谷沢健一のニューアマチュアリズム

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四国遠征と石毛氏辞任(その3)

2007-03-16 | YBC前進
 夜9時半にミーティングの予定だったので、鍵山・西田氏らとは夜明けまで飲み明かしたかったが、鳴門へ急いだ。宿舎へ着くと上村コーチが玄関口で待っていた。川島理事兼コーチ(できたてのユニフォームは89番)もいて「選手だけで先にミーティングを開いている」と言う。選手たちは胸にどんなショックを抱えているだろうか?
 ミーティングの最初に、私は「何がわかっていなかったのか」を強い口調で述べた。ゲームを初回から辿りながら、先発した木藤君の配球の悪さを指摘した。捕手・川村君の状況を把握できていないプレー、内外野中継プレーのミス、渡辺君のゲーム感の欠如と失策後の萎縮、投手陣の練習不足と過信などなど、反省点は多過ぎた。投手陣の建て直しが最大の急務である。
 明け方まで雨が降っていたが、翌朝は晴れ間ものぞいてきて「徳島インディゴソックス」戦は実施できた。しかし、淡路島の方から吹き上げてくる風はやけに冷たかった。徳島ISの監督は、地元鳴門工出身で元広島投手の白石静生氏である。赤ヘル絶頂期(1975年頃)に貴重な左腕リリーバーとして活躍した。その白石氏が今年から徳島の采配を執る。
 白石先輩に挨拶に伺うと真っ黒に日焼けした血色のよい顔で微笑みながら迎えてくれた。少年野球も指導しているらしく、子供たちの成績が気になる話をなさっているところであった。
 白石監督「私なんかを引っ張り出してねー。営業からなんでもさせるんだから(微笑)。それをしないと成り立たんでね。徳島の選手たちは特定の練習場もなくて、四国のチームの中でも一番苦労していたかな。今年になってやっと目途が立ったよ」。
 この試合も大敗であったが、香川の選手と同様に徳島の選手たちのハングリーな面(一途に打ち込んでいて遊び半分でない面)が伝わってきて、私は逆に嬉しかった。なぜなら、それがYBCの選手に何かを伝えると思うからである。
 つくづく思う、四国ILとクラブチームは抱える問題点に共通するところが多々あり、無責任に面白がったり説教をたれる野次馬たちに耳を貸さずに、協力・協働する人たちとともに一歩一歩実践し、夢を自らの手で実現するしかないのだ、と。

四国遠征と石毛氏辞任(その2)

2007-03-16 | YBC前進
 試合開始直前になると、慌しい雰囲気に三塁側は包まれた。この遠征に尽力してくれた四国ILの田口マーケティング部・広報担当が挨拶に見えたが、どこか顔色に精彩がない。2試合も組んでもらえたのは田口氏が各チームへ粘り強く交渉していただいたからにちがいない。丁重に礼を述べるだけでなく、現在の独立リーグの状況などお聞きしたいことが山ほどあったが、すぐにグランドから退出されてしまった。
 入れ替わるように見えたのが鍵山誠氏(四国IL専務)と香川OG代表・小崎貴紀氏だった。初対面だったが、鍵山氏は一目で男を惚れさせるような魅力ある方である。39歳と若く、野球が飯より好きでプロ野球人にもリスペクトを持ち続けている人物だった。言葉の端々にも表情にも野球少年のような純粋な面があった。四国IL創設時に石毛氏は、このような方々と意気投合してビジョンを描き使命感を増幅していったのだろう。
 ゲーム後、スタッフと選手たちはバスで徳島県鳴門市に向かったが、私と久保田君は予定されていた懇親の席に、鍵山氏の運転する車で高松市内に行くことになった。車内では鍵山氏とリーグ経営の話が尽きなかった。
 鍵山氏「新人選手の月給は一律10万円です。住居はリーグが用意します。アパートを借りて2,3人続同居させています。やっとプロへ選手を送り出せましたが、地域の皆さんとの交流が重要ですね。ILリーグを理解してもらうために私たちは四国中を回っています。2年間で赤字が4億円を超えてしまい、このままでは存続も危うくなってしまいます。石毛さんはコミッショナーと兼務でしたが、社長のほうを降りてもらいました。経営は私たちがやります。今年から北信越リーグが始まり、来年からは九州独立リーグが創設される予定です。その方面に行く選手も当然多くなるでしょう。四国は大スポンサーも不足しています。だからこそ地域の皆さんの応援なくして成り立たないのです。」
 懇親会まで時間もあったので、鍵山氏が経営するスポーツバーに行った。インターネットカフェやビリヤード、卓球、ダーツ、カラオケなどの複合アミューズメントスポットを四国全県で経営しているそうだ。
 懇親会には西田監督も加わって昔話やら人物評やら四国ILに携わる経緯など酒が入ると口も更に滑らかになった。私も西田氏と意気投合して強かった時代のカープの話に興じ始めると、それを聴く鍵山氏は今日から四国ILの社長となる責任の重さなどわすれたかのように、野球少年そのままの感じだった。
 鍵山社長「谷沢さん、いつでも四国に来てください。谷沢さんが四国に関わってくれたら嬉しいなー」
 私「逆に関東にも遠征にいらしてください。いつでも関東クラブ混成軍をつくってお待ちしていますよ」
香川OGとの試合はひどい惨敗だったが、「香川OGvs関東クラブ混成軍」という土産話は持って帰れるのだから、プランナーとしての私は不合格でないだろう。

