原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

プロの領域

2014年05月06日 09時59分41秒 | スポーツ

 

5月4日に最終日を迎えた女子ゴルフ「サイバーエイジェントレディス」に注目が集まった。最終組に17歳と18歳のアマチュア選手が入っていたからである。結果はプロである一ノ瀬優希が意地を見せ、4位からの逆転優勝となった。が、2位(17歳)4位(18歳)6位(16歳)とトップ10に3人もアマ選手が入っていた。2週間前の「KTT杯バンテリンレディス」では15歳の少女が優勝している。このところ女子ゴルフは10代の選手(アマチュア)が大活躍。世代交代の時期に入ったということなのかもしれないが、アマに席巻されるプロに、なんとなく歯痒さを感じる。いろいろな意味でプロ選手は危機感を持った方がいいと思う。

 

スポーツ競技においてプロとアマが一緒に競技をするというのはゴルフくらいのものだろうか。男子の松山選手が大学生時代に結構プロを負かしていた。高校生時代の石川選手もそうであった。男子に限らず女子でもそうだ、一人の天才が登場すると、プロといえども圧倒される。それはアメリカでもヨーロッパでも同じだ。だが、今年の日本女子ゴルフのように、次々に登場してくる高校生などのアマ選手が大活躍するというのはあまり例がない。ゴルフ界における女子プロ選手の力量が落ちたせいなのか、アマ選手の力量がアップした結果なのか。しかし、いかなる状況においてもプロを自認するアスリートなら、アマに思い通りにされてはいけない。プロ根性はどうなってしまったのだろうと、余計な事とは知りつつ、考えてしまった。

 

スポーツ界においてはプロとアマの差は歴然としていなくてはいけないものだと思う。野球をはじめサッカー、バスケットなど、特に男子の競技についてはそう言い切れるだろう。高卒の新人がいきなり活躍する場合もまれにあるが、多くは数年後に本格的な活躍をする。学生時代にプロ並みの練習と科学的なトレーニングが浸透していても、やはりプロとなると壁は大きい。

それを苦もなくクリアしてしまうような日本の女子プロのゴルフ界の現状は、まだ歴史が浅いせいと言えるのかもしれない。だが、視点を変えてみると、違うものが見えてくる。日本で圧倒的な強さを見せる選手もアメリカツアーに参戦すると意外に苦戦する、という結果である。

かつて(少し古い話ではあるが)、ジャンボ尾崎や青木、中島と言う日本のゴルフ界の最強三羽ガラスが全盛時代があった(日本のツアーの優勝はほとんどこの三人で独占)。ところがこの三人、海外ツアーではほとんど勝てなかった(青木は1勝)。この状況を知ったアメリカのゴルフ評論家の一言が印象的だった。「経験不足ですね」。いったいどんな経験をしたらいいというのだと、日本人ながら思った。その後の日本のゴルフ選手がアメリカツアーで大活躍と言う場面にまだ遭遇していない。宮里愛は頑張っているがメジャーは制覇していない。岡本綾子もそうだった。これは単に運の問題ではないような気がしている。プロ意識と言う言葉が浮かび上がる。日本選手は男女ともプロとしての何かが(経験や修練)足りないということなのではないだろうか。

ゴルフだけではない。メジャーに挑戦する日本のプロ野球選手にも同様のことが言えそうだ。日本で大活躍の選手も意外にメジャーで通用しない例を多く見る。もちろん日本の投手はそれなりに実力を発揮しているが、野手となるとほんの数人しか成功していない。単純に体力の差と言う以前に、真のプロとなるために乗り越えなければならない壁が存在しているようだ。

何が足りないのか、もう一度考えてみるべきだ。プロとアマの差(壁)をもう少し意識するべきなのでは。つまりプロとして生きるための意識改革、と言えるものだ。

 

