昨日の万葉集の講座、またまた、いいお話がいっぱいでした。
昨日、ここに書いた、秋の香りは、なんの香りだったか。
巻十2233
高松の この峰も狭に 笠立てて
満ち盛りたる 秋の香の良さ
高松は、高円(たかまど)のことのようです。
平城京東郊、春日の南に続く地域。
その山の頂も狭いほどに、一面に笠をたてているのは、
茸(きのこ)なんですね。
その香りが、良いなぁ、と。
これは、マツタケのことと考えていいようです。
今は、珍しいマツタケも、当時は、頂一面に生えたりしてたんですね。
京都、高雄では、昭和28年でも、足の踏み場もないほど、
マツタケが生えていたそうです。
それが、2~3年後には、すっかり消えた、と。
万葉集で、茸を詠んだのは、この歌だけだそうです。
「芳(か)を詠む」の芳は、茸の誤字ではないかという説も。
芳を、なぜ「か」と読めるかというと、
香具山のことを、芳具山と表記している場合もあるので、
芳は、「か」と読んで、いいだろう、と。
確か、
万葉集に、香り、を詠んだものは、
少ないんじゃなかったかなと思います。
「匂う」ってよくでてきますが、
あれは、美しい色で映える、というような意味。
平安時代になってから、臭覚に関する意義をあわせもつようになる、と。
マツタケの香りを、良いと感じる感覚は、世界共通ではないようで、
ヨーロッパのほうでは、そうは感じないとか。
香りを、言葉で表現するのは、また、いろいろなイメージも、
必要かもしれませんね。
ソムリエがワインの香りを表現するときに、
雨に塗れた子犬のような、とか、言うそうですね。
すごいイメージです。
香りや匂いは、ふっとそれを嗅いだだけで、すぐに、
いろんな記憶が鮮明によみがえったりすることがあります。
臭覚は、動物の感覚の中でも、
だいぶ古くから備わってるものかもしれませんから、
ぐっと、奥深いような感じがします。
昨日は、万葉のころの旅の話や、万葉人と自然との関係など、
面白いところが、いっぱいで、今思い出しても、
きゅんとするわけですが、書ききれないので、
また、後日に。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
昨日、ここに書いた、秋の香りは、なんの香りだったか。
巻十2233
高松の この峰も狭に 笠立てて
満ち盛りたる 秋の香の良さ
高松は、高円(たかまど)のことのようです。
平城京東郊、春日の南に続く地域。
その山の頂も狭いほどに、一面に笠をたてているのは、
茸(きのこ)なんですね。
その香りが、良いなぁ、と。
これは、マツタケのことと考えていいようです。
今は、珍しいマツタケも、当時は、頂一面に生えたりしてたんですね。
京都、高雄では、昭和28年でも、足の踏み場もないほど、
マツタケが生えていたそうです。
それが、2~3年後には、すっかり消えた、と。
万葉集で、茸を詠んだのは、この歌だけだそうです。
「芳(か)を詠む」の芳は、茸の誤字ではないかという説も。
芳を、なぜ「か」と読めるかというと、
香具山のことを、芳具山と表記している場合もあるので、
芳は、「か」と読んで、いいだろう、と。
確か、
万葉集に、香り、を詠んだものは、
少ないんじゃなかったかなと思います。
「匂う」ってよくでてきますが、
あれは、美しい色で映える、というような意味。
平安時代になってから、臭覚に関する意義をあわせもつようになる、と。
マツタケの香りを、良いと感じる感覚は、世界共通ではないようで、
ヨーロッパのほうでは、そうは感じないとか。
香りを、言葉で表現するのは、また、いろいろなイメージも、
必要かもしれませんね。
ソムリエがワインの香りを表現するときに、
雨に塗れた子犬のような、とか、言うそうですね。
すごいイメージです。
香りや匂いは、ふっとそれを嗅いだだけで、すぐに、
いろんな記憶が鮮明によみがえったりすることがあります。
臭覚は、動物の感覚の中でも、
だいぶ古くから備わってるものかもしれませんから、
ぐっと、奥深いような感じがします。
昨日は、万葉のころの旅の話や、万葉人と自然との関係など、
面白いところが、いっぱいで、今思い出しても、
きゅんとするわけですが、書ききれないので、
また、後日に。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司