:34 | 楽曲
最近は、2月・3月のコンサートにバロック音楽のプログラムが多い関係で、
すっかり頭がバロック時代にトリップしています

通常コンサートなどの演奏機会をきっかけに、その曲をもう一度よく見直し、
それと共にその作曲家の人生や時代背景なども新たに勉強を加えるのですが、

ベートーヴェンも、モーツァルトも、ブラームスも、ショパンも、シューマンも・・

いつも勉強するごとに思うのは、彼らも、一人の人間であったということ。
・・って当然なのですが・・

もう少し掘り下げて言えば、天才作曲家だった彼らも当然、
人間が普通に日常もつ様々な心の機微がある、
(そしてそれはもしかして現代の私たち以上に、波乱万丈だったのかもしれない)


クラシック音楽って眠いし難しいし・・という言葉をやっぱり時々耳にしますし、
自分も正直懺悔!?で、コンサートでこっくり寝てしまうときもありました。

けど、クラシックってやっぱりそうじゃないのです!

音楽とは、人生の縮図のようなもの。

なのでその作曲家の人生に触れたりして、少し知識がはいるだけでも、
その彼らの人生の縮図がその作曲した音楽にたくさん隠されているようで・・

私たちは、その知らない遠い昔の世界を、資料と想像力でもって思いを馳せ、
音符という暗号?の謎解きをするのです。

つくづく、一生かけて探求できる、奥の深い芸術だと思います。


昔学生時代は、バッハとかバロックはどう解釈していいかわからず、
何だか難しい~とだけ考えてしまい、敬遠がちだったものですが・・・

実際ドイツでバッハ一家の縁の町に住み、またその周辺の彼らの足どりを
辿ったり・・と、その空気を吸ううちに、おのずと親近感を感じ、興味が湧き、
私の場合はそれがきっかけとなり、どんどん勉強するようになりました。


今回も2月11日のバロックの宮廷音楽のコンサートのために、今また
色々勉強し直してみているのですが、これがまたなかなか面白い!


今度のコンサートのテーマは、「ドイツバロックの宮廷音楽」

平たく言えば、当時のプロイセン王国という一国の主(大王)が、
もちろん一国を政治的指導者として最前線で指揮をとりながらも、
フルートの名手であった・・・。

そして、そのハードな仕事の最中にも、自分の別荘(宮殿)に有能な音楽家を雇い集め、
日々音楽会を催していた。

その、有能な音楽家の中に、
バッハの次男であるカール・フィリップ・エマニュエル バッハや(以下C.P.E.バッハ)、
現代にも伝えられている有名なフルート試論書の著者、クヴァンツなどがいて、
(他にも現代に名が残る有名な作曲家多数)

しかし今回勉強を深めて一番の驚きは、この大王さま。フリードリヒ2世。

彼は、このクヴァンツなどの優秀な音楽家の教えを受けながら、
フルート演奏のみならず、自分でもフルート曲を作曲しました。その数、120曲以上!
そして、これ↓がその楽譜の一部。(2/11に演奏します!)


・・王さま
音楽家が本業でなく、一国の主なのですよね!?なんでしょう、この難しさは

でも王さま自らがこれを作曲したということは・・これが吹けるくらいの、
本当に相当な実力をお持ちだったという・・ことであって


自分は吹くだけでもこれだけ人生かけてアップアップなのに
いや・・脱帽です。人間ってすごい、もっと自分も精進せねば・・(汗)


まぁ、、とはいえ、王さまはやっぱり王サマで、
あまりのその演奏の自己中心・自由奔放っぷりに(リズムなどが)
王様のフルート演奏のチェンバロ伴奏担当だったC.P.E.バッハは、
かなり舌を捲いた(=困ってた)らしいですが・・(笑)

↑C.P.E.バッハ

さて他にも面白いのは、
そのC.P.E.バッハのパパである有名なJ.S.バッハも、


息子の仕え先のフリードリヒ大王の宮殿には当然のごとく訪ねており、
その場でフリードリヒ大王にポイッと(かどうかはわかりませんが・・)与えられた
ごく単純なテーマ↓


大王に、このテーマを使ってこの場で何か即興で作曲してみよ、というのから
生まれたすばらしい作品が、かの有名なバッハの「音楽の捧げ物」シリーズ(?)で、
その同じテーマを用いて、バッハは実にたくさんのすばらしい作品を生み出しました。

 (その同じテーマを用いた数多の作品の中から、
 2/11はバッハが3声部で作曲した曲をピッコロ・フルート・アルトフルートで、
 3/3には、ヴァイオリンとフルートとバス(ピアノ)に作曲した曲に取り組みます!)



