原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ブルームフォンテーンの悪夢を超えて

2015年10月06日 10時41分19秒 | スポーツ
第8回ラグビー・ワールドカップで世界中にジャパン旋風が巻きあがっている。9月19日、過去二度もワールドカップで優勝した南アフリカ共和国からの勝利に世界中が驚いた。とりわけ開催国でありラグビー発祥の地英国に強烈な衝撃を与えた。各紙に「W杯史上最大のショック」の大見出しが躍った。ハリーポッターの作者は「こんなストーリーは書けない」とまで発言した。二戦目のスコットランド戦には敗れたが、強豪サモアには圧勝。初戦が偶然の勝利ではないことを証明した。世界に響く心地よいジャパンコールを聞きながら、20年前の悪夢の記憶が昇華するように消えていくのを感じた。

1995年6月であった。起こった日は4日であるが、私が知ったのは翌日の5日。その時私は二度目のウイスキーの取材でスコットランドのエジンバラにいた。オークニー諸島の取材を終えてエジンバラに戻った翌日であった。南アフリカでW杯が開始されていたことは知っていたが、オークニー諸島にいたこともあり、結果など全く気にかけていなかった。昼時に通りすがりのパブに入り「パブ飯」にありついた。フィッシュアンドチップスにビールといういつものパターンである。店内はそんなに混んではいなかった。一人で食事を始めた時、肩をぽんと叩かれ、話しかけられた。見知らぬおじさんである。何か言っている。ゲール語なまりの英語はほとんど分からない。まして英語がまだ十分ではない私には「何だろう」という疑問だけ。顔を見て真剣に聞くと(不思議なことにこうすると意味が分かる)、「そんながっかりするな」と言っている。何の意味で、という顔をしていたのだろう、おじさんはテレビを指した。同時に手にしていた新聞を見せてくれた。
145対17の数字が目に入った。それが第三回ラグビーW杯におけるニュージーランドと日本の試合結果だった。W杯最多失点記録である。ニュージーランドにとって最多得点差試合であり、日本にとっては最多失点差試合となった。「ブルームフォンテーンの悪夢」と呼ばれた試合であった。逆の意味で歴史が刻まれた日であった。オールブラックスのニュージーランドは当時でも№1の強豪。負けるのは当然でもこの失点差は衝撃的であった。正直、新聞の見出しを見ながら落胆した。ラグビー好きのスコットランド人は寂しそうに一人で食事をする日本人が哀れに見えたのだろう。「頑張れば、強くなるよ」という慰めの言葉。それが妙に心に沁みた。

この挫折のために、日本のラグビーは暫くだめだろうと思った。大学時代の嫌な思い出が蘇ったからだ。私の母校はラグビーの伝統校である。クラスにもラグビー部員がおり、よく話をしていた。ところがある時不祥事が起きる(下級生による造反事件)。そして二年生と三年生の大半が退部してしまう。クラスメイトも退部となった。伝統校とはいえ主力となる二年三年が退部しては戦えない。この後、十年近くも低迷する。そのきっかけとなった事件であった。この時の挫折と同じ思いをブルームフォンテーンの悪夢に感じた。
苦節20年という言葉がいいかどうかはわからないが、日本のラグビーは見事に世界に羽ばたいたと思う。「頑張れば、強くなると」と励ましてくれた見知らぬスコットランド人の言葉をあらためて思い出した。あの時のニュージーランドはまさに破竹の勢いで決勝に進んだ。しかしそのニュージーランドを破って優勝したのが南アフリカ共和国。20年たって、その南アフリカ共和国に勝利した日本。舞台がイギリス。私にとって不思議な勝負の因縁を感じている。


日本がベスト8に残れるかどうか、極めて微妙な状況ではあるが、12日の結果がどうであれ、日本のラグビーは着実に歴史を築きつつあることだけは確かだ。スピード、展開力、粘るスタミナ。まだ未完成だが、ジャパンラグビーが世界に肩を並べる時代が近いことを感じさせた。2019年に第9回W杯が日本で開催される。もちろんアジア初。その時への布石となる2015年であることも間違いない。

*パソコンが不調となり、体調の悪さが重なり、ブログの更新がママになりません。これからも更新は不定期になると思います。毎回お尋ねくださる方に申し訳なく思いますが、お許しください。

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