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パンダ好きな私のある日の出来事

パンダが好きです。
そんな私の毎日の中で・・・
起こったこと。行ったところ。

切られお富@国立劇場3月歌舞伎公演

2014年03月16日 13時52分44秒 | 芝居
国立劇場で「切られお富」を見てきました。
時蔵のお富です。

切られお富は宗十郎で見たのと、葉月会で歌江がやったのを見てるんじゃないかな?私。

3代目田之助(幕末の「あの」田之助)→4代目源之助(田圃の太夫)→3代目時蔵

と受け継がれたものを時蔵がやるというので、大宣伝がうたれてます。
3月は、歌舞伎座で歌右衛門襲名がある、という前提で俳優が出ていて、新橋演舞場、国立も開場してるので、正直「無人芝居」だと思います。
昔やってたみたいに、小劇場でやるとかしたほうがよかったんじゃないかな?

芝居としては、悪くなかったので、なんだかもったいない気がするほど、客の入りが悪い気がしました。

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最初に、若手による車引がつきました。
隼人の桜丸、萬太郎の梅王、錦之助(若手じゃないですね)の松王、秀調の時平。

若手の勉強なんだと思うけども・・・黙阿弥の悪婆に合わせるのは無理がありそう。
なしでいいんじゃないかな?

中では、萬太郎が口跡もよくてお行儀もよくて、悪くない梅王だと思いました。
車引の中では、勢いでできるので、得なのかもしれません。

松王、梅王、時平と大きさがないのは、しょうがないのか。
ニンじゃないし。

桜丸は、やっぱり若手には難しい。

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切られお富。
きっかけから最後までの上演で、テンポもいいし、わかりやすい。
黙阿弥なので、南北のようなドロドロもなく、さっぱりと、その点、悪婆の中では時蔵にあっているんだと思います。
南北だと「古風」さというのが重要だと思うんだけど、そういうのは黙阿弥の場合あまり必要でない気がします。
時蔵、悪くなかった。
どちらかというといいできだったと思います。

ただ、この人が座頭格というのはいかにも薄い。
安蔵にもうちょっと強い人が出てるといい。
それろ赤間源右衛門ももう少し重い人のほうが。
嵐橘三郎だと、番頭になっちゃう。

あとは、錦之助の与三郎はニン。
時蔵と錦之助は、きれいだし、それぞれ役にあっていて、よかった。

今月は、これで歌舞伎は終了。
4月はどうしよう。歌舞伎座行こうかな。

鳳凰祭3月昼の部@歌舞伎座

2014年03月13日 22時08分51秒 | 芝居
あったかいけど、雨と風で大荒れの1日。
歌舞伎を見てきました。
本当は、歌右衛門襲名公演のはずが、福助が倒れて延期になって、急遽「鳳凰祭」という名前の興行になりました。
松竹が歌舞伎の興行に携わって100年を記念してということのようです。
当初予定の襲名公演が去年の11月頃に急に延期になったので、どうしても急ごしらえの感じのある見取り狂言という感じがします。

昼の部は・・・
曽我対面
身替座禅
封印切
二人藤娘

橋之助の五郎、孝太郎の十郎、工藤が梅玉、舞鶴に魁春、大磯の虎、芝雀。化粧坂少将、児太郎、などなど。
曽我物語を読んでるところで、今回みたいにじっくりこの演目を見るのはあまりないかもしれない。
それに、実はとても久しぶりの演目だった気がします。
毎年1回は出てるだろうけど、この演目を選んで見ることはしないから。

今回の演目の中で、よかったのは、身替座禅かなぁ。
菊五郎の右京、山の神が吉右衛門。
さすがなのは、下品にならずにおもしろいというところ。

二人藤娘は、玉三郎と七之助で、藤娘を2人でやるって演目。
今回で2回目の上演。
2人ともきれいなんだけど、玉三郎のふっくらとして美しさと踊りはすごい。
踊りばかりじゃなくて、もっとお芝居やってほしいなぁ。

