夜9時半にミーティングの予定だったので、鍵山・西田氏らとは夜明けまで飲み明かしたかったが、鳴門へ急いだ。宿舎へ着くと上村コーチが玄関口で待っていた。川島理事兼コーチ(できたてのユニフォームは89番)もいて「選手だけで先にミーティングを開いている」と言う。選手たちは胸にどんなショックを抱えているだろうか?
ミーティングの最初に、私は「何がわかっていなかったのか」を強い口調で述べた。ゲームを初回から辿りながら、先発した木藤君の配球の悪さを指摘した。捕手・川村君の状況を把握できていないプレー、内外野中継プレーのミス、渡辺君のゲーム感の欠如と失策後の萎縮、投手陣の練習不足と過信などなど、反省点は多過ぎた。投手陣の建て直しが最大の急務である。
明け方まで雨が降っていたが、翌朝は晴れ間ものぞいてきて「徳島インディゴソックス」戦は実施できた。しかし、淡路島の方から吹き上げてくる風はやけに冷たかった。徳島ISの監督は、地元鳴門工出身で元広島投手の白石静生氏である。赤ヘル絶頂期(1975年頃)に貴重な左腕リリーバーとして活躍した。その白石氏が今年から徳島の采配を執る。
白石先輩に挨拶に伺うと真っ黒に日焼けした血色のよい顔で微笑みながら迎えてくれた。少年野球も指導しているらしく、子供たちの成績が気になる話をなさっているところであった。
白石監督「私なんかを引っ張り出してねー。営業からなんでもさせるんだから(微笑)。それをしないと成り立たんでね。徳島の選手たちは特定の練習場もなくて、四国のチームの中でも一番苦労していたかな。今年になってやっと目途が立ったよ」。
この試合も大敗であったが、香川の選手と同様に徳島の選手たちのハングリーな面(一途に打ち込んでいて遊び半分でない面)が伝わってきて、私は逆に嬉しかった。なぜなら、それがYBCの選手に何かを伝えると思うからである。
つくづく思う、四国ILとクラブチームは抱える問題点に共通するところが多々あり、無責任に面白がったり説教をたれる野次馬たちに耳を貸さずに、協力・協働する人たちとともに一歩一歩実践し、夢を自らの手で実現するしかないのだ、と。
ミーティングの最初に、私は「何がわかっていなかったのか」を強い口調で述べた。ゲームを初回から辿りながら、先発した木藤君の配球の悪さを指摘した。捕手・川村君の状況を把握できていないプレー、内外野中継プレーのミス、渡辺君のゲーム感の欠如と失策後の萎縮、投手陣の練習不足と過信などなど、反省点は多過ぎた。投手陣の建て直しが最大の急務である。
明け方まで雨が降っていたが、翌朝は晴れ間ものぞいてきて「徳島インディゴソックス」戦は実施できた。しかし、淡路島の方から吹き上げてくる風はやけに冷たかった。徳島ISの監督は、地元鳴門工出身で元広島投手の白石静生氏である。赤ヘル絶頂期(1975年頃)に貴重な左腕リリーバーとして活躍した。その白石氏が今年から徳島の采配を執る。
白石先輩に挨拶に伺うと真っ黒に日焼けした血色のよい顔で微笑みながら迎えてくれた。少年野球も指導しているらしく、子供たちの成績が気になる話をなさっているところであった。
白石監督「私なんかを引っ張り出してねー。営業からなんでもさせるんだから(微笑)。それをしないと成り立たんでね。徳島の選手たちは特定の練習場もなくて、四国のチームの中でも一番苦労していたかな。今年になってやっと目途が立ったよ」。
この試合も大敗であったが、香川の選手と同様に徳島の選手たちのハングリーな面(一途に打ち込んでいて遊び半分でない面)が伝わってきて、私は逆に嬉しかった。なぜなら、それがYBCの選手に何かを伝えると思うからである。
つくづく思う、四国ILとクラブチームは抱える問題点に共通するところが多々あり、無責任に面白がったり説教をたれる野次馬たちに耳を貸さずに、協力・協働する人たちとともに一歩一歩実践し、夢を自らの手で実現するしかないのだ、と。