四国遠征と石毛氏辞任(その1)

2007-03-16 | YBC前進
 四国アイランドリーグとの2戦は散々の結果に終わった。情けないくらいに投手陣は打ち込まれ、守備陣も防御できずにラグビースコアを刻んでしまった。誇りや自信などの失ったものは多く、得たものは少ないというのでは、さらに情けないから、各自、何かを得て欲しいと願っている。
 また、驚いたことに、当の四国ILの石毛宏典氏が社長を辞任したというニュースが試合中に入ってきた。とにかく、誕生間もない組織にはいろいろなことが起きる。しかし、それは空想や希望や思い込みが現実の中で試され、鍛えられて、事実が具体的に明かされていくことでもある。規模は違うが、YBCも自分自身の力量を見誤ってはならないと改めて思った。
 YBCナイン・総勢30人は早朝7時半に羽田のJALターミナルの南ウイングに集合した。年長の松村君が家族同伴で参加、森君の父親や渡辺君のご両親も、という具合に大所帯になった。
 私は別に指示したわけでもないが、選手たちはスーツにネクタイ姿だった。それに接して、規律正しい社会人として統制がとれていることに安心すると同時に、彼らの四国遠征への気持ちの高ぶりが感じられた。
 今日は空港に到着してから志度球場まで約1時間、13時が試合開始なのだが、こんなに長距離を移動して試合をするのは始めての経験であり、順応の早い選手はだれなのかと興味も湧いてくる。
 ネット裏に通されてすぐにガラス越しに私の目に入ったのは、西田真二氏(広島カープの名外野手)で、今年から香川オリーブガイナーズの監督を務めている。「谷沢さん、こんな遠い所へよくきてくれましたねー」。現役時代とほとんど変わらない体型と天性の明るいキャラの好人物が待ってくれていた。
 そしてコーチを務める加藤博人氏(ヤクルト-近鉄)と柳田聖人氏(ヤクルト-ダイエー)も挨拶にきてくれる。
西田監督「内から2人、育成選手でプロに入りました。あそこにいる27番(堂上捕手)もオリックスから誘いがあるんでよ。皆、目標はプロですけど、結果がでんへんヤツは即クビですわ。それは厳しいですよ。25歳までですね。見てやれるのは」。
 西田氏の言葉を食い入るような眼差しで聞いていたのは久保田、上村のコーチ陣と川島理事だった。
 50分の打撃練習の間に、丸亀市出身の武岡君のご家族が差し入れしてくれた軽食(ありあまるほどたっぷりの量だった!)を摂れたのはありがたかった。そのセットや荷物整理やあれこれと小まめにやってくれるのは、椿本マネ、橋本選手夫人(新婚!)、遠藤君の親しい親しい看護師さん(もちろん女性!)が万が一のことも考慮して点滴器具持参で参加してくれた。