いーちんたん

北京ときどき歴史随筆

蔚県5、本殿の扁額

2012年04月05日 06時50分40秒 | 河北・蔚県と暖泉
本殿に上がる。

   





かつては数々の名士の扁額により飾られていたというが、戦乱のためにほとんどが失われた。


正面にかかる「玉皇閣」の額は、
1983年、当時、最高人民検察院の副検察長を勤める張蘇氏が、故郷に帰った際に書いたものという。





1991年、県の政治委員会は、県政府とともに、玉皇閣の扁林を復活させた。
そのために特別に県内外から有名な書道家に請い、扁額、対聯を掲げたものという。

ここは国ー民党との内戦でも激戦区になったところだという。
すべての扁額が改革解放後のものであるというのは、
その時の戦争でそれ以前の扁額がすべて失われたからだろう。

しかし現代でも著名な書道家や地元の名士に一筆お願いするっちゅうんは、
なんか伝統の歴史の長さが感じられて、かっちょええなああ。




規格どおりの東の鐘楼と、


   

西の鼓楼。



両側の石碑群は、明・清の2王朝に渡る修繕を記念したものだという。
合計7本あり、明の万暦年間のもの以外は、すべて清代のものである。

    




本殿の中。

   

祭られているのは、[日+天]天Haotian。雷神さまだという。
モンゴルが攻めてくる北に据えて、敵を駆逐してくれ、という願いがこもっている。


何の障害物もない草原でモンゴル人が雷を特に恐れるのは、もちろんである。
それと関係あるのだろう。




左右の明代の壁画。オリジナルが無造作に見られるのは、すばらしい。
北京に残る明代の壁画といえば、西の法海寺のものが有名だが、レプリカをつくり、本物は一般公開しないようにするという話を聞いた。

それくらい北京では、明代ものの壁画は貴重なもの。
ここでは、惜しみなくあちこちで露出させている。

さすが長城前線。明代の文物が豊富でっす。




本殿の境内の西にある扉から下へ降りると、裏の城壁へ続く階段がある。

   


玉皇閣は城壁の上に立つ。






階段を下に振り返る。はるか向こうに鼓楼が見える。



   


裏側。
 
   


横から見ると、城壁が連なる。

    

城壁の北側は川になっている。
下の地図を見ると、どうやら城壁の外のお堀の川のようですな。

私のイメージでは、お堀の川というのは、城壁の真下に隙間なく掘られるものだと思っていたので、
お堀と城壁の間にかなりの空き地があるちゅうのは、不思議な気がする。




この地図を見ると、今の市街地の中でも、旧城内の輪郭がなんとなくわかる。
城壁がなくてもお堀の川が残っているところもある。

我々が今いるのは、地図の一番上の部分。城壁がもっとも残っているところである。


あれれ? 本殿の東側にずーっと城壁が広がっている??
私は玉皇閣にくるのは2回目なのだが、2-3年前にきたときは、東西対象で横の城壁とはつながっていなかったはず。

     



新たに工事した部分!





城壁をつなげている! おみごと!





さて。

みごとな新しい城壁工事も見て、出てきましたー。
門前には、さんざし飴売りがいましたー。

この売りスタイルもこの数年で北京からは姿を消しましたな。
埃と砂をかぶりまくった商品をだんだん消費者がいやがるようになってきたのですな。

最近は、ガラスケースに入れられて店先で売られるか、鉄板を用意し、
スーパーなどの入り口でその場であめにつけてくれるか。

    


砂だらけで自分が食べたいとは思わないけど、10年前スタイルに出会うのは、やはりノスタルジー。

    


玉皇閣の横は、尉州第二中学校の敷地でした。
フェンスごしにわんぱく中学生の男子らが、
「日本人だー!」、「コニチワ」と話しかけてきてかわいかった。




カメラを向けると、「うわー! 写真!」といって逃げる逃げる。









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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
非常に興味深いです (~弥勒~)
2012-05-04 09:10:55
ここが出てくるのを待っておりました。

鐘は日本のものと違いますね。すそが付いてます。鐘楼の鐘は中国ではこの形なのですか?

鼓楼の鼓はどんなものなのでしょうか?
もうちょいとその部分は見られませんか?

扁額、いいですね。
対聯は見れませんが、どこかにあるのですか?