この、フリードリヒ大王とその取り巻き?音楽家たちから発生した派を
「ベルリン楽派」と名づけられておりますが、

以前、フルートにとって有名なC.P.E.バッハの無伴奏フルートソナタに取り組んだ時、



パパであるJ.S.バッハにはそこまでf(フォルテ)やp(ピアノ)の突如的な音量の差は
楽譜にそう多く記載はないのに、なぜこの息子バッハには(バッハ長男も)
こんなに突発的な音量の記載が指示されているのだろうと・・・
学生時代は思っていたものでした。

しかし、人生を重ねるごとに強くわかってきたことは、
このフォルテ・ピアノは人生の感情そのもの。


このベルリン楽派とは、
「Sturm und Drang」といって、日本語だと「疾風怒涛」の多感様式、が特徴。

ようするに、人間誰もがもつ、その人間らしい感情、怒り、悲しみ、喜び、嘆き・・

そんな人生を音楽にあらわす、そんな時代だったのです。

だからこのいきなりのフォルテやピアノの音量は、あってしかるべき、
音楽は人生の縮図。それをばっちりテーマにしていたのですね。


とはいえもちろん、人間の感情をイメージするだけでは足りなく、
それに、和声や歴史など音楽の「知識」と、楽器の「技術」ももちろん必要で、
それが三つ巴にあいまって、本当に充実した音楽が生まれるのでしょうが・・

ここにたどり着くべく探求し続けることが、一生飽くなき課題



・・・それにしても、この曲たちのこの感情のうつろい方、この激情、
昔の宮廷時代はそんなに激しい時代だったのでしょうか・・。

前回、宮廷音楽なので優雅なドレスを~なんて言ってたけど、
とんでもないのですけど~


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◆ 音楽は「知る」とより楽しい!

2010-01-22 22:00:43 | 楽曲
24日(日)に神奈川県立音楽堂で行う新春コンサート、
今日から「直前お篭り練」に突入です。

でも・・ん~~~いいお天気だしたまった掃除や片付けや洗濯をー
・・って早くも予定から脱線



さて、昨日はコンサートの後半で映像担当してくださる方と最終リハ☆

私は演奏本番は背をむいて絵を見られないので、
昨日はコンサートで映し出される絵を見ながら演奏。

ライネッケのフルートソナタ 「水の精」、
「人魚姫」のような童話を題材にしたこの曲ですが、楽譜自体にはもちろん特に
何の解説もないので、案外音楽だけ聞くとまだ情景をつかみにくいです。

なので現在は絶版になっている「水の精」の絵本を、古書を扱うお店で探し入手、

それに加え、楽譜も、私のドイツの師匠の師匠が校訂しているものを今回は使用。

その校訂には、決して具体的なところまでは言及せずとも、とても的を得、
でもすばらしく簡潔に巧くまとめあげられた楽章解説が書かれており、

Ⅰ.水の妖精ウンディーネ。
  水と波の第一テーマ、そして魂を持つ人間への憧れ。

Ⅱ.妖精世界と人間世界の対比。
  妖精で魂をもたないウンディーネと、人間の騎士の恋。そして発展。

Ⅲ.妖精と騎士、恋人同士の対話。
  ・・しかし水の世界から入る二人の愛への妨害をあらわす中間部。

Ⅳ.愛の冷却と悲劇。
  ・・・・

・・4楽章の最後は今はちょっとナイショで!(^^;)


このすばらしい、音楽に対する個々人の自由な想像力を決してかき消さない解説をもとに、
絵本を読みながら、楽譜に向き合うと・・・

1楽章~4楽章の楽曲全般に渡り、ピアノ(時にフルート)の速く・流れるような連符が
常に水の流れをあらわし、それが物語の進みによって穏やかな流れになったり、
吹き荒れる嵐の濁流となったり・・

そんなピアノの奏でる水の流れの中で、フルートやピアノの別フレーズを使って
ウンディーネや騎士の物語を表現し、お話が進んでいく。

あらためて、「音楽のもつ力」のすばらしさの一端を再認識です。
作曲したライネッケは実にすばらしく、物語を彼の閃きで音楽に映し出しています!