日本ではプロと言う言葉を気楽に使いすぎているようだ。環境だけプロになっていても中身が伴っていない事が多い。ひょっとすると、これはスポーツに限らず、すべての職業に蔓延している日本の甘さといえるかもしれない。

農水産業などの第一次産業において、プロと思わせる人は確かにいる。この人たちの技量の凄さは十分に理解している。しかし、大多数の人(専業で従事しているという意味)がそうであるかと言うと疑問だ。いまTPP問題で揺れている人たちを思う。外国から安い製品が輸入されたなら生きていけないという人たちがいる。様々な問題があり、気持ちはよく分かる。実行されれば苦しむことも確かだと思う。だが、ここで発揮されなければならないのは真のプロ意識ではないだろうか。価格で勝てなければ中身で勝つ工夫があるはず。戦略で勝つ工夫があるはず。プロと言うものはそういうものなのではないだろうか。力で勝負するのではなく、練習と技術で補ったイチローのように工夫すれば道は必ずあるはず。己の価値を見出すプロ意識があればTPPも恐れることはない。日本には優れた技術開発の能力があることにもっと自信を持つべきなのではないだろうか。外国と同じフィールドで戦ったり、日本で戦う時と同じように戦っていては、海外では勝負にならない。もっと新しい力(芽)を生みだす工夫をすべきだと思う。

痛く無い注射針を開発した発想と技術力。コンピュータの制度を超えた板金技術。世界のアスリートを引き付けた砲丸を生みだした技術。などなど、日本には真のプロの力を生みだす土壌があることも確かだ。工夫と修練があれば、TPPなど恐れる必要はない。

 

失礼ながら、日本のスポーツ界も農水業界もまだプロの領域に達していないのかもしれないと思った。ちょっと強いアマチュアのままなのかもしれないと。最近の女子ゴルフの結果を見ながら、勝手な想像をしてしまったど素人の妄想です。お許しを。

 

かつての日本の最強三羽ガラスに投げかけたアメリカのゴルフ評論家の言葉の意味も、こう考えると少し理解できる。どうやら単なる毒舌ではなかったようだ。アメリカの選手と同じ戦い方をするのではなく、もっと独自の戦い方があるはずだと彼は言っていたと思う。例えば、飛距離にこだわるより、より正確なショットのための修練とか。そのためにどんな練習をすればいいのか、工夫が必要であったと。彼の言う「経験不足」とはそういうことだったのではと、今では理解できる。

プロの領域には限界がない。生きる工夫は無限にある。これはスポーツ界に限らず産業界においても同じだ、と思う。

 

*写真はいずれもゴルフ発祥の地、スコットランドのセントアンドリュースのオールドコースのもの。


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2 コメント

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Professaor… (numapy)
2014-05-07 07:29:45
面白いことにProfessionalとProfessorはProfessまで
同じ綴りなんですね。
で、Professをひくと、[装う][公言する]がでてくる。
急に語源が知りたくなりました。
確かに三羽ガラスは勝てなかったですね。
ことに尾崎は内気とか英語恐怖症とか揶揄された。
なるほど、「経験不足」ですか。納得いきますね。
最近の女子プロは、ファッションがすごい。ゴルフは魅せる要素もある、と
理解してますね。キャディ上がりの樋口久子の時代とは
まったく違う時代になりましたね。時代の深化ですかね。
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内弁慶 (genyajin)
2014-05-07 09:50:06
最近の若者にはこの言葉はあまり当てはまらないようです。でもゴルフ界においてはまだ当てはまるのかも。日本で勝ててもアメリカで勝てない。理由は、日本と同じことをやっていてもだめだということなのではと、思います。
彼らは経験というものすごい修練を積んでいるからです。勝つための工夫です。彼らに勝てる戦術を持つ必要があると思います。昔の女子バレーが、回転レシーブやクイックを開発したように。
独自の戦術を身につけるべきです。さすればアメリカで勝てるゴルファーが生まれると思います。あくまでも私見ですが。
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