封印切は、藤十郎。
これは、もちろんうまいし、秀太郎のおえんもいい、主人の我当も悪くない。
大阪の風を残す俳優がやるとはまるんだけど、それがいまいちな人だと、ただジャラジャラしてるだけで、なんだかよくわからなくなる。
梅川が扇雀なんだけど、最初の出がどしどしした感じで、かわいらしさがないのが気になる。
結局最後までかわいさがなくて、梅川の良さがでない。
八右衛門の翫雀も、なんだか最初から、お金を出す前から封印を切らせる気満載で、そこが少し違うんじゃないかなと感じました。

藤十郎は、動きが何を表してるのかがよくわからないところもあったりして、少しとまどいました。
特に引っ込みあたり。
芝居の前後がつかないとなかなかしんどいかなぁ。

スーパー歌舞伎Ⅱ「空ヲ刻ム者」@新橋演舞場

2014年03月07日 00時25分08秒 | 芝居
新橋演舞場にスーパー歌舞伎を見に行ってきました。
新しい猿之助になって、「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)」として、今回初めて上演されるお芝居です。
「空ヲ刻ム者」。
「ソラヲキザムモノ」かと思ってたけども、お話を聞いてると「クウヲキザムモノ」なんですね。
仏師として生まれた人が、苦悩しながら自分の仏を見つけて、仏師として生きていく。おおざっぱに言ってそんな話。
で、見つけた仏というのが「空(くう)」。
仏像は、仏師が誰かに仏の心を伝えようとするものではなくて、仏を見た人が、おのおの自分の心の中の仏を見つけるためのもの。
仏像に、何かを刻むのではなく、「無」があって、おのおのが勝手にそこから何かを感じるもの。
「空(くう)」を刻むのが自分の仕事だということに気づく。
というお話。

主人公「十和(とわ)」が、幼なじみの心を救うためにほった仏像が、「木っ端」だった。
というのは、たとえはわるいけども・・・
ファッション界を風刺した映画で、究極のファッションは「ヌード」という「それをやっちゃぁおしまいよ」的なオチだなぁと思ってしまいました。

芝居なので、本物の仏像ではなくて大道具、小道具的な仏像がいくつか。
それがどうも形としてよろしくない。
口ばかりで「すばらしい仏像」と説明するだけで、結局、なんだか説経っぽくなるので、なんだか納得いかない感じがしました。

特に、3幕の九龍の工房に出てくる、南大門のあうん像のような大きな仏像の大道具の形がひどい。
あくまでも大道具と言われればそうなんだけど、今回みたいに「仏像」がキーワードになっているような芝居の場合、気を配ったほしい。

今回、久しぶりにスーパー歌舞伎の新作を見て思ったんだけども・・・
歌舞伎の物語には、菅原伝授手習鑑とか仮名手本忠臣蔵とか、国の転覆を企てたり、政治的なニオイのある内容だったりするものが結構あります。
特に、時代物と言われるものはそんなのばっかり。
でも、細かく内容を見てみると、主人への忠義だったり、家族への愛情だったり、嫉妬だったり、政治的な内容をすごく身近で俗なところにおろしてわかりやすく描いてるのよね。

スーパー歌舞伎とかの違和感っていうのは、国を憂う気持ち、大きな何かを変えようとする気持ちをそのままストレートに描こうとするところにあるんじゃないかなぁ。
歌舞伎的な荒唐無稽な展開でありながら、すごく高尚なことを言われると思わず笑っちゃう感じ。
もう少し、俗なところ、身近なところに落としたほうが受け入れられるんじゃないか、と今回見ていて思いました。

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さて、今回のお芝居。
外部の俳優が主役級で3人出てました。
準主役(十和の幼なじみ役)で佐々木蔵之介。
最初、口上から始まって、もうその姿勢や動きから、歌舞伎になってない。
そこがおもしろさにもなるだろうし、私は見ていて歌舞伎俳優の特殊性を感じて、それはそれでおもしろいなと思いました。
勘三郎の芝居に出た笹野高史と違うのは二枚目であり、やや時代がかった役を外部の人に演じさせたこと。
そこが少し問題なのかも。
動きがまったく違うので、そこばかりが浮き立ってしまうから。
笑っていいものか、まじめだからそうじゃないのか、迷ってしまうような。
俳優のニンもポイントだろうし。