脇に石碑がありますね。碑文も書かれているようで。これは昔の書家が書いたものですか?碑文の部分を見たいです。

それから、玉皇閣の中は次に案内していただけるものと期待しています。

他の、門の上の建物の中、楼閣の建物の中も知りたいと思います。というのは中国の映画、TVなどでたとへば軍議の部屋、城門の上の建物など、部分的には見るのですがミクロがばらばらに出てくるのでどこの建物の中がどのようになっているのかが判らないのです。

できましたら、地図で昔の城郭はどうであったのかも書いていただければうれしいのです。

それから、門番さんの家、部屋に「床・しょう」が1個あるだけのようですね。それで二人くらしですか? 江戸時代の江戸の長屋の一部屋(九尺二間(くしゃくにけん)といいます(四畳半の部屋と一畳半の土間))みたいです。今でも田舎では末端の人はこのような部屋に住んでいるのですか?
返信する
Unknown (yichintang)
2012-05-04 16:29:53
鐘は日本のものと違いますね。すそが付いてます。鐘楼の鐘は中国ではこの形なのですか?

>鼓楼の鼓はどんなものなのでしょうか?
もうちょいとその部分は見られませんか?

残念ながら、近い写真はないみたいですー。
今後こういう様式のお寺に行くことがあれば、近くでアップを撮ってきますねー。

>扁額、いいですね。
対聯は見れませんが、どこかにあるのですか?

そういえば、ここは対聯ないですねー。
普通は建物正面の両端の柱なんかに打ち付けてあるものなのですが。

>脇に石碑がありますね。碑文も書かれているようで。これは昔の書家が書いたものですか?碑文の部分を見たいです。

次回で簡単に紹介しますが、修繕の記念のために書かれた、明代、清代のそれぞれの石碑です。
普通は「誰誰・撰」と、文章を草稿した人と、「誰誰・書」と字を書いた人の名前が載っていますが。。。
残念ながら、アップは撮っていません。
大抵は、両方ともその時の地方長官やそれに近い位置の人です。

>それから、玉皇閣の中は次に案内していただけるものと期待しています。

次回で、簡単に・・・・。

中国では、ご本尊を文革で溶解炉にぶち込んでしまって、ご本尊が元々なかったところが多いです。
改革解放後に間に合わせで作られたはりぼて、ギンギラのけばけばしいご本尊は、あまり撮っても意味がないので、無視することが多いのですが。。。

>他の、門の上の建物の中、楼閣の建物の中も知りたいと思います。というのは中国の映画、TVなどでたとへば軍議の部屋、城門の上の建物など、部分的には見るのですがミクロがばらばらに出てくるのでどこの建物の中がどのようになっているのかが判らないのです。

残念ながら、中の構造は撮っていませんー。
また次回は、撮るようにしますねー。

>できましたら、地図で昔の城郭はどうであったのかも書いていただければうれしいのです。

おお。これは城壁の写真が出てきたところで、載せたいと思っています。お待ちくださいー。

>それから、門番さんの家、部屋に「床・しょう」が1個あるだけのようですね。それで二人くらしですか? 江戸時代の江戸の長屋の一部屋(九尺二間(くしゃくにけん)といいます(四畳半の部屋と一畳半の土間))みたいです。今でも田舎では末端の人はこのような部屋に住んでいるのですか?

確かに2人で寝るには、かなり小さいですよね??

でもこちらの人のダブルベッドは、概して小さい。
私なんか、皆よくこんなベッドで2人寝るなあ、と感心することが多いです。
そういう意味でも、仲いいやんか!! と思ってしまうわけです。

彼らはお寺の門番という職業上、こういうこじんまりしたところに暮らしていますが、
田舎の人は、概して広々とした家に住んでいるものです。

一番狭いのは、都会の下層の人たちか、出稼ぎの人でしょうね。
出稼ぎの人は、二段ベッドをところ狭しと押し込んだアパートなどで暮らしています。

返信する
Unknown (Unknown)
2012-05-04 18:00:29
>今後こういう様式のお寺に行くことがあれば、近くでアップを撮ってきますねー。
お願いします。
>本尊
え?この建物は情趣が軍議をしたり、指令を出したりする軍事施設ではないのですか?それを寺に準用したのでしょうか?
寺とすれば、仏教ですか、道教ですか?

>また次回は、撮るようにしますねー。
お願いします。

>お待ちくださいー
待ってま~す。

>ダブルベッドは、概して小さい。
これ、ダブルベッドですか。「床」ではないのですね。「床」は今は使っていませんか?

そのほか御回答ありがとうございます。
返信する
弥勒さんへ (yichintang)
2012-05-05 01:20:14
「床」の意味が、いまいちわかりません。
これは、小さめのダブルベッドです。
返信する
 (~弥勒~)
2012-05-05 09:25:10
昔中国では板の間に直接座りませんね。
大体が椅子に座り、居間では奥に、寝たり、座ったり、横になったりする大型のベッドのようなものがあります。
高貴な女性は薄い布で囲っています。
これを「床・しょう」と日本ではよんでいるのですが。
返信する
Unknown (yichintang)
2012-05-05 13:41:17
現代中国語で、「床」は直接、ベッドのことを指すのですが。。。

その辺りの歴史のことは、私にもよくわかりません。
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