谷沢健一のニューアマチュアリズム

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早稲田125とハンカチ王子(その3)

2007-03-10 | プロとアマ
 ブルペンの中央に入った斎藤君は、3,4歩進み出て上級生捕手に帽子をとってきっちりと挨拶した。捕手に緩いボールを投げ始めた彼を見て、基本動作はしっかりと出来ていると思った。
 捕手を立たせたままの投球が約30球、そして捕手へ座ってくれという合図をした。まず、ワインドアップからボールが投げ込まれた。軸足に沿って上げられた左足が上体と一緒に溜められた一瞬の間(タメ)がいい。体は大きくないが、投球バランスの要、パワーの蓄積がそのタメにある。
 全力投球に入って徐々に熱を帯びてくると、「いいボールだ!」と捕手の声が響く。また、逆にストレートに伸びのないと斎藤君にイラつく表情が浮かぶ。
 セットポジションになると、クイック投法はお手のもののようだ。斎藤君の真後ろの位置に移動して見ると、スライダーがまだコントロールされていないようだ。1球だけチェンジアップのようなボールを投げた。
 「今のは何だ」と訊くと「フォークです」と捕手が答えてくれる。応武監督は「昨日あたりから良くなってきました。私はアイツ(斎藤君)と心中ですよ」と言う。その言葉から、リーグ戦の初っ端からの起用があるぞと予感した。
 となれば、大半のマスコミが「六大学はプロよりも熱い!」と盛り上げるのは間違いないようだ。

早稲田125とハンカチ王子(その2)

2007-03-10 | プロとアマ
 ブルペンではA組のピッチングが始まっていた。応武監督がやってきた。「うちの経験者は須田と松下だけですからね」。今年は宮本・山本両君が日本ハムへ入団し、大谷君が社会人野球のトヨタへ進んだ。そのため、リーグ戦の登板経験のある投手が少ない。
 応武監督「法政が2枚、明治が4枚残ってますから春は苦しいと思いますよ。食い合い(混戦)になればチャンスもありますけどね」
 谷沢「1年生を使わざるを得ないね」
 応武監督「今の斎藤の状態では、他の投手たちが納得せんでしょう。むしろ、一浪して入ってきた福井(済美高)がいいですよ」
 確かに福井君のピッチングはストレートの伸びとスライダーの切れがよい。だが、同じコースにコントロールされず、高めに浮いてしまうことも多かった。1年間のブランクが影響しているのだろうか。
 斉藤君がブルペンに入ってくると、取材陣が多数集まってきた。平日なのでファンは少ないが、それでも厳戒な警備がなされており、応武監督も三浦主務もやや神経が過敏になっているようだった。
 主務は私にも「それ以上は入らないでください。他の報道関係者と同じようにしてください」と言う。私は今日はフジテレビなどの取材ではなく(学生投手のTV取材なら私でなく、池田氏や土橋氏らの仕事だろう)、大学に依頼された仕事で来ていることを説明した。投球練習など午前中のメニューが終われば、沖縄校友会の皆さんと一緒に陣中見舞(豚の丸焼き2頭)を贈り、激励するという小イベントを行わなければならない。それは、私の意志でなく、大学当局の指示なのだ。(私だって、明後日からのYBC四国遠征を控えているのに、その準備も疎かにして、母校早大のため、校友会のために東京から沖縄浦添に飛んできたのだ。)
 その連絡が主務に伝わっているのかいないのか、私の説明が耳に入るのか入らないのか、「OBでも入れないことになっています」と言い続ける。
 「大学の行事として頼まれているのを拒否するのは君の判断か?」と訊くと、主務曰く「私の判断でもあり監督の判断でもあります」
 「監督が大学の行事も拒否しろと言ったのか?」とさすがに腹に据えかねてやや強い口調で言うと、主務は「中に入れるのは野球部がお願いした広岡さんと徳武さんだけです」。
 良く言えば愚直、悪く言えば総長も監督以下と考えているらしい主務を尻目に(忙しくて言い争う暇はない!)、斎藤君のピッチングを「拝見」することにした。

早稲田125とハンカチ王子(その1)

2007-03-10 | プロとアマ
 3月8日に「早稲田125フェスティバルin沖縄」が行われた。早稲田大学当局に乞われて、イベントに参加した。これで、沖縄入りは今年4度目となるが、今回ほど忙しい旅はなかった。前日夕刻、那覇空港に到着すると、イベント幹事役の早稲田マン・白石武博カヌチャベイリゾート社長が出迎えてくれた。
 今年10月に早大は創立125周年を迎える。何故125なのか。創設者・大隈重信侯が人生125歳説を唱えたことに依っている。その拘(こだわ)りは、大隈講堂の高さ125尺にも表れている。私はその125周年の募金委員でもあるので、時には総長と、時には単独で、講演など各地の校友会開催行事に駆り出されている。
 今日の予定は、午前中は浦添。キャンプ中の早大野球部への訪問だ。沖縄校友会の皆さんと一緒に激励に行く。15時からは那覇市の前島小学校。地元小学生のために「早稲田in沖縄野球教室」を実施。18時から『今年は早稲田が熱い』というテーマで講演。少しは母校のためになっているつもりだが、はたして・・・
 さて、125周年という記念すべき年に昨夏の甲子園優勝投手・ハンカチ王子こと斎藤祐樹君が入学した。そのせいで、浦添キャンプは、ヤクルトキャンプにまけないくらい、注目を浴びているという。
 グランドに入っていくと、内外野のシートノックの最中だった。目当ての斎藤君は、投手陣10名のうちのB組に入って、外野フェンス沿いをラン二ングしている。近づいて行くと、彼は私の方を見ながら、他の選手に何やらひそひそと「あの方は誰ですか」とでも囁(ささや)いているように感じた。
 新2年生以上の部員は大きな声で挨拶をしてくるが、B組は入学組が多いのだろう、不審そうに半分だけ帽子をとるように頭を下げる。YBCの新人選手と変わらない。私がOBであるのを知っているかどうかわからないが、声をかけてみた。
 「斎藤君、足首を捻挫は大丈夫か?」「はい、ほとんど治っています」「今日はブルペンに入るのか?」「はい、昨日も投げ込みをしたし、今日も投げたいと思います」マスコミの取材陣から毎日受けるような質問をしてみたが、嫌がらずに答えてくれる。
 176cmと聞いていた斎藤君の第一印象は、それよりも「小柄」だった。話しぶりは、静かでクールで控えめだし、ユニフォームの胸と背の「斎藤」の二文字は、他の新入生より小さめで薄かった。遠慮がちに書いたのか、練習量が多くて洗濯も多いのか、理由はわからない。