2日目のお芝居だったこともあって、まだまだ慣れていないからなおさらだったんでしょう。
ただ個人的には・・・
歌舞伎的な動きや演じ方がコメディーやお笑いで取り上げられるときの動きを、大まじめなお芝居で見てしまったという感じが、ちょっとイヤでした。

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さぁて、今月はあと歌舞伎座と国立劇場を見に行きます。
いっぱい見られて幸せです。

心謎解色糸(お祭り佐七)@2月歌舞伎座昼の部

2014年02月09日 18時25分49秒 | 芝居
今日は、あちらこちらでいろんな雪だるまさんに会いました。



雪かきすると、大人でも何か作りたくなるんだろか?
そういえば、最近読んだ「半七捕物帳」に、江戸の人たちは雪だるまが好きで、雪が降ると必ずあちらこちらに雪だるまが作られてたって書いてあったっけ。
今もそれはかわらないんだなぁ。

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大雪。
結局、30センチ近く降って、夜中から朝にかけて、屋根から落ちる雪の音で何回か起こされました。
東京で30センチって!!
すごいなぁ。
そして、あちらこちらに雪だるまを見ながら、歌舞伎を見に行ってきました。
歌舞伎座昼の部です。

お祭り佐七の通しです。
南北の作品の中でも、名前は知ってるものだけど、上演記録を見ると昭和48年以来の通しなんだなぁ。
そういえば・・・写真では見るけど、作品は初めてかな?
書きかえたものを見てるのかなぁ?

佐七と小糸のお兄さん(悪役)の2役に染五郎。
小糸は菊之助。
いい人役の侍に松禄。
その恋人と、小糸の兄の妻の2役に七之助。

今日見て思ったのは、世話物のいなせな兄さんは染ちゃんのニンじゃないのかも?ということ。
かっこいいし、形もいいから、ステキなんだけど、どうもすっきりしないというか。
現代的な感じがしてしまう。
現代的な感じ・・・は、若い座組だったから全体的に「歌舞伎」的処理がまだまだだってところがあるせいかもしれないけど。
染ちゃんは、世話物の中でも「色悪」の人なんだなぁ。

まだ初日があいて、1週間たってないぐらいってこともあって、ねれてないから、どうもさらさらしてるところはしょうがない気がします。
もう少し時間がたてば、変な間もなくなるでしょう。

松也がかたき役。
父親の松助の役なんだろうけど、若い。
現代的すぎるところが目につきました。

脇にも、御曹司の人たちが出ていて、どの子も好感がもてるようなまじめな演じっぷりなんですが、どうもやっぱり現代的という印象が強くて。
そこと、ねれていない変な間というのが気になってしまいました。

南北らしい複雑な人間関係。
そのせいで、プログラムの筋がわけわからないことに・・・。
国立劇場のプログラムにも前似たようなことあったし、南北とか黙阿弥とかだとしょうがないのかも。

明治一代女(新派)@三越劇場

2014年01月20日 00時26分07秒 | 芝居
天気はよかったけど、風が強くて、ひときわ寒い1日でした。
今日は、三越劇場に新派を見に行ってきました。
明治時代の毒婦で有名な「花井お梅」の殺人事件を、川口松太郎が劇化したものです。
昭和10年、花柳章太郎のお梅で初演。
実話のお梅は、酒好き(酒乱)の女で、父親との不仲や自分のお金で親に出させたお茶屋の経営などをめぐって、箱屋の峰吉を憎み、殺した女。
比較的、お梅には同情できない感じなんだけども・・・
川口松太郎は、歌舞伎俳優との真実の愛のために、人を殺さざるを得なかったことにして、最後は自殺させるという涙の物語に仕立てています。
(実話のお梅は、入牢した20年後に恩赦で釈放されて、お汁粉屋、お茶屋とかをやって失敗し、俳優になって、舞台で自分の物語を演じたそうです。54歳で結核で亡くなったとか)

