自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

思い出の記――草を結ぶ

2010年01月13日 | Weblog
 僕の幼少時代の体験談を一つします。今と違って、田圃や畑への農道とか山へ入る道とかには草がノビノビと生えていた。その道をリヤカーとか大八車とかが通るものだから、ワダチの跡が残り、その二つの跡の両側に草が生えていた。悪ガキたちは、その道の草を両側から結んだ。僕も悪ガキだった、言うまでもなく。なぜ草を結ぶかというと、結ばれているとは知らない人が足をひっかけ躓くのを見るためだった。厳然たるイタズラである。
 ところで、「草を結ぶ」という言葉は辞書に載っている。その意味は「恩に報いる」という程のもの。大昔、晉と秦の戦いの時、娘の命を救ってくれた恩返しに、父親の霊魂が草を結んで敵を躓かせ、恩人を助けたという中国の故事から「恩に報いる」という意味が出て来たそうだ。
 勿論こんな故事は知らなかったが、少年の頃のイタズラの由来が遠大な教養につながっているのではないかと連想し、楽しくなった。無論、イタズラが教養だとは言いたくても言わない。
 学校や塾での勉強に費用が要るように、自然の中で学ぶ(遊ぶ)にも或る程度の「危険」という費用を払った方がいいと思う。僕の幼少時代の「危険」は、こっぴどく叱られることだった。イタズラをしたのだから叱られるのは当然である。チャンバラごっこで痛い目にあう「危険」も当然である。
 思うに、近頃の子供たちは、こういう類の他愛も無い(?)イタズラを知らないし、しないのではないか。体験するチャンスが極めて少ないのではないか。転んだ時の痛みも、自分の責任で叱られた時の心痛も体験するチャンスが極めて少ないのではないか。そんな子供たちが大人になって、云々と、僕にはそう思えるのだが。
 全国各地の農道が舗装されてしまった事にも問題がある。

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