ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『黒い牡牛』を観て

2022年10月07日 | 1950年代映画(外国)
『黒い牡牛』(アービング・ラッパー監督、1956年)を観た。

メキシコの田舎の貧しい農家に育ったレオナルド少年。
母の葬式を終えた晩、落雷で倒れた大木の下敷きで死んだ母牛のそばに、生まれたばかりの黒い子牛をみつけて家に連れ戻る。
父親から育てることを許可を得て、闘牛用の猛牛の子にも拘らず“ヒタノ(ジプシー)”と名付けられた子牛は少年によくなついた。
だが「ヒタノは雇主である牧場主の所有だから烙印を押さねばならぬ」と父親から聞かされたレオナルドは、学校の先生の助けを借り牧場主に手紙を送る。
それを読んだ牧場主は、子牛をレオナルドに譲ると約束した。

2歳を迎えたヒタノは、逞しく育ち、闘牛用のテストにも勇猛ぶりを見せた。
たまたま、レオナルドが学校を卒業した日、牧場主は自動車レースによる不慮の事故死をする。
やがて牧場主の財産処分となり、レオナルドは牧場主からの譲渡証明の手紙を探しても見つからず、ヒタノが自分の物であることを証明できなかった。
そのためヒタノは競売に掛けられ、メキシコ市の闘牛場へ送られることになって・・・
(Movie Walkerより大幅修正)

児童映画とまでは言わなくても子どもと子牛が主役となっていて、大人の世界の都合によって当人たちが何度も引き離されそうになったりする。
だが、ここには悪意のある人物は現われない。
そのことが単純というか、筋の起伏はあっても単調なところともなっている。
しかしそのことが反って、レオナルド少年の子牛ヒタノに対する一途の思い、愛情がヒシヒシと伝わってくる要因ともなっていて、観ていていいなと思う。
そのいい例が、終盤近く、レオナルドが首都メキシコシティーへ行ってから、ヒタノの闘牛をストップさせようと大統領に会うカラクリは余りにも能天気すぎ、でもそれも良しかなと思えてしまう。

ただ全体的にそんなヤワな作品かと言えば全然そうではなくって、ラストに向かっての闘牛ヒタノと闘牛士による長い闘牛場シーンは、驚くほどの観客の多さもさることながら興奮のるつぼと化す。
そしてラストシーンのレオナルドとヒタノに向かって、いい映画を見せてくれたねと拍手を送りたくなる。

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