今回は、お梅に波乃、恋敵の秀吉(実話では、お梅が名乗った名前)に水谷、恋人の仙波に春猿、箱屋巳の吉に佐藤B作。

お梅の役は耐え忍ぶ役で、芸者でも素人っぽさを残すという人なので、波乃じゃないと。
水谷だと華やかすぎちゃう。
でも、2人で比べると、今まであまり思わなかったけど、水谷の華やかさというのが際立ちます。
これまで、新橋演舞場を主な舞台にしてきた新派が、ここ数年、集客が減って、三越劇場で興行を打つことが多くなってます。
花道はなく、書き割りも簡単なもので、舞台の間尺も小さい劇場では、ちょっともったいない気もするけど、役者ぶりを確認するには、三越劇場はいいみたい。
今回、三越劇場だから、水谷の華やかさを実感できた気もするし。

佐藤B作の役は、前だったら安井昌二とかがやった役だと思います。
設定として、滋賀から出てきた人なので、なまってていいんだけど、関西弁ではないなまり方。
しかも、江戸弁っぽいところにイントネーションが違う単語が出てくるのが気になりました。
あと、新派は歌舞伎を同じでところどころ決まるところがあるんだけど、その決まり決まりがどうも美しくない。
これが、新派っぽさを失わせてしまっていました。
いやな男、身をわきまえない男というところでは、佐藤B作はうってつけなんだけど、このなまりと芝居の毛色が違って新派に合わない。
巳の吉もかわいそうな人で、お梅にしつこくするのも、もう自分には行くところがないというせっぱつまってのこと。
お梅も気の毒だし、巳の吉も気の毒だし、なんというか、いやぁな感じがする芝居でした。
もう少し巳の吉に同情がいかなければ、そういう感じもないんだけども。
このいやぁな感じは、佐藤B作の新派とは違う演じ方のせいなんじゃないだろうか。

春猿は、役者の江戸弁がはまらず。
この春猿が演じた仙波という人が、史実では4代目源之助。
花井お梅は、役者買いでも有名で、源之助と当時大阪から下ってきていた市川権十郎(後の名前です)と深い仲だったそうです。
お梅の殺人事件があって、この2人とも江戸の歌舞伎を追放の憂き目にあい、しばらく戻ってこられなかったらしい。
そういう史実が設定が違う中でも盛り込まれて、なかなかおもしろい芝居でした。

新派。
新橋演舞場でやるときは、名作のときは絶対に見に行ってたし、結構作品は見てるほうだとは思うけど、やっぱり見直してみるとおもしろい。
名作をやってくれるなら、また見てみるのもいいなぁと今さらながら思いました。



三千両初春駒曳@国立劇場1月公演

2014年01月12日 00時38分16秒 | 芝居
国立劇場の1月歌舞伎をみてきました。



ここ数年恒例の、菊五郎劇団による復活芝居の通しです。
今回は、「馬切り」の場面を含んだ作品の復活で、松平長七郎の話を太閤記の時代に置き換えたものです。
「馬切り」は、結構有名な場面で、最近だと13代目仁左衛門がやったはず。
実は、私は、見てないんだけども・・・。
それほどすごい話ではなくて、時の将軍(今回は、真柴久吉=豊臣秀吉)が東照宮(今回は小田家=織田)の寺に奉納した3000両。
馬にのせて運ぶ途中で、放浪している長七郎(今回は織田信長の長男・信孝)が自分のおじいさん(今回は父親)に奉納されるお金だから、自分がもらっても奉納したのと同じだといって、奪ってしまう。
という内容。
「馬切り」っていう名前だけど、馬は切らないの。
お金を横取りしようとする盗賊は切るけど。
「馬切り」というと黒紋付きを着てるイメージで、写真では明治時代の俳優「中村宗十郎」って人のが思い浮かびます。
この人は、9代目と並ぶような名優だったとか。
おそらく風格で見せる役なんだろうなぁと思います。

