姫りんごさん、BE-MODERN「次の汽車に乗って」、よく覚えてます。
「汽車」って言葉が、そのころは、一回りして新鮮でした。
僕らの田舎は、電車でしたから、もう、汽車っていうと蒸気機関車みたいな気がして、
天坂くんに、そんなことを言ったような覚えがあります。
すると、北海道は、汽車なんだ、と。
詳しくないんですが、ディーゼル機関車とか、そういうタイプの汽車だったんですね。
僕は、今でも「汽車」と聞くと、天坂くんの言葉を思い出します。
そのずっと後、キッズ・アライブという、やはり北海道出身のバンドの詞を、
少し手伝ったとき、やはり「汽車」というのが出てきて、懐かしかったことです。
松本隆さんなんかは、「路面電車」を70年代にロックにのせましたが、
80年代のロックやポップスでは、「地下鉄」とか「列車」っていうのは出ても、
「電車」っていう言葉をのせるのは、まだ難しかったかもしれません。
90年代以降になって、やっと、僕なども、
自分の歌や、嵐の「台風ジェネレーション」(2000年)などで、
積極的に、使えるようになった気がします。
キャメルさん、よしもとばななさんの本に、僕、2回ぐらい登場したような気がします。一つは、よしもとさんのお友達がThe東南西北のファンになったお話。
もう一つは、よしもとさんの夢に出てきて、一緒にそば屋に入る、みたいなお話。
こんな経験なかなかできないですよね。嬉しいことです。
candyさん、「やさいい悪魔」の歌詞の部分など、
「スーちゃん」が真ん中になったりして、嬉しい演出もあった歌でしたね。
そんな久保田洋司、
昨日は、武蔵小山アゲインに、伊藤銀次さんの「話し出したら止まらナイト」を、
見にいきまして、感動したのでした。
銀次さんのお話は、いつも面白いのは知っていましたし、
また、駄洒落も沢山でるのかな、と思ったりもしながら、行ったのですが、
駄洒落は、いっさいありませんでしたよ。
アメリカの、ラヴィン・スプーンフルと、イギリスのビートルズの音楽のルーツが、
同じものであるあたりのお話、とっても興味深いものでした。
ジャグがイギリスに渡ってスキッフルになり、1950年代、
イギリスの若者たちのあいだでスキッフルが大流行、その中にジョンやポールもいた、と。
僕なども、1920~30年代のブルース近辺の音楽が、大好きですから、
かつての若者たちに、あらためて親近感おぼえました。
ビートルズが登場してからは、アメリカの若者たちもその影響を受けたような、出て来方をするわけですが、スプーンフルは、同じルーツを持ちながら、ビートルズには、影響を受けない形で独自の音楽を作っていってた、その似た部分と違う部分というのか、こういう話、聞きたい人、世界中に、いっぱいいるのに、今、ここで、僕たちだけがだいぶディープに聞けている、という幸せ。
話は、どんどんわき道にそれたりもして、
銀次さんが昔体験した、日本のロックの歴史的に重要な出来事のお話も次々。
それら全てが貴重で、とっても楽しい、素晴しいトークライブでした。
スプーンフルの、メンバーが出会った辺りで今回は時間切れ。
そこまでの話が、本当に奥深かったわけです。
次回、そのサウンドの秘密に迫る、と。
楽しみですね。
長くなりました。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
「汽車」って言葉が、そのころは、一回りして新鮮でした。
僕らの田舎は、電車でしたから、もう、汽車っていうと蒸気機関車みたいな気がして、
天坂くんに、そんなことを言ったような覚えがあります。
すると、北海道は、汽車なんだ、と。
詳しくないんですが、ディーゼル機関車とか、そういうタイプの汽車だったんですね。
僕は、今でも「汽車」と聞くと、天坂くんの言葉を思い出します。
そのずっと後、キッズ・アライブという、やはり北海道出身のバンドの詞を、
少し手伝ったとき、やはり「汽車」というのが出てきて、懐かしかったことです。
松本隆さんなんかは、「路面電車」を70年代にロックにのせましたが、
80年代のロックやポップスでは、「地下鉄」とか「列車」っていうのは出ても、
「電車」っていう言葉をのせるのは、まだ難しかったかもしれません。
90年代以降になって、やっと、僕なども、
自分の歌や、嵐の「台風ジェネレーション」(2000年)などで、
積極的に、使えるようになった気がします。
キャメルさん、よしもとばななさんの本に、僕、2回ぐらい登場したような気がします。一つは、よしもとさんのお友達がThe東南西北のファンになったお話。
もう一つは、よしもとさんの夢に出てきて、一緒にそば屋に入る、みたいなお話。
こんな経験なかなかできないですよね。嬉しいことです。
candyさん、「やさいい悪魔」の歌詞の部分など、
「スーちゃん」が真ん中になったりして、嬉しい演出もあった歌でしたね。
そんな久保田洋司、
昨日は、武蔵小山アゲインに、伊藤銀次さんの「話し出したら止まらナイト」を、
見にいきまして、感動したのでした。
銀次さんのお話は、いつも面白いのは知っていましたし、
また、駄洒落も沢山でるのかな、と思ったりもしながら、行ったのですが、
駄洒落は、いっさいありませんでしたよ。
アメリカの、ラヴィン・スプーンフルと、イギリスのビートルズの音楽のルーツが、
同じものであるあたりのお話、とっても興味深いものでした。
ジャグがイギリスに渡ってスキッフルになり、1950年代、
イギリスの若者たちのあいだでスキッフルが大流行、その中にジョンやポールもいた、と。
僕なども、1920~30年代のブルース近辺の音楽が、大好きですから、
かつての若者たちに、あらためて親近感おぼえました。
ビートルズが登場してからは、アメリカの若者たちもその影響を受けたような、出て来方をするわけですが、スプーンフルは、同じルーツを持ちながら、ビートルズには、影響を受けない形で独自の音楽を作っていってた、その似た部分と違う部分というのか、こういう話、聞きたい人、世界中に、いっぱいいるのに、今、ここで、僕たちだけがだいぶディープに聞けている、という幸せ。
話は、どんどんわき道にそれたりもして、
銀次さんが昔体験した、日本のロックの歴史的に重要な出来事のお話も次々。
それら全てが貴重で、とっても楽しい、素晴しいトークライブでした。
スプーンフルの、メンバーが出会った辺りで今回は時間切れ。
そこまでの話が、本当に奥深かったわけです。
次回、そのサウンドの秘密に迫る、と。
楽しみですね。
長くなりました。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司