思いがけず・・・

　前から顔と名前は知っているのだが、殆ど会話したことのない人から声をかけられた。「最近はゆっくり音楽を聴く雰囲気ではありませんね。」文字で書くと、この発話の妙味が出ないのだが、東北弁が抜け切らず、独特のイントネーションの発話である。「ああ、そうですね。最近はまあそうですね。でもね、寝る前には毎晩聴いてるんですよ。」と僕。この人、僕が音楽好きだということを知っているんだ。何処から洩れたんだろう。「何をお聴きで・・・」「何と言うか波がありましてね、この頃はバッハです。シャコンヌです。」「誰の演奏で・・・」「ギドン・クレーメルで。」「クレーメルですか。」「ええ、クレーメルです。」「クレーメルはいいですか。」「ええ、いいですね。」「どのあたりが。」「はあ、それは話すと長くなりますが・・・。」問い詰められてお茶を濁した。
　朴訥な話し方と眼鏡越しの優しい目が印象的であった。思いがけず心が和んだ。時代に迎合せざるを得ない風潮が漂い、ちょっと大袈裟に言うと殺伐とした世間で、こんな会話ができるとは思わなかった。囲碁大会で４連敗した今日の収穫である。この東北弁をまた聞くこともあるだろうか。