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さて、今回は、菊五郎は信孝。
明るくて、さっぱりとしてる信孝はあってました。
が、馬切りの場面は黒紋付きのがしまっていいんじゃないか?な?
あぁぁ、でも、殿様の感じ(たとえば、伽羅先代萩みたいな)は今回みたいな派手な衣装のほうが出てるのかもしれない。

松禄がいい役でがんばってました。
2役で、1役は悪役(仁木弾正と民谷伊右衛門をまぜたような)ともう1役は、この悪役の双子の役で、忠義の男。
ううううん。
がんばってるんだけど、悪役のほうがしっかり悪になりきれていなくて、「この人は本当はいい人なのかも?」とか思わされるんだなぁ。
実直な感じがでちゃうのか?
それと、最後の場面、鼻と目に黒のふちどりをしてるのが似合わないってのも気になる。
それだけでも悪がきかない。

菊之助は、2役。
忠義で色男の役と高麗国の王女様の役。
とにかくきれいだし、この人の男役は実直さがあってすっきり。
ちょっとぬめっとした感じはあるけど、まじめさに好感がもてます。

今月は東京で4座歌舞伎をかけているので、どうしても無人芝居になっちゃう。
いくら菊五郎劇団とはいえ・・・
ただ、その分若手ががんばってて、将来が楽しみです。
中でも梅枝がいいなぁ。
一見、玉三郎の若い頃にも似ていて、3代目時蔵そっくりな面長で、古風。
おとなしやかでお行儀もいい。
少し地味な印象はあるけど、まじめにがんばれば、いい女形になるはず。

あとは松也。
柄と口跡もいい。
少し単調なところがあるけど、この人も楽しみ。

芝居の内容としては、通し狂言で復活の分、どうしても薄味になります。
阿波座田郎助の家の場面で、2階と1階それぞれで切腹。切腹した2人は家の下にある池の水に顔を写してお互いの死を嘆く場面があるんだけども。
この場面の趣向がおもしろい。
水に顔を写してっていうあたりと、2人の血が屋根づたいに1つになって池に入り、その忠義の血に反応して行方不明のお家の重宝の刀が出てくるというのが、今までになくておもしろい。
忠義と情愛のために死ぬ2人の男という物語と、こういう趣向もあって、この場面が一番の眼目なはず。
ところが、芝居がねれてないのもあって、趣向ばかりに目がいってしまって、芝居としては薄い。

全体的にはお正月公演らしい明るさで、楽しくみました。
いつもあるおじさんのワルノリ的なだじゃれとかもなかったし、すっきりとした明るさでした。

寿初春大歌舞伎@歌舞伎座(夜の部)

2014年01月04日 00時52分36秒 | 芝居
2014年初芝居を見てきました。
歌舞伎座1月公演夜の部。

忠臣蔵・山科閑居
乗合船
東慶寺花だより(新作)

の3つでした。
眼目は「山科閑居」。
藤十郎の戸無瀬、吉右衛門の由良之助、幸四郎の本蔵、魁春のお石、梅玉の力弥、扇雀の小浪。

難しい場面であるということと、俳優がそろっていないとできないということで、忠臣蔵の通しがかかっても9段目だけは抜かれた上演されるのが普通になってきています。
11月、12月の歌舞伎座での2か月連続、忠臣蔵の通しでも、9段目は抜かれてました。
それでも、9段目は今回みたいに単独でかかることがあるけど、このあとの天河屋の場面は本当にかからない。
国立でやった大忠臣蔵で富十郎がやってから上演ないんじゃないかなぁ?
天河屋は、浪士がいやな人のように見える部分があるので、やりにくいんだと思います。
9段目は、前に書いたとおりで、難しいから・・・。

