谷沢健一のニューアマチュアリズム

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関東クラブ混成軍vs湘南シーレックス(その3)

2007-03-06 | YBC前進
 試合開始直前に、今回尽力してくれた山中球団専務が姿を見せてくれた。しばらく、プロアマの話題に終始して情報交換した。「途中で失礼するけど、頑張ってくれ」と激励をうけてまもなく、試合がはじまった。
 試合の模様はホームページに掲載されているので割愛するが、選手たちには簡単な攻撃サインだけを指示し、走れる人は自分の判断で積極的にアピールしろと促した。三塁コーチを中村氏に、一塁コーチを谷田部氏にお願いした。
 選手は18歳から36歳まで様々であるが、試合前から緊張感が漂っていたので、私はつとめて冗談を言いながら和やかな雰囲気を作るようにしたつもりである。チームメンバーの人選の際に、出場選手2名以外でも、試合に出場できないかも知れないのを承知でベンチ入りしたい選手たちを選出してくれても結構(プロとの試合の雰囲気だけでも経験するのはプラスだろうから)だという旨を各チームに伝達していたが、ベンチ入りの選手たち23名は一体感を持って臨んでいて、その意気込みがヒシヒシと伝わってきた。オールスターゲームの監督の心境で、全員をどううまく起用するか、選手各自がそれぞれ大きなプラスになるような起用をいつどこでするか、予想以上に難しいことだとよくわかった。
 やはり、難所は投手起用である。しかし、全足利の吉澤コーチに大いに助けられた。ブルペンからベンチへじつにタイミング良くやって来て、7人の投手起用をこなしてくれた。残念だったのは、大島君、四日市君にもう少し投げさせてやりたかったこと、杉本君が守備陣のミスで実力を発揮できなかったことなどである。良い感触を残して次の投手にバトンを渡すことができた者とそうでなかった者に分かれたのは、勝負事の必然だろう。
 反省点は、我がYBCの選手に多くあった。木藤、ホソバヤル両投手は本来の力も発揮できず降板したが、これを次へのステップに繋げてくれるだろう。また、終盤に大量失点のきっかけを作ってしまった渡辺君の失策も、彼に今後の練習課題のポイントをわからせてくれたはずだ。
 暖かすぎるほどの気候でお客さんもたくさん応援してくれた。ありがたいことである。さらには、試合出場のできなかったYBCの選手たちが打撃投手やブルペン捕手、バットボーイやファールボール拾いと、裏方に徹してくれたことに感謝したい。試合終了後に、各チームの監督さん、スタッフ、選手と挨拶を交わしたが、真摯な素晴らしい選手たちには深くお礼を言いたい気持ちである。
 もう一度、秋にこのような機会を設けたいし、今度は別の監督の方に采配をとっていただきたいと思う。私と加藤副部長とは、企画の段階から「選手たちの喜ぶ姿が目に浮かぶね」とくりかえし言い合っていたが、そういう選手たちが喜ぶようなプランが際限なく浮かんでくるのが、これまた「厄介」である。
 花粉症対策ですぐにも帰宅しなければならない川島理事、家庭サービスのためこれまた帰宅を急ぐ小松主務、理由は不明だが帰宅するという椿本主務、この3人を除く4人は夜やや遅く、私の自宅近くの中華料理店で反省会を行った。上村コーチの薦め上手もあって、私はいつもより多くビールを喉に流した。ほんとうに心地よい1日だった。

関東クラブ混成軍vs湘南シーレックス(その2)

