後、数年で戦後70年。この間、敗亡した日本に突如入ってきた「自由主義」と「民主主義」の声に幻惑されて、この二つの言葉の意味を履き違え、陶酔しつつあるところへ、浮かれた政治家が、「所得倍増・高度成長」を声高に叫んで「大衆」を甘やかしてしまった。その後の日本がどうなったかは誰の目にも明らかであろう。言わずと知れた「効率主義」と「拝金主義」に追随する社会だ。と同時に、教育の荒廃のプロセス。これは直接目に見えないだけに恐ろしい。しかし、文部省・文部科学省の教育論の変節は目に余る。教育施設のランク付けによる若者たちの選別。「と同時に」と言ったのは、この選別が効率主義と拝金主義と一連を成しているからである。近頃というか、時代ごとに、有識者と認められていると自負している学者や文化人がこの「一連」を担いでいるのは由々しき事態だと思う。その結果、極端な場合には意図不明の殺人行為が起こったりする。そんな極端な場合の背景を見極めねばならない。この背景にはこの「一連」があることは確かなことだと思う。
この「一連」に電力会社の傲慢に気づかなかった源がある。
この「一連」に加わろうとしない若い人たちに未来を託すほかはないようにも思われる。が、この「一連」の自縄自縛は思いのほか強い。
朝からの豪雨で狂って柄にも無く苦言を弄してしまった。現実には、苦々しく思っている人が多く居ることは承知しているのだけれど。いかんせん、大勢として時代の潮流には逆らえないのかも知れない。流れに竿さす勇敢な人々が多く現れることを・・・。
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