立女形が支える芝居で、なおかつ、座頭格が2人必要。
どの人が格下でもよくない。

私が、いちばん最初に見たのは、国立劇場の大忠臣蔵(昭和61年)。
歌右衛門の戸無瀬、17代目羽左衛門の由良之助、芝翫のお石、権十郎の本蔵、魁春の小浪、梅玉の力弥。
衝撃は・・・あれから30年近くで、力弥(前髪だちの美少年)が両方とも梅玉で同じ俳優であること。
70歳以上の力弥って・・・。すごいなぁ。
さて、そのときの9段目はすごかった。
なんだかわかんないけど、歌右衛門の圧っていうか、重さっていうか。
本当は、権十郎じゃなく松禄が本蔵のはずが、病気で急遽、権十郎になって、権十郎の気迫もすごかった。
今でも覚えてるぐらいだもの。

それから、何回か見てるけど、今回の9段目は比較的あっさりぎみでした。
というのは、もしかしたら、文楽に戻ったやり方なのかもしれない。
藤十郎は、文楽に戻して役をつくる人だから。
歌右衛門は決してでしゃばる女形だったとは思わない(立役をたてるところはしっかりたててた。9段目の後半、本蔵が出てくると特にそこはしっかり)けど、芝居の盛り上がりを自分のところでつくっていて、立女形の芝居。
それは、伽羅先代萩の政岡でもそう。
ところが、藤十郎は、芝居全体のポイントを後半の本蔵の出に持ってきてるので、前半の自分の芝居のところが意外にあっさりさせてる気がしました。
義太夫の詞章から考えると、そうせざるをえないんじゃないかな?

それがよくないのではなくて、それでいて、戸無瀬の格も保ってるから、すごい。
ただ、それをうける幸四郎の本蔵がどうも元気がないというか、なんだかあっさりやってるので、全体がさらさらしちゃう感じがしたかなぁ。

7段目が終わると、端役になっていく感じのする大星だけど、今日見て、9段目の大星ってこの場面の中心なんだなぁって気がしました。
最後、虚無僧姿で大阪の天川屋に行き、いざ討ち入り!!というところで、お石から何かを渡されて、思い入れある。
ここ、今まで気づかなかった。
この場面は本蔵と小浪の親子、本蔵と戸無瀬の夫婦の別れだけじゃなくて、大星夫婦の別れでもあるのよね。
さあこれから本懐をとげようとするいさましい気持ちと、いよいよ家族との別れ、この世との別れというのが交錯する場面なのね。

そういう象徴的な場面だと考えると、ほかの場面以上にわざと視覚的にも印象深い場面に仕上げてる気がしました。
忠臣蔵は大序でも色を効果的に使うけど(さわやかな浅葱色に、若々しい黄色、老獪な黒で、登場人物の性格を色分けしてる)、それ以降では、この9段目で再度効果的な色の使い方をしてると言えると思います。
黒(お石)、赤(戸無瀬)、白(小浪)と、夜の設定でまわりは黒、そこに白い雪が降る。
音はない。
生と死の色わけとでも言うんだろうか。

今回、小浪の扇雀がちょっと初々しさがなくて、ちょっと。

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乗合船は、お正月らしく。
背景の絵で三囲神社が見えて、手前に川があるのに、右手奥に富士山らしい山が見えるのがなんだか不思議な位置関係だなって思ったんだけど。
しかも、あの富士山、形が変だったし。
富士山じゃないの?

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東慶寺花だより。
井上ひさしの短編小説をもとに歌舞伎にした新作だそうです。
染五郎がおもしろくしようと小ネタをちりばめたっぽいけど、すべるのはなぜだろ?
見やすいけど、まだこなれてなんだろうなぁ。
染五郎演じる信次郎が、みんなに好かれる設定なんだけど、見ててわからない。説得力なし。
これもこなれてくればいいのかな?
笑也は、江戸の町娘には見えない。妾奉公してる女性だから、しっとりでいいのかもしれないけど、もとは職人の娘で、職人の許嫁がいるってわりには、武家っぽいのかな。
どの役でも同じなんだなぁ。

秀太郎がおもしろいし、うまい。本役でしょうね。

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さぁて、今月は国立劇場も見ます。
今年もいいお芝居に出会えますように。