2007-03-06 | YBC前進
 先発オーダーを発表し、久保田コーチが打撃練習の組分けをしたところへ、八馬マネからお呼び出しが来た。「グランドで田代二軍監督がお待ちです」。
 グランドへ出ると、打撃ゲージのところから駆け寄ってきたのは、おばQ(現役時代の愛称)こと田代氏である。キャンプで真っ黒に日焼けした顔に白いものの混じる無精髭が光っていた。「この時期は選手の数も少ないので、DHの選手が守備についたりしますのでよろしく」と特別ルールの念を押された。コーチ陣の顔も次々と目に入った。波留コーチ、秋元バッテリーコーチ、井上純コーチ、そして最も懐かしい高木由一打撃兼育成コーチがやってきた。
 「お陰様で今日は選手たちが本当に喜んでいるよ。高木君は軟式野球から入団したんだよね」「いえ、皆さんからそのように言われますが、実は硬式なんですよ。淵野辺高校という10人足らずの野球部でお山の大将(投手で4番)でした。相模原市役所の公務員になって野球をやっていましたが、刺激がなくて……。3年ほど経って、友人に誘われて冷やかし半分で大洋球団のテストを受けたんですよ。川崎球場は狭いでしょう。スタンドにポンポン放り込んだら、青田昇コーチの目に留まったんですね。あれから36年も経ちました。クラブチームから、僕みたいのが出てくると嬉しいですけどね」。
 最後に元中日の中村武志コーチがブルペンからわざわざ走ってきた。プロは、やはりどの選手もスタッフも義理堅いし、礼儀正しい。
 関東クラブ混成軍も全員集まった。全員にこのゲームの意義や目的を話をした。「関東リーグ戦構想」は別にしても、プロから学ぶことが第一であり、混成チームの交流を図ることが第二だなどと話をして、小守スポーツマッサージ療院から来てもらった川北トレーナーをはじめスタッフも紹介した。そして、ウォーミングアップの開始である。
 外野のフェンス沿いを歩いていくとセンター後方で、横浜投手陣がダッシュを繰り返していた。その中から「こんちわ」とクリッとした大きな目の選手が挨拶してきた。巨人から移籍の工藤投手だった。彼は、私のユニフォーム姿を上から下まで「ほう」というような目でやや不思議そうに見るので、「似合わないですね」とかなんとか軽口を叩かれる前に、先手を打って冗談を言ってみた。
 「今日は投げてくれるのか」「そうしたいけれど、今日はノースローの日なんですよ。もし投げたら、クルーンみたくなりますよ。昨日、住金鹿島とやりましてね。クルーンは2回で40球ですよ。2人にぶつけました(死球)」冗談にしても恐い話である。
 三浦大輔投手が一緒に走っていた。彼の話を、私が久保田コーチと共に聞いていると、側を山崎?大輔君がキョロキョロしながら近づいてきて「工藤さんですよ!三浦さんですよ!信じられないですよ!!」と叫ぶ。そうだろう、ユニフォームを着て同じグランドにいるとは、同じ大輔とはいえ、山崎君のような高校生には夢みたいなことだろう。
 打者では鈴木尚、石井琢両選手が残留していた。打ち込みをする石井選手をしばらくゲージ横で見ていた。終えてから、「今日の試合に出てくれよ」と声をかけると、まるで真に受けたように「勘弁してくださいよ」と言うので、ついからかい半分に「下半身が開き気味だね。調整は今しばらく掛かるね」とわざと評論家顔して言うと、頭をかいていた。生真面目なのは変わらない。

関東クラブ混成軍vs湘南シーレックス(その1)

2007-03-06 | YBC前進

 クラブチーム6チームもの混成軍とプロとの試合は、たぶん日本野球史上初めてではないかと思う。それが実現した。
 3月4日の朝、京浜急行・安針塚駅から徒歩10分でベイスターズ球場に到着。既にシーレックスナインの声が響いてきた。チーム運営・業務専任部長の山口忠良氏がすぐに来られて挨拶。山口氏からは何度も電話をいただき、その細かい気配りは非常に有難かった。わざわざ「全員の昼食を用意しますよ」とさえ言ってくださったが、胸を借りるのだから、感謝をこめて丁重にお断りした。
 八馬マネージャーがスタッフルームに案内してくれ、「いよいよ今日がやってきたなー」とたっぷりの満足感といささかの不安感と緊張感がスクランブルした。
 ユニフォームに着替えていると、全府中の谷田部監督が入ってきて例の大声で自チームの選手たちの状態を話してくれる。出場必須メンバー2名という制限付きだったが、大挙して8名の推薦をしてきた全府中も、けっきょく体調の優れない選手もいて6名となった。
 そこへ、横浜金港の中村監督が見えられ、東(ひがし)遊撃手が昨日のゲームで怪我をして欠場するという。2日前に(個々の選手をあまり把握していないのを承知で)先発オーダーを決めていたが、やむなくYBCのセカンド・渡辺君を二塁からショートに回して(これがあとで試合を急変させる原因になった)、セカンドに全府中のベテラン西村君を起用することにした。
 先発バッテリーは全足利の大島-植松に決めていた。それを1週間ほど前に栗原監督にメールで頼むと、すぐに返答がきた。
「“25歳以下で予定どおりメニューが消化できている者”という私なりの選考基準を設けて選出し、2人は1月6日から予定通りのメニューを休むことなく消化しいる」とのことだった。栗原監督はなかなか茶目っ気もあって「先週末、2人ともこれまでの疲労の蓄積からか、股関節に違和感を訴えてきているが、『この試合に向けての調整か?』と私は見抜き、『痛いなら出場取消もできる』と言うと、あわてて2人は『大丈夫です!』としか言いません。どうぞお構いなく使ってください」と記されていた。
 また、「大島は体、特に下半身は十分できている。本来、投げ込みたい時期だが、この日のために調整しているようで、ブルペンでの投球数がまだ不十分なため、コントロール面がいまひとつだ。また、今シーズンは腕の位置を下げてややサイドスロー気味での投球を目指しており、フォーム自体もまだ不安定とはいえ、今の状態でも40球程度なら十分いけると思う。植松はリストが強く、タイムリーが打てる打者で、何より強肩が魅力で、課題であるリード面も今後経験を積めば信頼されるようになると思う」と、選手についての情報も懇切丁寧にいただいた。