またそれを一緒に演奏するピアニストと、
音楽のこの部分はお話のこの部分かな、いやいやこの場面かも、と、
あぁでもないこうでもない、と楽曲を掘り下げながら、
当日語りの方に読んでいただく物語のあらすじも、物語の本質をなるべく壊さないように
要約し、まとめ、原稿に何度も書きなおし・・、

またウンディーネの絵も、そこまでお話に完全に沿うほどの数が残念ながらなかったので、
難しい局面も多々あり・・・

そんなこんなでこの「ウンディーヌ」にはとても手間と時間はかかりましたが
しかしそうしてできた作品は、実際にリハで、楽章ごとに前であらすじを読んでいただき、
自身で演奏しながら絵が目に飛び込んできたときには・・ものすごい感慨深く!
絵を見ながら演奏はとても不思議な感覚で、吹きながら鳥肌がぞわぞわぞわ。。。

聴覚に、視覚や知識(物語のあらすじ)が加わるのってすごい!というか、
こんなにまた聴き方が変わり、曲への入り込み方もまた違うんだ、と我ながら・・
新鮮な驚きを隠さずにはいられませんでした。



さてそして、今回さらにちょっと面白いのは、
その後演奏する曲として、ピアニストがチョイスした「オンディーヌ(ウンディーネ)」。
作曲家ラヴェル(かの有名な「ボレロ」の作曲者ですね^^)の手による同じ題材です。

こちらも、ラヴェルが直接作曲するにあたり閃きを得たという詩を、やはり
バックスクリーンに映し出しながら当日演奏しますが、

こちらのウンディーネは、前作ライネッケと違い、はっきり言って「 面妖 」(^^;)

何だか、こちらのほうがより妖精色が強い、悪ふざけで、口さけで「ケケケッ」と
笑っているような、そんなおてんばで面妖なウンディーヌが特徴の曲です。

同じ物語題材でも、かかる作曲家の手によって、こんなに曲が変わってくるんだなぁ、と
ピアニストの演奏と写しだされる詩をみながら面白く感じました。



そんなオンディーヌの後には、今度も同じラヴェルの曲で物語系、
「マ・メール・ロワ」という曲をやりますが、これも「眠りの森の美女」や
「おやゆび小僧」、「美女と野獣」といった5つのおとぎ話が題材。

物語の雰囲気を、ラヴェルがこれまた音楽で巧みにつくりあげているので、
楽譜を見、演奏しながら、

あ、このフレーズおやゆび小僧が道に迷っちゃったっぽい!
で、ここで鳥が道しるべに撒いたパンを食べちゃったんだ~とか、
このテーマは美女、そしてこれは野獣のテーマ、で二つのテーマがだんだん
3拍子のワルツ風な中で融合していくから、これは二人で踊っているシーンだろうな・・
などなどなど。

イメージを考えれば考えるほど、想像は面白いほど湧き出でて、
演奏しながら飽きることがない・・

通常コンサートでは、耳に入る音楽で、その人それぞれの想像力をかきたてながら
聴くのが楽しみなのですが、

こういう曲たちを集めて公で一挙に演奏することは、中々実現できない貴重な機会なので、
本番はとても新鮮で生き生きと演奏ができるコンサートになるかな
わくわくもしています♪(もちろん稀な大舞台に緊張していますが

こんな企画いっぱいのコンサート、よろしかったらぜひ聴きにきてやってくださ~い!


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◆ ありがとう・・ブラームス。

2009-05-03 22:17:10 | 楽曲
今まで、音楽を聴いて涙することは多々ありました。

けど今日、初めて、

自分で演奏しながらいきなり涙が溢れて吹けなくなりました。

旋律とかに感動して泣きたくて泣いているのではなくて、
なんというか・・

なんで泣いているのか、

いったい今誰が演奏しているのか、

自分が今吹いている立場なのか、聴いている立場なのか、
よくわからない。

確かに自分が演奏しているはずなのに、
全然吹いている感覚がない。音楽が勝手に流れている。


それは、「音楽」に形を変えた、人生の縮図。

曲自体が凄かったのです。作曲者が凄かったのです。


◆◇◆

その曲とは、今度8日にコンサートで演奏する、

ブラームスの《クラリネットソナタ Op.120-2 変ホ長調》


この曲は、作品120。
ブラームス晩年の・・事実上最後のソナタです。

ブラームスは、生涯独身でした。
若い頃にシューマンに才能を見出されて以来、シューマンと
その妻クララとの親交が厚く深かったことは有名です。

しかしシューマンが心の病を患い・・早くに亡くなり、
彼の死後もブラームスは妻のクララとその子どもを生涯かけて
面倒を見・・(クララの死はブラームスの死の一年前)