クリスマス落語会(円丈)@国立演芸場

2013年12月23日 23時54分48秒 | 芝居
なんだか今にも雪になりそうな寒い曇り空・・・。
昨日の、青空がうそみたいだなぁ。

落語を聞きに国立劇場に行ってきました。

円丈のクリスマス特別落語会。
母が円丈好きなので。
いやぁ、チケットぎりぎりだったのよね。
当然、満席でした。

*********

落語は、新作中心で、クリスマスにちなんだ話で、ということのようでした。

円丈。
前回、やっぱり演芸場に見に行ったときも、内容が頭に入ってなくて話が出てこない。
お弟子さんがうしろについてプロンプターをしたり、あんちょこもったりでした。
それでも、最後はまとまって一つの話としては聞けたんだけど・・・
今回はめちゃくちゃ。
どこまで、仕込みなのか?いや、仕込みじゃないのか?わからないんだけれども、最後まで話がどうもまとまらない感じでした。

おもしろいにはおもしろいんだけれども、まとまらない話じゃぁ、どうしようもないような気がしました。

来年3月には円楽との「雪解け」の会をやるそうです。
そのときは大丈夫なんだろうか?

母はそれも聞きたいようだったけど。

さぁ、2013年の仕事納めの1週間です。
急ぎの仕事はないけど、来年早々忙しくならないように、かたづけておかないと。
がんばります。

大塔宮曦鎧@国立劇場(12月文楽公演)

2013年12月16日 23時05分09秒 | 芝居
「おおとうのみやあさひのよろい」と読みます。
明治時代以来121年ぶりの上演の文楽だそうです。

12月の国立劇場・文楽公演を見てきました。

ちょっと疲れ気味ってのもあって、見たかった「大塔宮」だけ。
ホントは「大塔宮」のあとに「恋娘昔八丈」(城木屋お駒)がつきますけどね。

鎌倉宮で神としてもまつられている「護良親王」(大塔宮)とその敵である六波羅方の武士「斉藤太郎左衛門」一族の悲劇を描いた5段物だそうです。
その中で、斉藤太郎左衛門が後醍醐天皇とその第9皇子を助けるために、自分の娘や娘婿の名誉のために孫を殺す場面を中心にした2つの場面が上演されました。

大塔宮について描いた芝居ってのは、記憶にないなぁ。
「実盛物語」みたいに、敵役のおじいさんが、ぶっかえりでいい人になるっていう感じのようで、でも、命を落とすのは孫。
「寺子屋」や「熊谷陣屋」のように自分の子どもを身代わりにするようでいて、殺されるのは別の子。
「菅原伝授」や「忠臣蔵」みたいに敵役の横恋慕があるけど、たいしたことなくて。

なんだかいろいろ趣向が似たものがないまぜになって、でも、全く別のものにしあがっていました。
おもしろいけど、間の筋をもう少し描いたほうが、それぞれの登場人物への思い入れも出てきて、芝居としてより深くなるような気がしました。
今回の2つの場面だけでは、斉藤にも、右馬頭にも、だれにも思い入れができない。

「身替音頭」の場面で、盆踊りを踊っている孫を一刀のもとに殺すんだけれども、子どもたちが輪になって踊る場面が珍しいし、美しい。
2人の親たちは、1人の親は、自分の子どもが殺されないように祈りつつ、主人の身代わりで殺せと心で叫んでいる。
もう1人は皇子の親として、殺されないようにと息をのんでいる。
そして、隠れてもう1人、孫を殺そうと踊る子どもを見るおじいさん。

このときの義太夫が三味線からはずれて「打て」と別の調子で語るところがおもしろいなぁって思いました。
この場面には4人の登場人物がいるんだけど、それぞれの人の親としての複雑な心持ちを描いていて、1人にスポットライトがあたるんじゃないのね。
1つの場面で4つのドラマがあるところが、ほかの芝居になくて、現代的な感じがしました。

これは歌舞伎にはなってないのかなぁ?
配役としては、寺子屋と似た感じで、仁左衛門または吉右衛門が右馬頭。妻の花園が魁春とか。斉藤は、老けすぎだけど吉右衛門か左団次?いや、吉右衛門がいいだろうなぁ。
三位の局は玉三郎でもいいかもね。

