近頃、放射能で汚染されているかどうかで稲作と新米が話題になっている。消費者は新米を敬遠して古米を買う傾向にあるとか。特に幼児のいる家庭は敏感になっておられる。それは理解できる。が、僕なぞは気にしていない。折角育てた米が流通しないとなった農家の苦悩が推察される。
史説によると、日本人の食生活は、縄文時代までは自然物雑食時代といわれ、主食、副食の区別はなかったが、やがて稲作が始まり、ここで初めて主食と副食が区別されだした。主食は米であり、他の動植物性食品は、どれだけ摂取量が多くても、それは副食という考え方が弥生時代には定着したそうだ。
古墳時代から飛鳥・奈良時代と時代が下がると、米は献納品として貴重なものとなり、常食できる階層は減っていった。一般庶民が米を常食できるようになるのは、ごく最近になってからである。柳田国男によると、畑作地帯や山間では米を常食とせず、水田地帯でも米飯を毎日食べたわけではなく、明治二十年代の調査では、米の主食としての消費量は、全主食の五割ほどだった。
米飯が国民の主食となったのは、太平洋戦争後もかなり経ってからで、室町・江戸時代の庶民にとって、米は主食ではあったが、町に住む裕福な人以外に常食とした人は少なかった。米、麦、稗、粟、里芋、薩摩芋などの混食が主食だった。
日本人は二千年来、主穀生産の中心に水稲耕作をすえてきた。水稲は日本の気候風土に適し、他の穀物に比べ、単位面積当たりの収穫量が多く、連作もよく、多くの人口を養え、栄養価が高く、本来は副食をあまり要しない。少し極端に言えば「ご飯に味噌汁、漬物」だけで健康を維持できる。そんな訳で、日本の農村は米作りさえ満足にできれば、自給自足してきたものと見られる。だが、米作りに精を出す農民が、ご飯をいただく機会は稀であった。
明日は広島原爆忌。原爆投下の後も稲作農家は立ち直った。今年、日本を覆う放射能汚染と風評被害からも必ずや道は開ける。