年上の、才能溢れ聡明で魅力的な女性クララの存在が、
彼の生涯独身につながっていたのかどうか・・・

けどそのことは、人間それぞれがもつドラマの一つであって、
ここでこれ以上そこに言及をするつもりはありません。


ただ、ブラームスのこの晩年のソナタから、
今日押し寄せられるように自分の中に入ってきたもの・・


 ―1楽章:Allegro amabile 「快活に、甘美に」

極上な美しい、変ホ長調のメロディから始まるこの曲。
何を思い、あるいは誰を想い、
この曲をブラームスは書き始めたのか・・
そんなファンタジーをかき立て拡げさせてくれる、
完全に優しさと愛に包まれたようなこの一楽章。


 ―2楽章:Allegro appassionato「快活、そして情熱的に」

1楽章の変ホ長調が、同主音の変ホ短調に変わり、
いきなり胸がしめつけられるような慟哭の冒頭。

人生の・・体力の衰えも敏感に自覚しているブラームス晩年の、
焦燥とかあきらめとか希望とか・・色々が入り混じる中に、

中間部、突然現れる天国からの声。<荘厳な歌/Sostenuto>

しかしまた突然に引き戻される現実。(再現部)

そんな失意のようにそのまま変ホ短調で終わる2楽章に続き・・


 ―3楽章:Andante com moto「進んで、動きをもって」

救済の終楽章。

天国への道がやっと開かれたかのごとく。

メロディは、美しく優しく始まり、時に跳ねたり踊ったり、
色々表情を変え、優しく天国へ招きます。

そして至高のpp(ピアニッシモ)により、天国の扉が開いた・・

瞬間、突如はじまる慟哭のAllegro。

3楽章冒頭の美しい変ホ長調のメロディが、短調に姿を変え、
生きている現実と天国との交錯が始まります。

そして、また突如として現れる変ホ長調のTranquillo(静寂)

そしてそして、最後はどこへ行くのか・・・




まるで人間が生きる上で感じ、持つものすべてが凝縮されている
ような音楽。

そして私達が生きて、その先に待ち受けるものは・・?



フルートという単旋律楽器、しかも悲しいことに
ブラームスを始め、ベートーヴェンやショパンやシューマン
これらの偉大な作曲はほとんどフルートのために曲を
遺してくれていません・・・。

そんなフルート吹きの私に、音楽のこんなプレゼントを
教えてくれたのは、パートナーであるピアニスト氏でした。

私が、音楽に最初に人生の縮図をみたのは、彼が弾いた、
後期ベートーヴェンのピアノソナタ、Op.106,110,111を
聴いてでした。

難解な曲・難しい楽譜と言われるけれど、決してただ「難曲」
とは言い切れない(いえ、弾く技術的には超・超難しいです)

ベートーヴェンは、曲を作曲したというよりかは・・
耳の聞こえない彼が、頭の中でめくるめいていたものが、
音となり、音符としてただ(無理やり)姿を現している・・
ような。

このベートーヴェンの後期3曲を聞いたときも、胸がつかえ、
涙が出ずにはいられませんでした。

でもまさか、それを自分で演奏という、ある意味
「吹くこと」に頭が支配されそうな自分の演奏時に
《それ》が降ってきてくれるとは・・・

そういう意味で、今日は書かずにいられない、
本当に自分にとって大きな大きな記念の一日でした。


最後に、ブラームスのこの楽曲に関して、そのピアニスト氏が
また自身の視点で書いています。
今日書いた自分の文章が稚拙に思えるほど、名文章です。

クラシックって本当はこんなに面白いものなんだ、と
彼の溢れる音楽の泉を、いつかご紹介したいと思ってました。

ぜひこちらも併せて読んでみてください。

◆◇音楽家ピアニスト瀬川玄の「ひたすら音楽」
  「深い癒し、慰め~後期ブラームス《ソナタop.120-2》



あとコンサートまで5日、・・頑張るぞ!


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