あぁ、ちょっと薄雪物語っぽいのかもしれない。

珍しいいいもの見ました。
これで、2013年のお芝居納めでした。
今年は歌舞伎座再開場で、いろいろ見たなぁ。
亡くなったり、悲しいことの多かった歌舞伎界だけど、来年は明るいことがいっぱいで、いいお芝居もいっぱい見られますように。

**************



明日が満月だそうです。



大きなお月さま。
皇居の上にあがって、きれいでした。

国立劇場12月歌舞伎公演(忠臣蔵外伝)

2013年12月14日 22時53分01秒 | 芝居
国立劇場に歌舞伎を見に行ってきました。
今月は吉右衛門で、忠臣蔵外伝みたいなお話を3本。

全体としてテーマがある企画である点、結構ニンにあった配役である部分が多かった点などなどから、2013年の締めくくりに見る芝居として満足しました。

「主税と右衛門七」

歌昇、米吉、隼人の若手ががんばる、お芝居です。
新作歌舞伎の分類にはいるもので、討ち入り前夜の葛藤を描いています。
15歳、17歳で討ち入りに参加する子たちが、淡い恋心をいだいたり、この世の中に未練があったり、そういう人間らしい姿が見られます。
そういう点で、若手の子たちのがんばりがほほえましくて、役にはまっているように思いました。
歌六が、大石でしっかりしめてるし。
歌六は、最後の幕でも、踊りで定九郎もしてるんだけれど、大石のがそりゃ、ニンです。

「弥作の鎌腹」

これは、初代吉右衛門の得意のお芝居で秀山十種にもなっているものです。
おそらく、初代が亡くなってからはやられてなかったんじゃないかなぁ?
この吉右衛門のお芝居がよかった。
いやぁ、これは難しいお芝居で・・・。
人のいい農民の弥作は、6段目で有名な千崎弥五郎で、弟の討ち入りの決意を聞いて、弟のために、主人を殺し、自分も自害する。
なんだか深刻だけれど、弥作自信が人のいい小市民な感じで、笑いの中で悲惨な最期という、難しいもっていきかたなのです。
切腹の作法を守ろうとして、大根を「しきみ」がわりにしたり、おなかをさすことができなくて、はずみをつけて鎌をおなかにつきさしたり。
そのいちいちがおもしろいけど、でも、最後には観客を泣かせるんだなぁ。
「佐倉義民伝」におもしろさを加えた感じでしょうか。

お話自体は後味が悪いし、なかなかやられなかったのはよくわかりました。
やってくれてよかった。見られてよかった。

「忠臣蔵形容画合」

黙阿弥が作った作品のようです。
忠臣蔵の7段目までを踊りで再現したものなのだけれど、ところどころ後日談的な話も入り、おもしろい。
黙阿弥のしゃれっ気というか、江戸の人のしゃれってのを味わえます。
が・・・現代の人は、もとの忠臣蔵の話をしっかりは知らない人が多いので、どれほどしゃれっ気がわかるのか?そこが難しいところ。
大序から、三人上戸の清元の踊りになるとか。
二つ玉の場面で、イノシシが殺された親父の亡霊として出てきたり。
6段目は、もう勘平さんが死んだあとの話で、おっかさんが近所の人に、盆踊りを教えていて、最後は目をまわして勘平のような形で死ぬとか。
あぁ、これあそこのパロディーだぁって思いながら楽しむ踊りのようです。

7段目で、ちょこっとだけ吉右衛門が大星として出てくるんだけれど、これが本役の大星という感じで、大きくて、ほんの少しの出番でも、お芝居がしまるように感じました

ちょっと長い気はしつつ、場面場面は楽しい踊りに仕上がっていたようです。

そういえば、「弥作の鎌腹」でも、最後弥作が鉄砲で主人を殺すんだけど、そこの三味線は二つ玉の場面と同じだったり。
踊りも含めてところどころにそういう楽しさがありました。

吉右衛門の「弥作の鎌腹」だけでもいいお芝居です。
ちょっと空いているような気がしてもったいないなぁ。