前三回にわたり「財界さっぽろ」への反論を投稿した。このブログについて、私が誰かを擁護するために、あるいは誰かのために投降したかのように勘違いしている人がいるかもしれない。それは全くの誤解であり、基本原則を知らない人の考え方だ。もしそうなら、財界さっぽろの偏向記事と同じことをしていることになり、彼らを非難する資格を直ちに失うことになる。私は投稿文章を事前にチェックしてもらったり、どういう内容にすべきかなど誰にも一切相談していない。すべて独立独歩で行っている。もちろん独自の取材だから間違いはある。それは修正する。しかし、本筋を他人の意見で変えることは決してない。原理原則を知らない人のためにあえてこれを言いたい。
私は町側の人間ではない。町政については多くの疑問を持ち、変えてほしいところはたくさんあると思っている。それをもってしても、今回の一連の騒動と報道記事は納得がいかなかったので、前回のような投稿となった。
冤罪に関することも、肯定も否定もしていない。ただ冤罪を訴えるなら、その方法論に疑問があり、もっと戦略的になぜできなかったのかという問題を提起しただけだ。ブログでも少し述べたが裁判(内容にも問題があるが)にする前にやれることは幾つかあったはず。それをしないことや、裁判の結果についてもあっさりと(私にはそのようにしか感じなかった)上告審を放棄したことが解せない。記事通りなら自殺未遂や町を出るほどのリスクを負いながら、なぜ結審としたのか、納得がいかない。裁判費用の問題なら、これまたいくらでも方法が考えられる。日本は世界的に見てもかなり高度な人権擁護国家なのだから。あのままでは、裁判騒ぎをただ疑問に感じるだけだった。
町議会の空転は全く残念な話。私はこの事件をきっかけに町全体が大きく前進するきっかけになればと思って期待していた。それが頓珍漢な町議のために空転したことを残念に思っている。前向きな考え方をすれば一つの道が確実にあったはずで、そこに向かおうとする議員がひとりもいなかったことに、ただただ残念に思っている。
社協問題については、言うまでもなく前事務局長の規則違反がすべてであり、それを放任した前理事たちの責任問題のはず。4人いた役員が役場の介入に激怒して辞めたというのは明らかに違う。もし、前事務局長の所業が公開されず、隠ぺいされるようなこととなったなら、問題の解決には絶対にならない。まして、パワハラ事務長の話や役場の介入などという話にすり替えてはならない。
町政に対しては今後いろいろな機会にブログに投稿したいと思っている。決して満足はしていないからだ。不明なことは多いし、納得がいかないこともある。しかし、決定的な問題があるとも思っていないことも事実だ。もっと住み良い町になってもらいたいと願う。ただ町議の定数はさらに大幅な削減が必要だとは思う。無駄な人が多すぎる。60歳定年を制度化してほしいくらいだ。
あまり好きな言葉ではないが「民度」という尺度がある。これをもう少し意識する町民であってほしい。新聞やテレビのコメンテーターの言葉を、意味も考えずにそのまま口にすることは恥ずかしいと思わなければいけない。自分で理解して語る町民になるべきだ。これは自戒を含めて言い聞かせていること。そして、社会とは協調しつつも、常に「独立独歩」の立場は守りたいと願っている。
地方の時代と言われてから久しいですが、都議会や県議会の体たらくを見ると、地方の時代はまだ相当先のような気がします。わが町にも30代40代の若い議員の登場があればさらにいいのですが。もちろん、若ければいいというわけではありませんが、少なくても手垢の付いていない人の方が可能性を感じますね。
いでよ、新たなヒーローよ!です。
ちょっと驚きました。貴兄のブログが「独立独歩」なのは明らかで、
メディアの報道姿勢に対しての厳しい批判だと思ってましたが…。
町議の定数削減には大賛成です。昨今では地方自治体の議員の
なり手がなく、欠員が出てる市町村も沢山あると聞きます。
そもそも、市町村議員はどんな仕事をしてるのか?聞くところによると、
「俺は1期やったから、次はお前がやれ」と言うようなものなんだとか。
”号泣議員”や“津軽選挙”の例もあり、議員に値しない議員だらけ。
どこも定数削減を検討したほうがいいですね。